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みやぎの見所 の記事

2007年10月18日

伊達政宗が再建した国宝瑞巌寺

瑞巌寺の正式名称は、「松島青龍山瑞巖円福禅寺」と称し臨済宗妙心寺派の禅寺である。伊達政宗が再建した本堂などが国宝や重要文化財に指定されており、天長5年(828年)比叡山延暦寺第三代座主、自覚大師円仁によって開創されたため、当初は天台宗に属していた。

延福寺と称した当時は、平泉の藤原氏や鎌倉の庇護を受けていたが、戦国時代に衰退したのち、江戸時代になり伊達政宗が再建に着手して、現在の大伽藍を完成させた。材料は紀州熊野より運び京都や根来の名工の手で5年の歳月を費やしたと言われている。

国宝の本堂は回廊が巡らされており、欄間や唐戸の彫刻、各部屋を飾る襖絵は豪華絢爛そのものである。宝物殿には各種の文化財や伊達家とのかかわりを示す展示物がある。また、杉林に囲まれた長い参道の右手には洞窟群があり、無数の墓標が納められている。
『参考図書:みやぎ発見の旅(㈱廣済堂)、let’sみやぎ(河北新報出版センター)、その他』

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2007年10月19日

松島に映える観瀾亭

観瀾亭とはさざ波を見るところという意味で、文禄年中に豊臣秀吉から伊達政宗が拝領した伏見桃山城の茶室である。江戸品川の藩邸に移築したものを、二代藩主吉村忠宗が松島に移したもので、東西に向き京間18畳2室からなる簡素なたたずまいが特徴です。

床の間の貼付絵や襖絵は、壮麗な極彩色で描かれており、柱1間6尺5寸の京間であることから桃山時代の趣を今にとどめている。ここは鮮やかな松に彩られた日本三景を堪能しながら、静かに抹茶を楽しむことができるという落ち着いたスポットです。

なにしろ、この観瀾亭は別名「月見御殿」とも呼ばれ、その昔には藩主の納涼や観月のため藩主・姫君・側室等の松島遊覧、幕府巡見使の諸国巡回の際の宿泊や接待施設となる「御仮屋」として利用されていたという公式な記録が残されております。
『参考図書:みやぎ発見の旅(㈱廣済堂)、let’sみやぎ(河北新報出版センター)、その他

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2007年11月01日

今が見ごろの栗駒山麓の紅葉

標高1,627.4mの栗駒山、宮城、秋田、岩手の3県境に位置その頂上に立つと、鳥海山、月山はじめ蔵王連峰はもとより、遠く太平洋まで望むことができる。ここには尾瀬や八幡平と並ぶ高山植物の宝庫としてもよく知られている世界谷地が広がっている。

栗駒地区からの登山コースだけでも4ルートあるとのことであるが、花山地区からの東栗駒コースは、初心者や家族連れでも山頂を目指せるルートとして人気が高い。また花山地区には、花山・緑の森トレッキングコースがあり、林道や滝めぐりなどの散策が楽しめる。

その栗駒山が、今紅葉の赤がさえわたっている。最近はご無沙汰なのでテレビ桟敷から中継で我慢していただきたいと思いますが、紅葉をみるならお奨めのスポットの一つです。もう山は寒いのではなどという心配はご無用です。何しろ山が真っ赤に燃えていますから。

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2007年11月02日

縄文人の暮らし体験してみませんか

日本三景松島の裏座敷には全国屈指の貝塚密集地があります。その中でも奥松島宮戸島で発見された里浜貝塚は6000年前から2000年前まで続いたもので、東西640m、南北200mの規模は日本最大級を誇っており、国の史跡にも指定されています。

奥松島縄文村歴史資料館には、ここから出土した土器が展示されている他、縄文人の暮らしぶりを解説しています。また、子供たちには火おこし体験が人気のようで、マッチのない時代にどのようにして火をおこしていたのかを体験することができます。

宮城県では、世界遺産の登録を目指して準備を進めているほどですから一見の価値がありそうですが、何よりもゆったりとした縄文人の生活に触れてみることで、スローライフの原点が見えてくるかもしれません。是非ロマン溢れる奥松島にも足を伸ばしてください。

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2007年11月03日

往時をしのぶ野蒜築港跡

明治新政府は、わが国初の国家プロジェクトとして、近代築港事業に着手したのがこの地野蒜(現在の東松島市)でした。東北の物流拠点として選んだのは、この野蒜港を拠点として北上川と松島湾、阿武隈川を運河で結ぶという遠大な構想であったという。

このとき既に存在した貞山堀が拡幅されたほか、北上運河や東名運河もこの時に築かれ、鳴瀬川河口左岸には市街地が造成され、明治15年には内港が開港し、蒸気船がにぎやかに運河を行き交った。しかし明治17年9月の台風で港は壊滅的な被害を受けてしまった。

この被害の大きさにショックを受けた新政府は、未着工であった外港の建設を中止することに決めたため、野蒜築港は幻に終わってしまった。当時使われた石のローラーや赤レンガの橋台、東北初の測候所の碑などが市街地跡に残されており、往時の面影を偲ぶことができます。

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2007年11月13日

北上川河口のヨシ原

石巻市北上町の北上川河口から約15km上流にかけて、両岸の河川敷にヨシ原が広がっています。ヨシ原は水流を緩やかにし、水辺の侵食を防止するほか、動植物に良質の住家や餌場を提供しており、なかでもオオヨシキリなどの野鳥の繁殖地にもなっています。

川風になびくヨシの大群落は広大な空間に交響曲を響かせる。この音が環境庁のお耳に止まり、将来に残したい音として平成8年に「日本の音風景百選」に選ばれました。四季折々の風が広大なヨシ原に響きわたる様子は、巨大なオーケストラであると評する人もいます。

また、冬の風物詩にもなっているヨシ刈は、多くのカメラマンや観光客を楽しませてくれます。付近に生息する微生物とともに水を浄化する働きもあるこのヨシ原は、天然のろ過装置の役割も担っています。黄金色のヨシ原を眺めながら大自然が織りなすハーモニーを満喫するというのは如何でしょうか。

