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みやぎの見所 の記事

2007年10月18日

伊達政宗が再建した国宝瑞巌寺

瑞巌寺の正式名称は、「松島青龍山瑞巖円福禅寺」と称し臨済宗妙心寺派の禅寺である。伊達政宗が再建した本堂などが国宝や重要文化財に指定されており、天長5年(828年)比叡山延暦寺第三代座主、自覚大師円仁によって開創されたため、当初は天台宗に属していた。

延福寺と称した当時は、平泉の藤原氏や鎌倉の庇護を受けていたが、戦国時代に衰退したのち、江戸時代になり伊達政宗が再建に着手して、現在の大伽藍を完成させた。材料は紀州熊野より運び京都や根来の名工の手で5年の歳月を費やしたと言われている。

国宝の本堂は回廊が巡らされており、欄間や唐戸の彫刻、各部屋を飾る襖絵は豪華絢爛そのものである。宝物殿には各種の文化財や伊達家とのかかわりを示す展示物がある。また、杉林に囲まれた長い参道の右手には洞窟群があり、無数の墓標が納められている。
『参考図書:みやぎ発見の旅(㈱廣済堂)、let’sみやぎ(河北新報出版センター)、その他』

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2007年10月19日

松島に映える観瀾亭

観瀾亭とはさざ波を見るところという意味で、文禄年中に豊臣秀吉から伊達政宗が拝領した伏見桃山城の茶室である。江戸品川の藩邸に移築したものを、二代藩主吉村忠宗が松島に移したもので、東西に向き京間18畳2室からなる簡素なたたずまいが特徴です。

床の間の貼付絵や襖絵は、壮麗な極彩色で描かれており、柱1間6尺5寸の京間であることから桃山時代の趣を今にとどめている。ここは鮮やかな松に彩られた日本三景を堪能しながら、静かに抹茶を楽しむことができるという落ち着いたスポットです。

なにしろ、この観瀾亭は別名「月見御殿」とも呼ばれ、その昔には藩主の納涼や観月のため藩主・姫君・側室等の松島遊覧、幕府巡見使の諸国巡回の際の宿泊や接待施設となる「御仮屋」として利用されていたという公式な記録が残されております。
『参考図書:みやぎ発見の旅(㈱廣済堂)、let’sみやぎ(河北新報出版センター)、その他

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2007年11月01日

今が見ごろの栗駒山麓の紅葉

標高1,627.4mの栗駒山、宮城、秋田、岩手の3県境に位置その頂上に立つと、鳥海山、月山はじめ蔵王連峰はもとより、遠く太平洋まで望むことができる。ここには尾瀬や八幡平と並ぶ高山植物の宝庫としてもよく知られている世界谷地が広がっている。

栗駒地区からの登山コースだけでも4ルートあるとのことであるが、花山地区からの東栗駒コースは、初心者や家族連れでも山頂を目指せるルートとして人気が高い。また花山地区には、花山・緑の森トレッキングコースがあり、林道や滝めぐりなどの散策が楽しめる。

その栗駒山が、今紅葉の赤がさえわたっている。最近はご無沙汰なのでテレビ桟敷から中継で我慢していただきたいと思いますが、紅葉をみるならお奨めのスポットの一つです。もう山は寒いのではなどという心配はご無用です。何しろ山が真っ赤に燃えていますから。

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2007年11月02日

縄文人の暮らし体験してみませんか

日本三景松島の裏座敷には全国屈指の貝塚密集地があります。その中でも奥松島宮戸島で発見された里浜貝塚は6000年前から2000年前まで続いたもので、東西640m、南北200mの規模は日本最大級を誇っており、国の史跡にも指定されています。

奥松島縄文村歴史資料館には、ここから出土した土器が展示されている他、縄文人の暮らしぶりを解説しています。また、子供たちには火おこし体験が人気のようで、マッチのない時代にどのようにして火をおこしていたのかを体験することができます。

宮城県では、世界遺産の登録を目指して準備を進めているほどですから一見の価値がありそうですが、何よりもゆったりとした縄文人の生活に触れてみることで、スローライフの原点が見えてくるかもしれません。是非ロマン溢れる奥松島にも足を伸ばしてください。

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2007年11月03日

往時をしのぶ野蒜築港跡

明治新政府は、わが国初の国家プロジェクトとして、近代築港事業に着手したのがこの地野蒜(現在の東松島市)でした。東北の物流拠点として選んだのは、この野蒜港を拠点として北上川と松島湾、阿武隈川を運河で結ぶという遠大な構想であったという。

このとき既に存在した貞山堀が拡幅されたほか、北上運河や東名運河もこの時に築かれ、鳴瀬川河口左岸には市街地が造成され、明治15年には内港が開港し、蒸気船がにぎやかに運河を行き交った。しかし明治17年9月の台風で港は壊滅的な被害を受けてしまった。

この被害の大きさにショックを受けた新政府は、未着工であった外港の建設を中止することに決めたため、野蒜築港は幻に終わってしまった。当時使われた石のローラーや赤レンガの橋台、東北初の測候所の碑などが市街地跡に残されており、往時の面影を偲ぶことができます。

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2007年11月13日

北上川河口のヨシ原

石巻市北上町の北上川河口から約15km上流にかけて、両岸の河川敷にヨシ原が広がっています。ヨシ原は水流を緩やかにし、水辺の侵食を防止するほか、動植物に良質の住家や餌場を提供しており、なかでもオオヨシキリなどの野鳥の繁殖地にもなっています。

川風になびくヨシの大群落は広大な空間に交響曲を響かせる。この音が環境庁のお耳に止まり、将来に残したい音として平成8年に「日本の音風景百選」に選ばれました。四季折々の風が広大なヨシ原に響きわたる様子は、巨大なオーケストラであると評する人もいます。

また、冬の風物詩にもなっているヨシ刈は、多くのカメラマンや観光客を楽しませてくれます。付近に生息する微生物とともに水を浄化する働きもあるこのヨシ原は、天然のろ過装置の役割も担っています。黄金色のヨシ原を眺めながら大自然が織りなすハーモニーを満喫するというのは如何でしょうか。

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2007年11月20日

わらじ村長の偉業

わらじ村長の愛称で知られる鎌田三之助は、明治から昭和にかけて鹿島台(現在の宮城県大崎市鹿島台)の村長を務めた人物です。村長の滅私奉公ぶりは徹底したものであったといいます。何しろ38年間の村長在任中、一切給料をもらわずに過ごしたというからすごいですね。

全国で講演した際に受け取ったお金も、小学校の教材費に当てたという。裕福な農家に生まれたとはいえ、並の人には到底できることではありませんが、驚くのはこれだけではないのです。つぎはぎだらけのズボンに脚半(きゃはん)、破れた帽子、そしてトレードマークのわらじといったいでたちです。

村には品井沼という大きな沼があり、増水のたびに水害を起こすことに頭を痛めていた三之助村長は、住民を説得してこの沼の干拓事業に取り組みました。今は、県内有数の穀倉地として知られるこの地方も、村長の献身的な努力が無ければなし得なかったと言われています。

2007年11月23日

初詣ベスト3-その1

宮城県はもとより東北地方でも最も初詣参拝客が多いのは、安産祈願で知られる鹽竃神社です。表参道は202段の石段があり本殿に辿り着くのは結構息が切れますが、アルコールなしでも体がホカホカあったまるので経済的であるうえ、ご利益も相当なものと言われています。

なにしろ、家内安全、身体健康、商売繁盛、社運隆昌、厄災消徐、海上安全、大漁満足、安産守護、交通安全、心願成就などとなっており、大抵の願い事は叶う勘定ですが、お隣に志波彦神社があるのも魅力の一つとなっているようです。なにしろ、昨年の初詣客は52万人と言われています。

ただ、ちょっと気になるのは巫女さんの数です。人出では2位の神社でも46人の巫女さんがいるのに、どうしてこんなに少ないのでしょうか?多分そんなことを詮索する人にはご利益が薄いのでしょうね。今年は方針を変えてひたすら祈ることにしたいと思います。

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2007年11月24日

初詣ベスト3-その2

東の横綱が鹽竃神社とすれば、間違いなく西の横綱は竹駒神社でしょう。昨年の人出も40万人とのことですからたいしたものですね。ご利益は、家内安全、商売繁盛、交通安全、厄除などとなっており、至ってシンプルですが、巫女さんの数では46人とどこにも負けておりません。

いやまた下世話な話をしてしまいましたが、本当にすごいのはそんなことではありません。この竹駒神社は、京都伏見の伏見稲荷、茨城の笠間稲荷とともに日本三稲荷として知られています。全国に3万社ほど稲荷神社があるといいますから、その格調の高さが窺われます。

また、旧暦2月の最初の午の日から7日間行われる初午大祭は、昔ながらの竹駒奴の毛槍投げ受けの妙技は見ものです。その他、境内にある馬事博物館には、馬具、彫刻、書画、秘伝書などの資料が展示されています。こちらもご利益の中身では負けていないようです。

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2007年11月25日

初詣ベスト3-その3

大崎八幡神社は昨年の人では10万人とやや道を開けられているという感じですが、仙台市の市街地にあることもあり人気度の高い神社です。ご利益はというと、厄除け、徐災招福、必勝、安産、戊歳・亥歳生まれの守護と一風変わった面持ちがあるご利益ですね。

また、巫女さんの数は10人で比較的小規模ですが、何せわが国最古の権現造りといわれる社殿は、華麗な安土桃山建築の特色が随所に見られる。それもそのはず、豊臣家に仕えていた当代随一の工匠たちの手によるもので、あの日光東照宮「眠り猫」の作者で左甚五郎のモデルとされている刑部左衛門国次の手による「にらみ猫」も見られます。

大崎八幡といえば忘れてならないのが、1月14日に行われる「どんと祭」です。正式には「松焚祭」というのだそうですが、白鉢巻に白さらし、口に含み紙をくわえた裸祭りで、勇壮であると評判ですが、私には「勇壮」というより「寒そう」にしか見えません。皆様も一度参加されてみては如何でしょうか。

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2007年11月28日

「樅の木は残った」の船岡城址

昭和45年に放送されたNHK大河ドラマ「樅の木は残った」は山本周五郎の原作によるものであるが、この題材になったのが歌舞伎の「伽羅先代萩=めいぼくせんだいはぎ」で有名な伊達騒動である。この事件は加賀騒動、黒田騒動とともに三大お家騒動と呼ばれた。

仙台藩3代藩主であった伊達綱宗が放蕩三昧であっため、叔父にあたる伊達宗勝等により強制隠居させられ、僅か2歳の伊達綱村が4代藩主に就任した。一般に伊達騒動と呼ばれるのはこの綱村隠居事件に端を発した寛文事件を指すといわれている。大叔父にあたる宗勝が後見人となり実権を掌握した後、家老の原田甲斐宗輔らとともに集権化を図った。

このドラマでは原田甲斐役の平幹次郎をはじめ、ドラマ発出演の田中絹代、国民的アイドルの吉永小百合、佐藤慶、高橋昌也、香川京子、志村喬、若林豪など豪華な顔ぶれが勢揃いした。このドラマのタイトルにもなった樅の木が、今もひっそりと船岡城址公園に残っている。

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2007年12月03日

みやぎ蔵王の樹氷めぐり

遠くシベリアからの季節風がもたらす雪雲と、アオモリトドマツの連携プレーによって育成されるスノーモンスター(樹氷の別名)は、ベテランの冬山登山家以外は目にすることはできません。しかし、最新鋭の観賞ツアー用の特製雪上車ワイルドモンスター号が安全に銀世界を案内しくれます。