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2007年11月20日

わらじ村長の偉業

わらじ村長の愛称で知られる鎌田三之助は、明治から昭和にかけて鹿島台(現在の宮城県大崎市鹿島台)の村長を務めた人物です。村長の滅私奉公ぶりは徹底したものであったといいます。何しろ38年間の村長在任中、一切給料をもらわずに過ごしたというからすごいですね。

全国で講演した際に受け取ったお金も、小学校の教材費に当てたという。裕福な農家に生まれたとはいえ、並の人には到底できることではありませんが、驚くのはこれだけではないのです。つぎはぎだらけのズボンに脚半(きゃはん)、破れた帽子、そしてトレードマークのわらじといったいでたちです。

村には品井沼という大きな沼があり、増水のたびに水害を起こすことに頭を痛めていた三之助村長は、住民を説得してこの沼の干拓事業に取り組みました。今は、県内有数の穀倉地として知られるこの地方も、村長の献身的な努力が無ければなし得なかったと言われています。

2007年11月23日

初詣ベスト3-その1

宮城県はもとより東北地方でも最も初詣参拝客が多いのは、安産祈願で知られる鹽竃神社です。表参道は202段の石段があり本殿に辿り着くのは結構息が切れますが、アルコールなしでも体がホカホカあったまるので経済的であるうえ、ご利益も相当なものと言われています。

なにしろ、家内安全、身体健康、商売繁盛、社運隆昌、厄災消徐、海上安全、大漁満足、安産守護、交通安全、心願成就などとなっており、大抵の願い事は叶う勘定ですが、お隣に志波彦神社があるのも魅力の一つとなっているようです。なにしろ、昨年の初詣客は52万人と言われています。

ただ、ちょっと気になるのは巫女さんの数です。人出では2位の神社でも46人の巫女さんがいるのに、どうしてこんなに少ないのでしょうか?多分そんなことを詮索する人にはご利益が薄いのでしょうね。今年は方針を変えてひたすら祈ることにしたいと思います。

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2007年11月24日

初詣ベスト3-その2

東の横綱が鹽竃神社とすれば、間違いなく西の横綱は竹駒神社でしょう。昨年の人出も40万人とのことですからたいしたものですね。ご利益は、家内安全、商売繁盛、交通安全、厄除などとなっており、至ってシンプルですが、巫女さんの数では46人とどこにも負けておりません。

いやまた下世話な話をしてしまいましたが、本当にすごいのはそんなことではありません。この竹駒神社は、京都伏見の伏見稲荷、茨城の笠間稲荷とともに日本三稲荷として知られています。全国に3万社ほど稲荷神社があるといいますから、その格調の高さが窺われます。

また、旧暦2月の最初の午の日から7日間行われる初午大祭は、昔ながらの竹駒奴の毛槍投げ受けの妙技は見ものです。その他、境内にある馬事博物館には、馬具、彫刻、書画、秘伝書などの資料が展示されています。こちらもご利益の中身では負けていないようです。

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2007年11月25日

初詣ベスト3-その3

大崎八幡神社は昨年の人では10万人とやや道を開けられているという感じですが、仙台市の市街地にあることもあり人気度の高い神社です。ご利益はというと、厄除け、徐災招福、必勝、安産、戊歳・亥歳生まれの守護と一風変わった面持ちがあるご利益ですね。

また、巫女さんの数は10人で比較的小規模ですが、何せわが国最古の権現造りといわれる社殿は、華麗な安土桃山建築の特色が随所に見られる。それもそのはず、豊臣家に仕えていた当代随一の工匠たちの手によるもので、あの日光東照宮「眠り猫」の作者で左甚五郎のモデルとされている刑部左衛門国次の手による「にらみ猫」も見られます。

大崎八幡といえば忘れてならないのが、1月14日に行われる「どんと祭」です。正式には「松焚祭」というのだそうですが、白鉢巻に白さらし、口に含み紙をくわえた裸祭りで、勇壮であると評判ですが、私には「勇壮」というより「寒そう」にしか見えません。皆様も一度参加されてみては如何でしょうか。

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2007年11月28日

「樅の木は残った」の船岡城址

昭和45年に放送されたNHK大河ドラマ「樅の木は残った」は山本周五郎の原作によるものであるが、この題材になったのが歌舞伎の「伽羅先代萩=めいぼくせんだいはぎ」で有名な伊達騒動である。この事件は加賀騒動、黒田騒動とともに三大お家騒動と呼ばれた。

仙台藩3代藩主であった伊達綱宗が放蕩三昧であっため、叔父にあたる伊達宗勝等により強制隠居させられ、僅か2歳の伊達綱村が4代藩主に就任した。一般に伊達騒動と呼ばれるのはこの綱村隠居事件に端を発した寛文事件を指すといわれている。大叔父にあたる宗勝が後見人となり実権を掌握した後、家老の原田甲斐宗輔らとともに集権化を図った。

このドラマでは原田甲斐役の平幹次郎をはじめ、ドラマ発出演の田中絹代、国民的アイドルの吉永小百合、佐藤慶、高橋昌也、香川京子、志村喬、若林豪など豪華な顔ぶれが勢揃いした。このドラマのタイトルにもなった樅の木が、今もひっそりと船岡城址公園に残っている。

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2007年12月03日

みやぎ蔵王の樹氷めぐり

遠くシベリアからの季節風がもたらす雪雲と、アオモリトドマツの連携プレーによって育成されるスノーモンスター(樹氷の別名)は、ベテランの冬山登山家以外は目にすることはできません。しかし、最新鋭の観賞ツアー用の特製雪上車ワイルドモンスター号が安全に銀世界を案内しくれます。

標高1,100mの出発点から500メートルほど登ると樹氷原が広がります。そこには日々表情を変えるモンスターたちが立ちはだかり、冬山の厳しさについて語りかけているようにも見えますが、よくみると、愛嬌モノやどこなくアイドルにも似た面立ちにもあえるなど、急に親近感を覚える瞬間も体験できます。

この樹氷体験ツアーは往復2時間程度ですが、暖房が効いた特注キャビンの雪上車であるため、-10℃という厳しい外気との差を存分に堪能できます。晴天時には360°の樹氷原のパノラマを、荒天時には厳しい蔵王の冬将軍を体感できますし、運がよければ?短いツアーで両方の顔にお目にかかれるかもしれません。

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2007年12月08日

明治は遠くなりにけり

宮城県の北部に位置する登米市には、明治21年に建造された洋風建築が今も教育資料館として活躍している。この建物は当時ウイーン万博に派遣されヨーロッパ建築を学んできた宮城県の技師山添喜三郎の設計によるもので、旧登米高等尋常小学校の校舎として建造されたものである。

中央の中庭を挟むようにコの字型に建物が配置され、両側先端には六方という生徒の入り口があり、中央には玄関と白いバルコニーが置かれた造りである。白いバルコニーの2階部分は、いかにもハイカラな欄干が施されているほか、柱はアイオニックオーダというギリシャ様式の柱頭で飾られているとい凝った造りである。

教室に繋がる吹き抜けの廊下は、現在の建物とは一味違う開放感があり、明治の人々の教育に対する取り組み姿勢が偲ばれます。アメリカのコロニアルスタイルを模したというX字型の欄干や2階廊下のミミズクのデザインは、生徒の勉強ぶりを見守るという意味があるというから、ゆったりとした中にも本質を忘れない力強さが伝わってくる気がします。

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2007年12月12日

仙台藩の藩校有備館

仙台藩祖伊達政宗公が仙台の青葉城に移るまでの12年間、岩出山に居城していたのが岩出山城です。その城の二の丸が1663年(寛文3年)に焼失したため仮居所として立てられたのを移築したものがこの有備館です。始めは「春学館」と呼ばれていましたが、現在地に移された際に「有備館」と改められました。

岩出山伊達家3代敏親(としちか)が家臣の子弟を教育するために開いたもので、単層寄棟書院造り、藁葺き屋根が落ち着いた雰囲気をかもし出していますが、庭園は回遊式池泉庭園と呼ばれるもので、仙台藩の茶道頭石州流3代清水道竿によって1715年(正徳5年)につくられたものです。

池には島が浮かび、茶室も置かれており、ゴールデンウイークや紅葉の季節には茶会も催されるほどで、宮城の名園の一つに数えられています。かつて伊達家が治めていた岩出山は、京の冷泉家から輿入れがあったこともあり、「伊達の小京都」とも呼ばれた城下町で、この有備館の周辺には往時の面影が随所に残っています。

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2007年12月13日

大仏造営に一役買った涌谷の砂金

日本最古の金が採集されたのがこの涌谷です。ちょうどこの時期国家を挙げて取り組んでいたのが、あの奈良の大仏建造であったが、聖武天皇は産金を大いに喜び、年号を天平感宝と改めたといいます。この時代、国力は安定してきたとはいえ、内外には色々と不安を抱えていた時代であったため、国威を内外に示す狙いで大仏建造に取り組んだと考えられています。

高さ18mもある当時としてはとてつもない大きさの大仏を銅で鋳造し、金メッキを施すという遠大な計画であったが、当時の日本では金は産出されず、全量確保する目途が立っていなかった。しかし、794年(天平21年)、陸奥国守百済王敬福から産金が報じられ、金900両(13kg)が献上された。

この百済王敬福という人物は、朝鮮半島の百済国が滅んだとき日本に帰化した王族の子孫で、百済は日本に先進技術をもたらした国であり、この金採集も渡来系の人材の功があったればこそ実現できたのである。かくして、涌谷の金により大仏は無事鍍金されることとなり、752年(天平勝宝4年)、盛大に開眼供養が行われたという。現在の「天平ロマン館」一帯が産金場所であったことが後の調査で確認されている。

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2007年12月17日

全国の鉄道フアンに別れを告げた「くりでん」

大正10年12月に石越~沢辺間(8.85km)が部分開通したのが、くりでんこと栗原田園鉄道の前身です。昭和17年12月には細倉鉱山までの全線26.2kmが開通し、細倉鉱山で採取された鉱石や沿線で収穫された穀物などの輸送を担ってきました。最盛期には石越から東北本線に乗り入れ、仙台まで直通する列車も運行されたほどです。

その後は順調に輸送収益を伸ばしてきましたが、昭和51年をピークに減少し始め、昭和63年に細倉鉱山が閉山されると急激に経営状態が悪化したため、鉱山跡地を改装して細倉マインパークを開園し観光客の誘致を図りましたが、利用客数の減少傾向には歯止めをかけることができませんでした。こうした状況を重く受け止め、沿線自治体などが協議した結果、第三セクター方式で再起を期することになり、その名もくりはら田園鉄道と改められました。

これを機に、これまでの電化を廃止して運行経費の安い気道車に変更し、1両単行のワンマンカー運行とすることとしたほか、殆どの駅を無人駅にして運賃もJRの約2倍に設定しました。しかし、こうした努力も空しく赤字はどんどん累積されるばかりであったことから、ついに平成19年3月で廃止しバス輸送に切り替えることとなってしまいました。多くの鉄道フアンから愛されたあの勇姿はもう見ることはできません。

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2007年12月22日

厳冬の松島、雪化粧の五大堂

松島のシンボル五大堂は、大同2年(807年)に坂上田村麻呂が東征のおり毘沙門堂として建立したのが最初。後に自覚大師円仁が円福禅寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、「大聖不動明王」を中央に、「東方降三世」、「西方大威徳」、「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王を安置したことから、五大堂と呼ばれています。

現在の建物は、伊達政宗公が慶長9年(1604年)に再建したもので、桃山式建築の粋をつくして完工したものです『電脳松島絵巻:松島観光協会より』。平成18年8月に33年に一度の御開帳が行われた後、今はひっそりと雪化粧の準備にはいっているようです。

この五大堂の雪景色、写真や映像ではご覧なった方も多いと思いますが、実際にじっくり眺めるチャンスは、地元の私たちにもめったにありません。静寂で荘厳な空間に浸ってみるというのはいかがでしょうか。オフシーズンならではのお薦めスポットです。自分探しの旅にはぴったりの雰囲気だと思いますが。