標高1,100mの出発点から500メートルほど登ると樹氷原が広がります。そこには日々表情を変えるモンスターたちが立ちはだかり、冬山の厳しさについて語りかけているようにも見えますが、よくみると、愛嬌モノやどこなくアイドルにも似た面立ちにもあえるなど、急に親近感を覚える瞬間も体験できます。

この樹氷体験ツアーは往復2時間程度ですが、暖房が効いた特注キャビンの雪上車であるため、-10℃という厳しい外気との差を存分に堪能できます。晴天時には360°の樹氷原のパノラマを、荒天時には厳しい蔵王の冬将軍を体感できますし、運がよければ?短いツアーで両方の顔にお目にかかれるかもしれません。

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2007年12月08日

明治は遠くなりにけり

宮城県の北部に位置する登米市には、明治21年に建造された洋風建築が今も教育資料館として活躍している。この建物は当時ウイーン万博に派遣されヨーロッパ建築を学んできた宮城県の技師山添喜三郎の設計によるもので、旧登米高等尋常小学校の校舎として建造されたものである。

中央の中庭を挟むようにコの字型に建物が配置され、両側先端には六方という生徒の入り口があり、中央には玄関と白いバルコニーが置かれた造りである。白いバルコニーの2階部分は、いかにもハイカラな欄干が施されているほか、柱はアイオニックオーダというギリシャ様式の柱頭で飾られているとい凝った造りである。

教室に繋がる吹き抜けの廊下は、現在の建物とは一味違う開放感があり、明治の人々の教育に対する取り組み姿勢が偲ばれます。アメリカのコロニアルスタイルを模したというX字型の欄干や2階廊下のミミズクのデザインは、生徒の勉強ぶりを見守るという意味があるというから、ゆったりとした中にも本質を忘れない力強さが伝わってくる気がします。

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2007年12月12日

仙台藩の藩校有備館

仙台藩祖伊達政宗公が仙台の青葉城に移るまでの12年間、岩出山に居城していたのが岩出山城です。その城の二の丸が1663年(寛文3年)に焼失したため仮居所として立てられたのを移築したものがこの有備館です。始めは「春学館」と呼ばれていましたが、現在地に移された際に「有備館」と改められました。

岩出山伊達家3代敏親(としちか)が家臣の子弟を教育するために開いたもので、単層寄棟書院造り、藁葺き屋根が落ち着いた雰囲気をかもし出していますが、庭園は回遊式池泉庭園と呼ばれるもので、仙台藩の茶道頭石州流3代清水道竿によって1715年(正徳5年)につくられたものです。

池には島が浮かび、茶室も置かれており、ゴールデンウイークや紅葉の季節には茶会も催されるほどで、宮城の名園の一つに数えられています。かつて伊達家が治めていた岩出山は、京の冷泉家から輿入れがあったこともあり、「伊達の小京都」とも呼ばれた城下町で、この有備館の周辺には往時の面影が随所に残っています。

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2007年12月13日

大仏造営に一役買った涌谷の砂金

日本最古の金が採集されたのがこの涌谷です。ちょうどこの時期国家を挙げて取り組んでいたのが、あの奈良の大仏建造であったが、聖武天皇は産金を大いに喜び、年号を天平感宝と改めたといいます。この時代、国力は安定してきたとはいえ、内外には色々と不安を抱えていた時代であったため、国威を内外に示す狙いで大仏建造に取り組んだと考えられています。

高さ18mもある当時としてはとてつもない大きさの大仏を銅で鋳造し、金メッキを施すという遠大な計画であったが、当時の日本では金は産出されず、全量確保する目途が立っていなかった。しかし、794年(天平21年)、陸奥国守百済王敬福から産金が報じられ、金900両(13kg)が献上された。

この百済王敬福という人物は、朝鮮半島の百済国が滅んだとき日本に帰化した王族の子孫で、百済は日本に先進技術をもたらした国であり、この金採集も渡来系の人材の功があったればこそ実現できたのである。かくして、涌谷の金により大仏は無事鍍金されることとなり、752年(天平勝宝4年)、盛大に開眼供養が行われたという。現在の「天平ロマン館」一帯が産金場所であったことが後の調査で確認されている。

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2007年12月17日

全国の鉄道フアンに別れを告げた「くりでん」

大正10年12月に石越~沢辺間(8.85km)が部分開通したのが、くりでんこと栗原田園鉄道の前身です。昭和17年12月には細倉鉱山までの全線26.2kmが開通し、細倉鉱山で採取された鉱石や沿線で収穫された穀物などの輸送を担ってきました。最盛期には石越から東北本線に乗り入れ、仙台まで直通する列車も運行されたほどです。

その後は順調に輸送収益を伸ばしてきましたが、昭和51年をピークに減少し始め、昭和63年に細倉鉱山が閉山されると急激に経営状態が悪化したため、鉱山跡地を改装して細倉マインパークを開園し観光客の誘致を図りましたが、利用客数の減少傾向には歯止めをかけることができませんでした。こうした状況を重く受け止め、沿線自治体などが協議した結果、第三セクター方式で再起を期することになり、その名もくりはら田園鉄道と改められました。

これを機に、これまでの電化を廃止して運行経費の安い気道車に変更し、1両単行のワンマンカー運行とすることとしたほか、殆どの駅を無人駅にして運賃もJRの約2倍に設定しました。しかし、こうした努力も空しく赤字はどんどん累積されるばかりであったことから、ついに平成19年3月で廃止しバス輸送に切り替えることとなってしまいました。多くの鉄道フアンから愛されたあの勇姿はもう見ることはできません。

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2007年12月22日

厳冬の松島、雪化粧の五大堂

松島のシンボル五大堂は、大同2年(807年)に坂上田村麻呂が東征のおり毘沙門堂として建立したのが最初。後に自覚大師円仁が円福禅寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、「大聖不動明王」を中央に、「東方降三世」、「西方大威徳」、「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王を安置したことから、五大堂と呼ばれています。