2007年12月25日

日本初の世界一周者-若宮丸乗組員

石巻湊米沢屋平之丞の持ち舟で800石積24反帆の若宮丸は、船頭の平兵衛(平之丞の息子)等16名が乗組み江戸に向かって出帆した。寛政5年(1793年)のことである。積荷はといえば、仙台藩御用米1332表と御用雑小間木400本であったという。この航海の途中福島県岩城沖で暴風雨に遭い漂流しアリューシャン列島のアッカ島に漂着した。この島で船頭の平兵衛が病死したが、津太夫以下15名はロシアの貿易商と出会い助けられた。

その後、バイカル湖の南のイルクーツクに8年間滞在した後、亨和3年(1803年)首都ペテルスベルグで皇帝アレクサンドル1世に謁見し、同年6月津太夫ら4名はロシアに帰化し、通訳となった善六とともにロシアの軍艦ナディ-ジタ号で日本に向かった。バルト海のクロンシュタット港を出港した後、南アメリカのホーン岬を回りハワイ島を経て文化元年(1806年)9月6日長崎に入港した。

帰国した4人はその後幕府の厳しい取調べを受けた後、津太夫と左平は寒風沢(塩釜市)へ、義兵衛と多十郎は室浜(東松島市)へ帰郷した。この間10年の歳月が流れていた。船首平之丞は寛政11年(1799年)、彼らの帰還を絶望して石巻市の禅昌寺で七回忌を行っていた。そのときの供養塔が1989年に庭園工事をしたとき発見され、今も乗組員の数奇な運命を訪れるものに語りかけている。

2007年12月26日

「大漁唄い込み」のふるさと田代島

エンヤドットの掛け声で有名な「大漁唄い込み」は、その昔斎太郎節と呼ばれていました。斎太郎とは人の名前で、彼は石巻にある伊達藩の鋳銭場(造幣所)で働いていたが、ふとしたことからトラブルを起こし、その罪を問われて田代島(石巻市)に島流しにされてしまいました。

彼はその後この田代島で漁師をしながら余生をおくったが、その時に舟を操りながら歌ったのが「斎太郎節」であるといわれています。これを宮城県の民謡歌手が編曲して「大漁唄い込み」となったものです。威勢の良い掛け声から察すると、斎太郎は漁師として成功したのではないかと勝手に想像しています。

確たる根拠があるわけではありませんが、それ程重い罰を受けたとも思えない彼が、何故一生をこの島で過ごしたのかと考えたとき、ふとそう思ったのです。もしかすると成功などはどうでもよく、気楽な稼業がことのほか気に入ってしまったのかも知れませんね。いずれにしても、毎日が大漁だったことだけは確かのようでうらやましい限りです。

2007年12月30日

鳴子温泉郷の楽しみ方-その1

鳴子温泉は泉質が豊富で9種類の温泉を楽しむことができます。11種類の泉質があるといわれる日本の温泉ですが、鳴子温泉郷の5つの温泉には、そのうちの9種類の泉質が集中しています。「単純泉」「重炭酸土類泉」「「重曹泉」「食塩泉」「「芒硝泉・石膏泉」「明ばん泉」「緑ばん泉・炭酸鉄泉」「硫黄泉・硫化水素泉」「酸性泉」がそれです。

これらの泉質が絡み合って、色とりどりの温泉をつくり上げ、時間帯や日によって色が変わる温泉もあるほか、青湯(透明の湯)や赤湯(赤褐色の湯)、黒湯(黒っぽい湯)といった温泉もあります。また、この5つの温泉を全て楽しめる「湯めぐりチケット」も販売さています。1年間有効ですから季節ごとに訪れてみては如何でしょうか。

鳴子といえば、温泉を楽しむのはもちろんですが、昔はよく浴衣掛けで温泉街を歩くのが楽しみだったという人も結構いるようです。温泉地が大きく変貌を遂げている現在、昔ながらの街並みがそっくり温存されているのも鳴子温泉郷の特徴でもあります。もしかすると鳴子塗りの掘り出し物が見つかるかもしれません。

2007年12月31日

鳴子温泉郷の楽しみ方-その2

鳴子温泉郷は泉質が豊富なので、温泉のはしごをするという楽しみ方がお奨めですが、そのほかにも色々な楽しみ方があります。例えば、秋の紅葉シーズンは有名な鳴子狭の散策、冬はスキー、夏はゴルフといったところが定番ですが、そんなアクションはとてもという方には、日本こけし館がお奨めです。

ここでは、童話作家の深沢要氏のコレクションを中心に、11系統あるこけしが展示されており、実演コーナーには名工たちが交代でつめ、訪れるものの目を楽しませてくれます。この場所はちょうど鳴子狭の真上にあたる場所で、鳴子を見下ろす高台になっていますから、すばらしい眺望が楽しめます。

また、ちょっと足を伸ばせば、鬼首温泉のかんけつ泉「弁天」が見られます。温泉の地熱で周期的に熱湯や蒸気吹き上げるこの現象は、日本有数のものといわれていますが、100度を超える熱湯を轟音とともに15m以上も噴き上げる様は豪快そのものです。10~15分おきに繰り返されるこのドラマは、永遠に完結することはないようです。それではまた来年お目にかかりましょう。よいお年を!

2008年01月03日

愛子さま誕生で脚光を浴びた「愛子駅」

仙台と山形を結ぶ仙山線に愛子(あやし)という駅がある。2001年12月に愛子さまが誕生されたのを機に一躍有名になり、普段は殆ど売れない入場券が連日千枚を超え、中には結婚式で配るといって大量に買い込む人もいたというくらいで、仙台駅から応援を呼んだほどの盛況ぶりだったといいます。

地名の由来は「愛子観音」にあるとされていますが、愛子さまの誕生後、駅から600mほど離れた観音堂まで住民が行進し、健やかな成長を祈願したということです。駅周辺は住宅やマンションが林立し、ドーナツ化現象で人口増が著しく、小学校や保育園、幼稚園などもあり、観音堂の周辺はにぎやかです。

「あやし」という言葉は、子供をあやすことを意味するもので、慈しみの心がにじみ出た響きがあります。この年を表す漢字に選ばれたのは確か「愛」だったと記憶していますが、今年は、これに匹敵するようなやさしい漢字が選ばれる年になればよいのですが、現実はそうあまくなさそうな雰囲気ですね。

2008年01月11日

護良親王埋葬伝説の地一皇子神社

一皇子神社は石巻市湊地区にある牧山山麓に抱かれた社です。後醍醐天皇の第三皇子である護良親王は、史実によれば、鎌倉で幽閉され足利直義に打たれことになっていますが、実は忠臣に手引きされ海路はるばる牡鹿湊(石巻市)に上陸し、南朝方の葛西氏に保護され再起を期したが、1346年この地でなくなったという伝説があります。

真実は今もって謎ではありますが、この一帯は昔から御所の入、御所の浦と呼ばれたことから、何らかの関連があったことは間違いなさそうです。境内には1275年から1492年までの220年にわたり建立された板脾が88基もあり、石巻市有形文化財第一号に指定されています。なかでも、後醍醐天皇の崩御を悼みその菩提を弔うために建立されたのが吉野先帝御菩提脾であるといいます。

大祭は毎年4月20日に行われ、かなりの荒れ神輿として知られていましたが、史実が確認された頃を堺に祭りへの参加者も次第に減少し始めたようです。しかし、地元の勇士は今も吉野朝時代の夢を旨に祭りを盛り上げています。地元の旧家には旗印も残っているとのことなので、由緒ある神社として長く語り継がれて行くことを願って止みません。

2008年01月16日

大崎八幡宮のどんと祭、今年はどうだったのでしょうか

毎年1月15日に行われる大崎八幡宮のどんと祭、今年は晴天にも恵まれ無事終了したようですね。新聞などの報道によりますと、裸参りの参加者は600団体、約2500人だそうですが、気温が2.2度だったといいますから、テレビで見ていても思わず身震いするような寒さの中、皆さんご苦労様でした。きっと今年はいい年になることでしょう。

とはいっても、私の場合はテレビに向かって参拝するだけですから、あまりご利益までは期待できそうもないわけですが、参加者は多彩で、仙台社会保険病院の医師、看護士総勢56人が加わったとのことです。また、女性の参加も年々増加しているようで、特に若い女性の装束もきりっと引き締まり力強く感じられました。

仙台の夜空を焦がすこのどんと祭、午後4時半ころ高さ3mに積み上げられた正月飾りに宮司によって点火されると、参拝者は燃え盛る火柱に向かって家内安全や商売繁盛を祈願する伝統の行事です。大崎八幡宮によりますと、午後10時現在の人出は昨年より2500人ほど多い約78000人ということですから、初詣に匹敵する賑わいだったようですね。

2008年01月18日

塩釜神社の荒神輿

春の風物詩として地域にしっかり定着している塩釜神社の帆手祭は、日本三大荒神輿の一つに数えられている。元々は正月の神輿洗神事で、火災鎮圧の祭りとして行われていたものを、毎年続いた火災により地域の景気が冷え込んだことを憂いて、1682に地域の若者が大明神に挽回を祈願したことに始まった。

その後海にゆかりのある「帆手祭」と呼ばれるようになったもので、厄払いや景気回復の願いを込めて神輿が繰り出される。祭りのクライマックスは何といっても、「男坂」と呼ばれる202段の表参道を重量1トンという荒神輿を、16人の若者が駆け上がる緊迫した瞬間である。見物人から思わず歓声が上がるひと時でもある。

この「帆手祭」は3月10日に行われるが、翌4月22日には「花祭」が行われる。こちらは寛永年間(1772~81年)の初めごろ、水害や日照りが続き農作物が全く実らなかったため、困り果てた農民たちが、塩釜神社にほうさく祈願したところ、気候も安定し作柄も回復した。このことを感謝して1778年に氏子祭りとして神輿を出すようになった。このほかにも、毎年海の日(今年は7月22日)に「みなと祭」も催される。

2008年01月20日

丸森町の蔵の郷土館「齋理屋敷」

宮城県の南端に当たる丸森町の中心部に重厚な建物が残されています。その名は「齋理屋敷」といい、1804年(文化元年)に創業したという齋藤家の屋号を冠した豪商の店蔵で、「蔵の郷土館」として親しまれています。代々の当主が齋藤理助と名乗ったことからその名がついたといわれていますが、何しろ豪商であったことが偲ばれます。

初めは呉服と太物を扱っていたが、この地方一帯で養蚕が盛んになったことから、生糸も扱うようになり、有数の豪商に発展したということです。幕末には手前金(手元金)が2万両という記録があるというから凄い。現代でいえば上場の大企業並みの規模を誇っていたことになりますが、これに飽き足らず、明治維新後は農地を買い集め小作米が2千俵、農地は100ヘクタールを越えたということです。

明治、大正時代には社会事業なども手がけたが、戦後の農地改革を期に店を閉めて仙台に移り住んだ。蔵や屋敷、それに収蔵品は当主から町に寄贈されたもので、敷地内には10の蔵と2つの邸が並び、蔵の中には代々の旦那が集めた数々の宝物があるほか、表通りには、160年前に建築されたという店蔵が、豪商の威厳ある面影を今に伝えています。

2008年01月21日

三角油揚げで有名な定義如来

作並温泉から東北へ6kmほどの距離で、大倉ダムの先にある定義地区には、「定義如来」の名で親しまれている極楽山西方寺があります。この地区は、平重盛(清盛の長男)に仕えた平貞能が平家滅亡後、源氏の追っ手を逃れてこの地に棲みつき、「定義」という名に変えて平重盛から預かった阿弥陀如来の宝軸を護った事に始まります。

重臣の末裔早坂源兵衛が出家してこの寺を開いたと伝えられています。山門に向かって真っ直ぐに伸びる参道の両側には、みやげ物店が並んでおりますが、その中でひときわ目を引くのが「三角油揚げ」です。宮城県産の大豆を使っているためか、サクッとした歯ごたえが人気で、揚げたてを醤油と七味で食べるのがシンプルでいいですね。