現在の建物は、伊達政宗公が慶長9年(1604年)に再建したもので、桃山式建築の粋をつくして完工したものです『電脳松島絵巻:松島観光協会より』。平成18年8月に33年に一度の御開帳が行われた後、今はひっそりと雪化粧の準備にはいっているようです。

この五大堂の雪景色、写真や映像ではご覧なった方も多いと思いますが、実際にじっくり眺めるチャンスは、地元の私たちにもめったにありません。静寂で荘厳な空間に浸ってみるというのはいかがでしょうか。オフシーズンならではのお薦めスポットです。自分探しの旅にはぴったりの雰囲気だと思いますが。

2007年12月25日

日本初の世界一周者-若宮丸乗組員

石巻湊米沢屋平之丞の持ち舟で800石積24反帆の若宮丸は、船頭の平兵衛(平之丞の息子)等16名が乗組み江戸に向かって出帆した。寛政5年(1793年)のことである。積荷はといえば、仙台藩御用米1332表と御用雑小間木400本であったという。この航海の途中福島県岩城沖で暴風雨に遭い漂流しアリューシャン列島のアッカ島に漂着した。この島で船頭の平兵衛が病死したが、津太夫以下15名はロシアの貿易商と出会い助けられた。

その後、バイカル湖の南のイルクーツクに8年間滞在した後、亨和3年(1803年)首都ペテルスベルグで皇帝アレクサンドル1世に謁見し、同年6月津太夫ら4名はロシアに帰化し、通訳となった善六とともにロシアの軍艦ナディ-ジタ号で日本に向かった。バルト海のクロンシュタット港を出港した後、南アメリカのホーン岬を回りハワイ島を経て文化元年(1806年)9月6日長崎に入港した。

帰国した4人はその後幕府の厳しい取調べを受けた後、津太夫と左平は寒風沢(塩釜市)へ、義兵衛と多十郎は室浜(東松島市)へ帰郷した。この間10年の歳月が流れていた。船首平之丞は寛政11年(1799年)、彼らの帰還を絶望して石巻市の禅昌寺で七回忌を行っていた。そのときの供養塔が1989年に庭園工事をしたとき発見され、今も乗組員の数奇な運命を訪れるものに語りかけている。

2007年12月26日

「大漁唄い込み」のふるさと田代島

エンヤドットの掛け声で有名な「大漁唄い込み」は、その昔斎太郎節と呼ばれていました。斎太郎とは人の名前で、彼は石巻にある伊達藩の鋳銭場(造幣所)で働いていたが、ふとしたことからトラブルを起こし、その罪を問われて田代島(石巻市)に島流しにされてしまいました。

彼はその後この田代島で漁師をしながら余生をおくったが、その時に舟を操りながら歌ったのが「斎太郎節」であるといわれています。これを宮城県の民謡歌手が編曲して「大漁唄い込み」となったものです。威勢の良い掛け声から察すると、斎太郎は漁師として成功したのではないかと勝手に想像しています。

確たる根拠があるわけではありませんが、それ程重い罰を受けたとも思えない彼が、何故一生をこの島で過ごしたのかと考えたとき、ふとそう思ったのです。もしかすると成功などはどうでもよく、気楽な稼業がことのほか気に入ってしまったのかも知れませんね。いずれにしても、毎日が大漁だったことだけは確かのようでうらやましい限りです。

2007年12月30日

鳴子温泉郷の楽しみ方-その1

鳴子温泉は泉質が豊富で9種類の温泉を楽しむことができます。11種類の泉質があるといわれる日本の温泉ですが、鳴子温泉郷の5つの温泉には、そのうちの9種類の泉質が集中しています。「単純泉」「重炭酸土類泉」「「重曹泉」「食塩泉」「「芒硝泉・石膏泉」「明ばん泉」「緑ばん泉・炭酸鉄泉」「硫黄泉・硫化水素泉」「酸性泉」がそれです。

これらの泉質が絡み合って、色とりどりの温泉をつくり上げ、時間帯や日によって色が変わる温泉もあるほか、青湯(透明の湯)や赤湯(赤褐色の湯)、黒湯(黒っぽい湯)といった温泉もあります。また、この5つの温泉を全て楽しめる「湯めぐりチケット」も販売さています。1年間有効ですから季節ごとに訪れてみては如何でしょうか。

鳴子といえば、温泉を楽しむのはもちろんですが、昔はよく浴衣掛けで温泉街を歩くのが楽しみだったという人も結構いるようです。温泉地が大きく変貌を遂げている現在、昔ながらの街並みがそっくり温存されているのも鳴子温泉郷の特徴でもあります。もしかすると鳴子塗りの掘り出し物が見つかるかもしれません。

2007年12月31日

鳴子温泉郷の楽しみ方-その2

鳴子温泉郷は泉質が豊富なので、温泉のはしごをするという楽しみ方がお奨めですが、そのほかにも色々な楽しみ方があります。例えば、秋の紅葉シーズンは有名な鳴子狭の散策、冬はスキー、夏はゴルフといったところが定番ですが、そんなアクションはとてもという方には、日本こけし館がお奨めです。

ここでは、童話作家の深沢要氏のコレクションを中心に、11系統あるこけしが展示されており、実演コーナーには名工たちが交代でつめ、訪れるものの目を楽しませてくれます。この場所はちょうど鳴子狭の真上にあたる場所で、鳴子を見下ろす高台になっていますから、すばらしい眺望が楽しめます。

また、ちょっと足を伸ばせば、鬼首温泉のかんけつ泉「弁天」が見られます。温泉の地熱で周期的に熱湯や蒸気吹き上げるこの現象は、日本有数のものといわれていますが、100度を超える熱湯を轟音とともに15m以上も噴き上げる様は豪快そのものです。10~15分おきに繰り返されるこのドラマは、永遠に完結することはないようです。それではまた来年お目にかかりましょう。よいお年を!

2008年01月03日

愛子さま誕生で脚光を浴びた「愛子駅」

仙台と山形を結ぶ仙山線に愛子(あやし)という駅がある。2001年12月に愛子さまが誕生されたのを機に一躍有名になり、普段は殆ど売れない入場券が連日千枚を超え、中には結婚式で配るといって大量に買い込む人もいたというくらいで、仙台駅から応援を呼んだほどの盛況ぶりだったといいます。

地名の由来は「愛子観音」にあるとされていますが、愛子さまの誕生後、駅から600mほど離れた観音堂まで住民が行進し、健やかな成長を祈願したということです。駅周辺は住宅やマンションが林立し、ドーナツ化現象で人口増が著しく、小学校や保育園、幼稚園などもあり、観音堂の周辺はにぎやかです。

「あやし」という言葉は、子供をあやすことを意味するもので、慈しみの心がにじみ出た響きがあります。この年を表す漢字に選ばれたのは確か「愛」だったと記憶していますが、今年は、これに匹敵するようなやさしい漢字が選ばれる年になればよいのですが、現実はそうあまくなさそうな雰囲気ですね。

2008年01月11日

護良親王埋葬伝説の地一皇子神社

一皇子神社は石巻市湊地区にある牧山山麓に抱かれた社です。後醍醐天皇の第三皇子である護良親王は、史実によれば、鎌倉で幽閉され足利直義に打たれことになっていますが、実は忠臣に手引きされ海路はるばる牡鹿湊(石巻市)に上陸し、南朝方の葛西氏に保護され再起を期したが、1346年この地でなくなったという伝説があります。

真実は今もって謎ではありますが、この一帯は昔から御所の入、御所の浦と呼ばれたことから、何らかの関連があったことは間違いなさそうです。境内には1275年から1492年までの220年にわたり建立された板脾が88基もあり、石巻市有形文化財第一号に指定されています。なかでも、後醍醐天皇の崩御を悼みその菩提を弔うために建立されたのが吉野先帝御菩提脾であるといいます。

大祭は毎年4月20日に行われ、かなりの荒れ神輿として知られていましたが、史実が確認された頃を堺に祭りへの参加者も次第に減少し始めたようです。しかし、地元の勇士は今も吉野朝時代の夢を旨に祭りを盛り上げています。地元の旧家には旗印も残っているとのことなので、由緒ある神社として長く語り継がれて行くことを願って止みません。

2008年01月16日

大崎八幡宮のどんと祭、今年はどうだったのでしょうか

毎年1月15日に行われる大崎八幡宮のどんと祭、今年は晴天にも恵まれ無事終了したようですね。新聞などの報道によりますと、裸参りの参加者は600団体、約2500人だそうですが、気温が2.2度だったといいますから、テレビで見ていても思わず身震いするような寒さの中、皆さんご苦労様でした。きっと今年はいい年になることでしょう。

とはいっても、私の場合はテレビに向かって参拝するだけですから、あまりご利益までは期待できそうもないわけですが、参加者は多彩で、仙台社会保険病院の医師、看護士総勢56人が加わったとのことです。また、女性の参加も年々増加しているようで、特に若い女性の装束もきりっと引き締まり力強く感じられました。

仙台の夜空を焦がすこのどんと祭、午後4時半ころ高さ3mに積み上げられた正月飾りに宮司によって点火されると、参拝者は燃え盛る火柱に向かって家内安全や商売繁盛を祈願する伝統の行事です。大崎八幡宮によりますと、午後10時現在の人出は昨年より2500人ほど多い約78000人ということですから、初詣に匹敵する賑わいだったようですね。

2008年01月18日

塩釜神社の荒神輿

春の風物詩として地域にしっかり定着している塩釜神社の帆手祭は、日本三大荒神輿の一つに数えられている。元々は正月の神輿洗神事で、火災鎮圧の祭りとして行われていたものを、毎年続いた火災により地域の景気が冷え込んだことを憂いて、1682に地域の若者が大明神に挽回を祈願したことに始まった。

その後海にゆかりのある「帆手祭」と呼ばれるようになったもので、厄払いや景気回復の願いを込めて神輿が繰り出される。祭りのクライマックスは何といっても、「男坂」と呼ばれる202段の表参道を重量1トンという荒神輿を、16人の若者が駆け上がる緊迫した瞬間である。見物人から思わず歓声が上がるひと時でもある。

この「帆手祭」は3月10日に行われるが、翌4月22日には「花祭」が行われる。こちらは寛永年間(1772~81年)の初めごろ、水害や日照りが続き農作物が全く実らなかったため、困り果てた農民たちが、塩釜神社にほうさく祈願したところ、気候も安定し作柄も回復した。このことを感謝して1778年に氏子祭りとして神輿を出すようになった。このほかにも、毎年海の日(今年は7月22日)に「みなと祭」も催される。

2008年01月20日

丸森町の蔵の郷土館「齋理屋敷」

宮城県の南端に当たる丸森町の中心部に重厚な建物が残されています。その名は「齋理屋敷」といい、1804年(文化元年)に創業したという齋藤家の屋号を冠した豪商の店蔵で、「蔵の郷土館」として親しまれています。代々の当主が齋藤理助と名乗ったことからその名がついたといわれていますが、何しろ豪商であったことが偲ばれます。

初めは呉服と太物を扱っていたが、この地方一帯で養蚕が盛んになったことから、生糸も扱うようになり、有数の豪商に発展したということです。幕末には手前金(手元金)が2万両という記録があるというから凄い。現代でいえば上場の大企業並みの規模を誇っていたことになりますが、これに飽き足らず、明治維新後は農地を買い集め小作米が2千俵、農地は100ヘクタールを越えたということです。

明治、大正時代には社会事業なども手がけたが、戦後の農地改革を期に店を閉めて仙台に移り住んだ。蔵や屋敷、それに収蔵品は当主から町に寄贈されたもので、敷地内には10の蔵と2つの邸が並び、蔵の中には代々の旦那が集めた数々の宝物があるほか、表通りには、160年前に建築されたという店蔵が、豪商の威厳ある面影を今に伝えています。