また、この定義にはもう一つお奨めの食べ物があります。それは「やきめし」です。といってもチャーハンではありません。太鼓型のおにぎりのことですが、縁結びのご利益があるといわれ、みそ焼きやニンニクみそ、シソ巻きなどがあります。少しはなれた場所には五重塔や庭園もありますから、お参りの後のんびり過ごすのもいいかもしれません。

2008年01月22日

奥州の豪商金売橘冶(吉次)伝説

大河ドラマには、金売吉次という名前で度々登場するこの人物、実は宮城県の金成(現在の栗原市)の出身なのです。奥州藤原氏との関係も深く、若き日の源義経(牛若丸)を平泉の藤原秀衡に導いたのも橘冶といわれている。この人の親に当たる炭焼藤太なる人物の伝説がまた実に豪快である。伝説によるとこの人は、京都の右大臣の娘おこやが清水寺の観音様のお告げで藤太のもとに嫁いできた。

ある日おこやは藤太に砂金を渡し、姉歯の市で買い物をして来るよう頼んだが、藤太は途中で鶴を見つけ、砂金を投げつけ捕まえようとしたが失敗した。おこやが砂金の価値を知らない藤太にいって聞かせると、そんなものは幾らでもあるといって、炭焼窯の回りに積んだ砂金をおこやに見せる。その後、藤太は金売りになり財を成したという。

金売橘冶(吉次)はこの藤太の子とされている。金成には藤太夫婦の墓や橘冶(吉次)の居館の東館跡とされる金田八幡宮がある。砂金の価値を知らなかったというあたりがなんとも素朴で微笑ましいが、そんなものは幾らでもあるといったというのは、スケールが大きい話ですが、もしかすると、昔ここの辺には金の成る木があったのかもしれません。それで金成という地名になったのかも?

2008年01月24日

雄勝硯伝統産業館

石巻市雄勝地区で硯の生産が始まったのが、室町時代でおよそ600年の伝統を誇っています。この雄勝地区は硯の原料である黒色粘板岩の埋蔵量が多く、ほどよい堅さと柔らかさもった石質であるため、現在でも全国一の生産量をキープしており、雄勝石のブランドとしても評価が高いといわれています。

雄勝硯伝統産業館には、雄勝硯の名品に加えて日本一大きい硯なども展示されているほか、名工の実演も見られます。また、雄勝石はスレート材として屋根などの建築材料としても利用され、明治時代にはJR東京駅や北海道庁の屋根にも使われました。

江戸時代には仙台藩がお留山として、一般の砕石を許さなかったというぐらいですから、当時から宝の山だったのでしょうが、そのお陰で資源が護られたのかもしれませんね。天然の素材を多方面に活用する試みもあるようですが、国の伝統工芸品にも指定されている雄勝硯だけでも十分魅力的で一見の価値があると思います。

2008年01月25日

ニッカウイスキー仙台工場

仙台市の市街地を流れるあの広瀬川、その支流に合流しているが新川である。仙山線の奥新川駅と八ツ森駅の間には緑と渓谷のハイキングコースがあり、大小の滝に親しむことができるし、川原では釣りも楽しめます。特に秋の紅葉は素晴らしく芋煮会の会場としてもよく知られていますが、ニッカウヰスキー仙台工場所在地としても有名です。

この工場は、北海道の余市についで建てられた蒸留所で、赤レンガ造りのユニークな建物が周りの緑と見事に調和しています。ここでは、醸造・蒸留から貯蔵までの製造工程をガイドが案内してくれます。工場見学終了後にはウイスキーやソフトドリンクなどの試飲も楽しむことができます。

ウイスキーの父が捜し求めて辿り着いたという理想地と言われるだけあって、観光スポットしても人気が高く、左利きの方には特にたまらないようです。春から初夏にかけては新緑、秋はもちろん紅葉、そして冬の雪化粧もまた独特の趣があります。近くには作並温泉や秋保温泉もあり気軽に立ち寄れることも魅力の一つのようです。

2008年01月26日

磊々峡(らいらい峡)と秋保大滝

仙台の奥座敷である秋保温泉には磊々峡という渓谷があります。温泉街の入り口に当たる覗橋の上下流約1kmにわたって深さ20mの渓谷が続いています。覗橋から渓谷に沿って遊歩道があり「八間巌」や「奇面巌」、「時雨滝」、「三筋滝」などが30分ほどの散策で見ることができますし、少し上流には落差55m、幅6mの秋保大滝があります。

この滝は「日本三名瀑」の一つに数えられているほどで、国の名勝となっており、遊歩道で滝壷の近くまで降りることができます。さらに、ここを起点に名取川に沿って上流約8kmにわたり続いているのが二口渓谷です。ここでは谷底から約600m、幅3㎞という巨大岩壁(盤司岩)や姉滝、白糸の滝なども見られます。

また、大滝植物園では炭焼きが体験できるイベントも開催されるほか、秋保街道から川崎町に向かう国道457号から少し山に入ったところに、色々の分野の芸術家が移り住み制作活動を展開しています。石神ゆめの森というこの一画には、ギャラリー石神窯、アトリエ雲、はゆな花壇、カフェゆめの森、森遊舎、ほうねん座、石の屋、秋保蕎の家などが集積しており、作品の鑑賞・購入ばかりではなく体験できる工房もあります。

2008年01月27日

慶長遣欧使節団出帆の地「月浦」-その1

伊達政宗の命を受け、1613年(慶長18年)10月28日、支倉常長率いる慶長遣欧使節団がスペインに向けて出帆したのが月浦(つきのうら:石巻市)です。目的は仙台藩領内でのキリスト布教の許可と引き換えにメキシコ(スペイン領)と直接貿易の許可を得ることであっといわれています。

この使節団の遣欧は徳川幕府から正式に承認を得たもので、伊達政宗37歳のときであったといいます。徳川幕府による幕藩体制が整ったことから、戦が治まったためか正宗も貿易によって活路を開こうとしたのかもしれません。月浦を出帆したサン・ファン・バウティスタ号は、洗礼者聖ヨハネの意味を持つ。

この船は、伊達藩の船大工、幕府船手奉行、スペイン人ビスカイノ等によって造り上げられたもので、当時としては大帆船であったといいます。ビスカイノと宣教師ソテロが案内人となり、常長一行180人を乗せて出帆したサン・ファン・バウティスタ号が向かったのが、メキシコのアカプルコであった。

2008年01月28日

慶長遣欧使節団出帆の地「月浦」-その2

太平洋を横断する90日間の航海であったが、常長等はそこに多くの乗組員を残し、スペイン艦隊に乗り換えて大西洋を一路スペインに向かった。一向はセリビアで大歓迎を受けた後、マドリードでスペイン国王フェリペ三世に拝謁することができ、早速正宗からの書状を手渡した。その後、常長はキリスト教信者となるべく先礼を受ける。

「ドン・フィリッポ・フランシスコ・ハセクラ・ロクエモン」という洗礼名授かった常長は、ローマに向かい、ついに教皇パウロ5世に謁見することができ、ローマ市民権を受けるとともに貴族の位も与えられたが、貿易の交渉は前進しなかった。伊達政宗が日本国の一藩主に過ぎないこと、既に日本では禁教が始まっていたことによるものである。

月浦を出帆してから7年の歳月が流れたが、ついに目的を果たすことができないまま帰国した。幕府は常長が出帆した翌年にはキリスタン禁止令を敷いていたのである。常長の努力は報われること無く、帰国後は隠棲を余儀なくされ2年後にその生涯を終えた。常長のものと伝わる墓は、川崎町支倉の円福寺、仙台市北山の光明寺、大郷町の3か所にあります。

2008年02月01日

北上川から阿武隈川までの貞山堀

石巻市の旧北上川河口から岩沼市の阿武隈川河口にかけて、総延長46kmに及ぶ日本一長い運河が通称貞山堀と呼ばれています。この運河は、3つの区間からなっています。初めに開削が行われたのが、阿武隈川から名取川までの木曳堀であった。この区間は江戸初期に伊達政宗の命により川村孫兵衛が手がけたもので、米などの物資を安全に運搬する目的で作られたようです。

次に七北川から塩釜湾までの新堀が開通し、明治時代になると名取川と七北川間が築かれました。貞山堀とはこれらを総称して明治時代に名づけられたもので、貞山とは伊達政宗の諡号(おくりな)に由来している。一方松島湾から北側には鳴瀬川と松島湾を結ぶ東名運河、鳴瀬川と北上川間の北上運河があります。

東名運河と北上運河は明治初期に国家プロジェクト野蒜築港に伴って作られたものです。石巻市にはこの野蒜築港で築かれた石井閘門があり、国の重要文化財に指定されています。明治時代には蒸気船が行きかった運河も、今では林に囲まれたり葦の茂みの中でひっそりと静まりかえっていますが、サイクリングロードが整備されたため、憩いの場として地域住民に親しまれているようです。

2008年02月02日

幽玄の世界へ誘う登米の薪能

江戸時代に仙台藩で演じられていた金春大蔵流(後の大蔵流)の能が、現在も登米市で継承されています。これは登米伊達家の流れを汲むもので、山間の閑静な場所に造られた森舞台で、かがり火の中幻想的な舞台が繰り広げられます。森と舞台と観客席が一体となった見事な空間が幽玄の世界に誘ってくれます。

舞台の設計は建築家の隅研吾氏によるもので、正面奥鏡坂の老松と若竹は、日本を代表する若手日本画家である千住博の作です。舞台下の音響装置は京都西本願寺の北能舞台を参考にしたものだといいます。この森舞台は日本建築学会作品部門に入賞した登米市の新しい文化遺産でもあります。

舞台と相対する客席が竹林、楓など美しい緑で囲まれており、ゆったりとした空間で繰り広げられる能の舞が一層際立って見えます。毎年9月に上演されるこの薪能は、忍び寄る秋の気配を肌で感じながら、薪のほどよい暖かさも同時に感じられる贅沢な時間を提供してくれます。チケットの予約はお早めにとの地元からのメッセージです。

2008年02月10日

みやぎ三陸黄金海道-その1

石巻から金華山、志津川、本吉、気仙沼、唐桑まで、県北沿岸の市や町とJRが提携して設定した広域観光エリア「みやぎ三陸黄金海道」は、冬は、カキやアワビ、タコ、タラ、春は、ギンザケ、メロード、カレイなど、夏は、ウニ、ホヤ、秋はサンマと続くほか、春から秋にかけてはカツオと南三陸は四季折々に旬の味が楽しめます。

暖流と寒流が交わるこの金華山沖漁場は、正に黄金海道のなに相応しいといえるでしょう。また、古くは藤原三代の平泉文化の象徴とも言うべき、黄金の歴史が重なり合ってより深みのあるルートであることを実感させてくれます。さらに、リアス式海岸の荒々しさとは対照的に、素朴で温かみのある人々との触れあいもまた訪れる人の心に響くことでしょう。

まず振り出しの石巻では、海と魚のマーケット「石巻市民市場」がある。沿岸から水揚げされたばかりの新鮮な魚介類が勢揃いしています。ここには観光客ばかりか地元の人も旬の味を求めて集まってきます。ホヤ、ウニ、ホタテ、サワラ、タイ、金華サバ、マンボウといったところでしょうか。特に金華サバは締めずに刺身にして味わえるそうです。

2008年02月11日

みやぎ三陸黄金海道-その2

次は女川町の「マリンパル女川」です。ここでは生きた魚をその場で食べられるというのが売りのようです。まずは、魚と海洋をテーマにした展示館、「水産観光センターシーパルⅠ」からご案内しましょう。女川港に水揚げされる新鮮な魚の調理方法を、最新の映像システムで視覚体験できるコーナー、名誉館長でもある中村雅俊さんのコーナーもあります。

次は、「水産物流通センターシーパルⅡおさかな市場」です。お土産に最適な水産加工品がずらりと並んでおりますが、鮮度のよい魚介類ばかりなので、午前中に完売してしまうこともしばしばあるということです。買い物のあとは二階のレストランでシーフード料理を楽しめるというのもしゃれていますね。