2008年01月21日

三角油揚げで有名な定義如来

作並温泉から東北へ6kmほどの距離で、大倉ダムの先にある定義地区には、「定義如来」の名で親しまれている極楽山西方寺があります。この地区は、平重盛(清盛の長男)に仕えた平貞能が平家滅亡後、源氏の追っ手を逃れてこの地に棲みつき、「定義」という名に変えて平重盛から預かった阿弥陀如来の宝軸を護った事に始まります。

重臣の末裔早坂源兵衛が出家してこの寺を開いたと伝えられています。山門に向かって真っ直ぐに伸びる参道の両側には、みやげ物店が並んでおりますが、その中でひときわ目を引くのが「三角油揚げ」です。宮城県産の大豆を使っているためか、サクッとした歯ごたえが人気で、揚げたてを醤油と七味で食べるのがシンプルでいいですね。

また、この定義にはもう一つお奨めの食べ物があります。それは「やきめし」です。といってもチャーハンではありません。太鼓型のおにぎりのことですが、縁結びのご利益があるといわれ、みそ焼きやニンニクみそ、シソ巻きなどがあります。少しはなれた場所には五重塔や庭園もありますから、お参りの後のんびり過ごすのもいいかもしれません。

2008年01月22日

奥州の豪商金売橘冶(吉次)伝説

大河ドラマには、金売吉次という名前で度々登場するこの人物、実は宮城県の金成(現在の栗原市)の出身なのです。奥州藤原氏との関係も深く、若き日の源義経(牛若丸)を平泉の藤原秀衡に導いたのも橘冶といわれている。この人の親に当たる炭焼藤太なる人物の伝説がまた実に豪快である。伝説によるとこの人は、京都の右大臣の娘おこやが清水寺の観音様のお告げで藤太のもとに嫁いできた。

ある日おこやは藤太に砂金を渡し、姉歯の市で買い物をして来るよう頼んだが、藤太は途中で鶴を見つけ、砂金を投げつけ捕まえようとしたが失敗した。おこやが砂金の価値を知らない藤太にいって聞かせると、そんなものは幾らでもあるといって、炭焼窯の回りに積んだ砂金をおこやに見せる。その後、藤太は金売りになり財を成したという。

金売橘冶(吉次)はこの藤太の子とされている。金成には藤太夫婦の墓や橘冶(吉次)の居館の東館跡とされる金田八幡宮がある。砂金の価値を知らなかったというあたりがなんとも素朴で微笑ましいが、そんなものは幾らでもあるといったというのは、スケールが大きい話ですが、もしかすると、昔ここの辺には金の成る木があったのかもしれません。それで金成という地名になったのかも?

2008年01月24日

雄勝硯伝統産業館

石巻市雄勝地区で硯の生産が始まったのが、室町時代でおよそ600年の伝統を誇っています。この雄勝地区は硯の原料である黒色粘板岩の埋蔵量が多く、ほどよい堅さと柔らかさもった石質であるため、現在でも全国一の生産量をキープしており、雄勝石のブランドとしても評価が高いといわれています。

雄勝硯伝統産業館には、雄勝硯の名品に加えて日本一大きい硯なども展示されているほか、名工の実演も見られます。また、雄勝石はスレート材として屋根などの建築材料としても利用され、明治時代にはJR東京駅や北海道庁の屋根にも使われました。

江戸時代には仙台藩がお留山として、一般の砕石を許さなかったというぐらいですから、当時から宝の山だったのでしょうが、そのお陰で資源が護られたのかもしれませんね。天然の素材を多方面に活用する試みもあるようですが、国の伝統工芸品にも指定されている雄勝硯だけでも十分魅力的で一見の価値があると思います。

2008年01月25日

ニッカウイスキー仙台工場

仙台市の市街地を流れるあの広瀬川、その支流に合流しているが新川である。仙山線の奥新川駅と八ツ森駅の間には緑と渓谷のハイキングコースがあり、大小の滝に親しむことができるし、川原では釣りも楽しめます。特に秋の紅葉は素晴らしく芋煮会の会場としてもよく知られていますが、ニッカウヰスキー仙台工場所在地としても有名です。

この工場は、北海道の余市についで建てられた蒸留所で、赤レンガ造りのユニークな建物が周りの緑と見事に調和しています。ここでは、醸造・蒸留から貯蔵までの製造工程をガイドが案内してくれます。工場見学終了後にはウイスキーやソフトドリンクなどの試飲も楽しむことができます。

ウイスキーの父が捜し求めて辿り着いたという理想地と言われるだけあって、観光スポットしても人気が高く、左利きの方には特にたまらないようです。春から初夏にかけては新緑、秋はもちろん紅葉、そして冬の雪化粧もまた独特の趣があります。近くには作並温泉や秋保温泉もあり気軽に立ち寄れることも魅力の一つのようです。

2008年01月26日

磊々峡(らいらい峡)と秋保大滝

仙台の奥座敷である秋保温泉には磊々峡という渓谷があります。温泉街の入り口に当たる覗橋の上下流約1kmにわたって深さ20mの渓谷が続いています。覗橋から渓谷に沿って遊歩道があり「八間巌」や「奇面巌」、「時雨滝」、「三筋滝」などが30分ほどの散策で見ることができますし、少し上流には落差55m、幅6mの秋保大滝があります。

この滝は「日本三名瀑」の一つに数えられているほどで、国の名勝となっており、遊歩道で滝壷の近くまで降りることができます。さらに、ここを起点に名取川に沿って上流約8kmにわたり続いているのが二口渓谷です。ここでは谷底から約600m、幅3㎞という巨大岩壁(盤司岩)や姉滝、白糸の滝なども見られます。

また、大滝植物園では炭焼きが体験できるイベントも開催されるほか、秋保街道から川崎町に向かう国道457号から少し山に入ったところに、色々の分野の芸術家が移り住み制作活動を展開しています。石神ゆめの森というこの一画には、ギャラリー石神窯、アトリエ雲、はゆな花壇、カフェゆめの森、森遊舎、ほうねん座、石の屋、秋保蕎の家などが集積しており、作品の鑑賞・購入ばかりではなく体験できる工房もあります。

2008年01月27日

慶長遣欧使節団出帆の地「月浦」-その1

伊達政宗の命を受け、1613年(慶長18年)10月28日、支倉常長率いる慶長遣欧使節団がスペインに向けて出帆したのが月浦(つきのうら:石巻市)です。目的は仙台藩領内でのキリスト布教の許可と引き換えにメキシコ(スペイン領)と直接貿易の許可を得ることであっといわれています。

この使節団の遣欧は徳川幕府から正式に承認を得たもので、伊達政宗37歳のときであったといいます。徳川幕府による幕藩体制が整ったことから、戦が治まったためか正宗も貿易によって活路を開こうとしたのかもしれません。月浦を出帆したサン・ファン・バウティスタ号は、洗礼者聖ヨハネの意味を持つ。

この船は、伊達藩の船大工、幕府船手奉行、スペイン人ビスカイノ等によって造り上げられたもので、当時としては大帆船であったといいます。ビスカイノと宣教師ソテロが案内人となり、常長一行180人を乗せて出帆したサン・ファン・バウティスタ号が向かったのが、メキシコのアカプルコであった。

2008年01月28日

慶長遣欧使節団出帆の地「月浦」-その2

太平洋を横断する90日間の航海であったが、常長等はそこに多くの乗組員を残し、スペイン艦隊に乗り換えて大西洋を一路スペインに向かった。一向はセリビアで大歓迎を受けた後、マドリードでスペイン国王フェリペ三世に拝謁することができ、早速正宗からの書状を手渡した。その後、常長はキリスト教信者となるべく先礼を受ける。

「ドン・フィリッポ・フランシスコ・ハセクラ・ロクエモン」という洗礼名授かった常長は、ローマに向かい、ついに教皇パウロ5世に謁見することができ、ローマ市民権を受けるとともに貴族の位も与えられたが、貿易の交渉は前進しなかった。伊達政宗が日本国の一藩主に過ぎないこと、既に日本では禁教が始まっていたことによるものである。

月浦を出帆してから7年の歳月が流れたが、ついに目的を果たすことができないまま帰国した。幕府は常長が出帆した翌年にはキリスタン禁止令を敷いていたのである。常長の努力は報われること無く、帰国後は隠棲を余儀なくされ2年後にその生涯を終えた。常長のものと伝わる墓は、川崎町支倉の円福寺、仙台市北山の光明寺、大郷町の3か所にあります。

2008年02月01日

北上川から阿武隈川までの貞山堀

石巻市の旧北上川河口から岩沼市の阿武隈川河口にかけて、総延長46kmに及ぶ日本一長い運河が通称貞山堀と呼ばれています。この運河は、3つの区間からなっています。初めに開削が行われたのが、阿武隈川から名取川までの木曳堀であった。この区間は江戸初期に伊達政宗の命により川村孫兵衛が手がけたもので、米などの物資を安全に運搬する目的で作られたようです。

次に七北川から塩釜湾までの新堀が開通し、明治時代になると名取川と七北川間が築かれました。貞山堀とはこれらを総称して明治時代に名づけられたもので、貞山とは伊達政宗の諡号(おくりな)に由来している。一方松島湾から北側には鳴瀬川と松島湾を結ぶ東名運河、鳴瀬川と北上川間の北上運河があります。

東名運河と北上運河は明治初期に国家プロジェクト野蒜築港に伴って作られたものです。石巻市にはこの野蒜築港で築かれた石井閘門があり、国の重要文化財に指定されています。明治時代には蒸気船が行きかった運河も、今では林に囲まれたり葦の茂みの中でひっそりと静まりかえっていますが、サイクリングロードが整備されたため、憩いの場として地域住民に親しまれているようです。

2008年02月02日

幽玄の世界へ誘う登米の薪能

江戸時代に仙台藩で演じられていた金春大蔵流(後の大蔵流)の能が、現在も登米市で継承されています。これは登米伊達家の流れを汲むもので、山間の閑静な場所に造られた森舞台で、かがり火の中幻想的な舞台が繰り広げられます。森と舞台と観客席が一体となった見事な空間が幽玄の世界に誘ってくれます。

舞台の設計は建築家の隅研吾氏によるもので、正面奥鏡坂の老松と若竹は、日本を代表する若手日本画家である千住博の作です。舞台下の音響装置は京都西本願寺の北能舞台を参考にしたものだといいます。この森舞台は日本建築学会作品部門に入賞した登米市の新しい文化遺産でもあります。

舞台と相対する客席が竹林、楓など美しい緑で囲まれており、ゆったりとした空間で繰り広げられる能の舞が一層際立って見えます。毎年9月に上演されるこの薪能は、忍び寄る秋の気配を肌で感じながら、薪のほどよい暖かさも同時に感じられる贅沢な時間を提供してくれます。チケットの予約はお早めにとの地元からのメッセージです。

2008年02月10日

みやぎ三陸黄金海道-その1

石巻から金華山、志津川、本吉、気仙沼、唐桑まで、県北沿岸の市や町とJRが提携して設定した広域観光エリア「みやぎ三陸黄金海道」は、冬は、カキやアワビ、タコ、タラ、春は、ギンザケ、メロード、カレイなど、夏は、ウニ、ホヤ、秋はサンマと続くほか、春から秋にかけてはカツオと南三陸は四季折々に旬の味が楽しめます。