なにしろここ女川町は、サンマの水揚げでは日本屈指の港で、ベストテンの常連組ですから、シーズンには当然旬のサンマを買い求める観光客で賑わいます。また、このあたりからリアス式海岸が始まりますので、海沿いの398号線を雄勝方面向かうのも面白いかもしれません。ただし、車の運転にはくれぐれもご注意ください。

2008年02月12日

みやぎ三陸黄金海道-その3

気仙沼のリアスシャークミュージアムは、サメの水揚げ日本一でフカヒレ生産も日本一です。海鮮市場「海の市」では、世界中に知られているフカヒレを使った珍しい加工品が揃っています。その2階はレストランや寿司店があり、フカヒレ料理も手ごろな値段で味わえますし、サメの博物館や生きたサメに直接触れられるシャークライブリーもあります。

特に圧巻なのは、海鮮市場2階にある「フカヒレ・や」は、フカヒレ専門の中華料理店です。ここでは店長が自ら気仙沼の魚介類と周辺の食材を厳選して調理しています。お奨めは「フカヒレ姿入りラーメン:1500円」、他には「フカヒレ丼:」1300円」、「フカヒレ姿煮:2600円」などもあります。麺は極細であっさりとしたスープが旨いと評判です。

この他に、氷の水族館などもありテレビでも紹介されています。なにしろ、気仙沼は気仙語などでも知られている独特の文化圏を形成していることや、日本有数の遠洋マグロ基地でもあることから、観光地としての人気も高まってきています。もちろん、寿司ネタも石巻、塩釜などと並んで天下逸品で値段も手ごろです。

2008年02月13日

みやぎ三陸黄金海道-その4

JR気仙沼線大谷海岸駅構内には、道の駅大谷海岸「はまなすステーション」があります。ここは、子供たちに大人気のマンボウを飼育していることでも知られていますが、観光情報コーナーや海の見えるレストラン「ビーチメモリー」もあります。また、このまなすステーションの隣にある「農林水産物直売センター」では地元で生産・加工した海産物や農産物が直売されています。

殻つきウニ、ホタテ、ホヤなどなどのほか、本吉町の天然岩ガキ(7月)も直売されています。もう一つの道の駅は、平成5年にオープンした旧河北町(現石巻市)の「上品の郷:じょうぼうの郷」では、名物のべっこうシジミが販売されています。毎年の解禁日は6月1日となっていますので、もう少しまたなければなりません。

このシジミは粒が大きく、じょうぼうの郷にあるレストラン「栞:しおり」で北上産のワカメやべっこうシジミがたっぷり入ったシジミラーメン(750円)として提供されています。この地区は、北上川の河口に当たるため、ホタテの味も際立ったものがあり、地域の自慢の一つにもなっているようです。

2008年02月14日

みやぎ三陸黄金海道-その5

陸中海岸国立公園は、岩手県久慈市から宮城県気仙沼市まで南北180㎞、面積1,212haの太平洋岸の公園です。リアス式海岸で知られこのあたりには、久慈、宮古、釜石、大船渡、そして気仙沼などの多くの漁港が点在していますが、これらの港を結ぶ海岸線上にある唐桑半島には、巨釜(おおがま)半造(はんぞう)と呼ばれる景観が続いています。

その中でも、巨釜の海中にニョッキリと灯台のように立っている「折石(おれいし)は見事です。また、陸中海岸国立公園の最南端に位置する岩井崎石灰岩の岩礁では、有孔虫やサンゴの化石を見ることができますし、潮吹岩では満潮時であれば十数mも岩の間から潮を吹き上げる光景が見られます。

さらに南下すると、旧志津川町(現三陸町)と旧北上町(現石巻市)の堺にある神割崎があります。二つに割れた奇岩の間から見える太平洋が何ともいえない景色です。神割崎の名前は、その昔、村同士の境界争いを仲裁するため、神様が二つに割ったという言い伝えによるとされています。いずれ劣らぬ景色と潮風が自慢の黄金海道です。

2008年02月23日

北上川とその支流の魅力

登米地方は北上川の豊な恵みを存分に活用している。その昔船着場でもあった登米では、市内の有志が集い北上川と触れ合う「北上川かっぱの会」を結成し、北上川遊船体験ができるさくらクルージングや米谷花火クルージングなどを催している。悠久の北上川を屋形船で楽しむこの企画は、4月の花見時期と8月の納涼時に行われます。

また、北上川の支流である大関川につくられた河川敷公園(三滝堂ふれあい公園)では、渓流の景色ばかりではなく、古生代二畳紀の海の堆積物である子持ち岩が見られます。川遊びができることから、夏休みには子供たちに大人気です。テントは有料で貸し出されていますが、自由に楽しめるのが好評のようです。

一方の支流鱒渕川では、源氏ボタルが鑑賞できます。ここは国の天然記念物「源氏ボタルの集団生息地の北限」とされていますが、長期に亘る地域住民の保護活動が実って誕生したサンクチャリーです。毎年6月下旬から7月上旬にかけて、夕刻、ホタルの光を鑑賞できるとのことです。夕闇に浮かぶ光のページェントが堪能できそうですね。

2008年02月24日

3万株のあじさい鑑賞

登米市石越地区にあるチャチャワールドいしこしは、レーシングサーキットやスカイサイクルなどが楽しめるレジャー施設です。冒険ランドではスリル満点のマッハコースターや登山電車、どんぐり山の冒険砦などもあります。また、散策コースは花園になっており、園内には植栽面積4haのあじさいが見られます。

6月から7月中旬にかけて、和品種、洋品種合わせて70品種、約3万株のあじさいが咲き競う。また、自然とのふれあいをテーマにした各種の体験メニューが用意されています。例えば、東和地区の「キノコ体験」、「陶芸体験」、「江戸独楽の絵付け体験」、「草木染めやタペストリーの絵付け体験」、南方の「農業体験、農村生活に触れる体験」、などです。

また、登米地区では「しいたけ植菌や炭焼き体験」があるほか、「りんごの木のオーナー制度」なども用意されており、おいしいりんごを収穫することができます。この制度は1本10500円でりんごの収穫権を購入すると、80~100個の保証が付くというものだそうですが、自然に触れ合いながら収穫を楽しむことの方が、遥かに価値がありそうですね。