暖流と寒流が交わるこの金華山沖漁場は、正に黄金海道のなに相応しいといえるでしょう。また、古くは藤原三代の平泉文化の象徴とも言うべき、黄金の歴史が重なり合ってより深みのあるルートであることを実感させてくれます。さらに、リアス式海岸の荒々しさとは対照的に、素朴で温かみのある人々との触れあいもまた訪れる人の心に響くことでしょう。

まず振り出しの石巻では、海と魚のマーケット「石巻市民市場」がある。沿岸から水揚げされたばかりの新鮮な魚介類が勢揃いしています。ここには観光客ばかりか地元の人も旬の味を求めて集まってきます。ホヤ、ウニ、ホタテ、サワラ、タイ、金華サバ、マンボウといったところでしょうか。特に金華サバは締めずに刺身にして味わえるそうです。

2008年02月11日

みやぎ三陸黄金海道-その2

次は女川町の「マリンパル女川」です。ここでは生きた魚をその場で食べられるというのが売りのようです。まずは、魚と海洋をテーマにした展示館、「水産観光センターシーパルⅠ」からご案内しましょう。女川港に水揚げされる新鮮な魚の調理方法を、最新の映像システムで視覚体験できるコーナー、名誉館長でもある中村雅俊さんのコーナーもあります。

次は、「水産物流通センターシーパルⅡおさかな市場」です。お土産に最適な水産加工品がずらりと並んでおりますが、鮮度のよい魚介類ばかりなので、午前中に完売してしまうこともしばしばあるということです。買い物のあとは二階のレストランでシーフード料理を楽しめるというのもしゃれていますね。

なにしろここ女川町は、サンマの水揚げでは日本屈指の港で、ベストテンの常連組ですから、シーズンには当然旬のサンマを買い求める観光客で賑わいます。また、このあたりからリアス式海岸が始まりますので、海沿いの398号線を雄勝方面向かうのも面白いかもしれません。ただし、車の運転にはくれぐれもご注意ください。

2008年02月12日

みやぎ三陸黄金海道-その3

気仙沼のリアスシャークミュージアムは、サメの水揚げ日本一でフカヒレ生産も日本一です。海鮮市場「海の市」では、世界中に知られているフカヒレを使った珍しい加工品が揃っています。その2階はレストランや寿司店があり、フカヒレ料理も手ごろな値段で味わえますし、サメの博物館や生きたサメに直接触れられるシャークライブリーもあります。

特に圧巻なのは、海鮮市場2階にある「フカヒレ・や」は、フカヒレ専門の中華料理店です。ここでは店長が自ら気仙沼の魚介類と周辺の食材を厳選して調理しています。お奨めは「フカヒレ姿入りラーメン:1500円」、他には「フカヒレ丼:」1300円」、「フカヒレ姿煮:2600円」などもあります。麺は極細であっさりとしたスープが旨いと評判です。

この他に、氷の水族館などもありテレビでも紹介されています。なにしろ、気仙沼は気仙語などでも知られている独特の文化圏を形成していることや、日本有数の遠洋マグロ基地でもあることから、観光地としての人気も高まってきています。もちろん、寿司ネタも石巻、塩釜などと並んで天下逸品で値段も手ごろです。

2008年02月13日

みやぎ三陸黄金海道-その4

JR気仙沼線大谷海岸駅構内には、道の駅大谷海岸「はまなすステーション」があります。ここは、子供たちに大人気のマンボウを飼育していることでも知られていますが、観光情報コーナーや海の見えるレストラン「ビーチメモリー」もあります。また、このまなすステーションの隣にある「農林水産物直売センター」では地元で生産・加工した海産物や農産物が直売されています。

殻つきウニ、ホタテ、ホヤなどなどのほか、本吉町の天然岩ガキ(7月)も直売されています。もう一つの道の駅は、平成5年にオープンした旧河北町(現石巻市)の「上品の郷:じょうぼうの郷」では、名物のべっこうシジミが販売されています。毎年の解禁日は6月1日となっていますので、もう少しまたなければなりません。

このシジミは粒が大きく、じょうぼうの郷にあるレストラン「栞:しおり」で北上産のワカメやべっこうシジミがたっぷり入ったシジミラーメン(750円)として提供されています。この地区は、北上川の河口に当たるため、ホタテの味も際立ったものがあり、地域の自慢の一つにもなっているようです。

2008年02月14日

みやぎ三陸黄金海道-その5

陸中海岸国立公園は、岩手県久慈市から宮城県気仙沼市まで南北180㎞、面積1,212haの太平洋岸の公園です。リアス式海岸で知られこのあたりには、久慈、宮古、釜石、大船渡、そして気仙沼などの多くの漁港が点在していますが、これらの港を結ぶ海岸線上にある唐桑半島には、巨釜(おおがま)半造(はんぞう)と呼ばれる景観が続いています。

その中でも、巨釜の海中にニョッキリと灯台のように立っている「折石(おれいし)は見事です。また、陸中海岸国立公園の最南端に位置する岩井崎石灰岩の岩礁では、有孔虫やサンゴの化石を見ることができますし、潮吹岩では満潮時であれば十数mも岩の間から潮を吹き上げる光景が見られます。

さらに南下すると、旧志津川町(現三陸町)と旧北上町(現石巻市)の堺にある神割崎があります。二つに割れた奇岩の間から見える太平洋が何ともいえない景色です。神割崎の名前は、その昔、村同士の境界争いを仲裁するため、神様が二つに割ったという言い伝えによるとされています。いずれ劣らぬ景色と潮風が自慢の黄金海道です。

2008年02月23日

北上川とその支流の魅力

登米地方は北上川の豊な恵みを存分に活用している。その昔船着場でもあった登米では、市内の有志が集い北上川と触れ合う「北上川かっぱの会」を結成し、北上川遊船体験ができるさくらクルージングや米谷花火クルージングなどを催している。悠久の北上川を屋形船で楽しむこの企画は、4月の花見時期と8月の納涼時に行われます。

また、北上川の支流である大関川につくられた河川敷公園(三滝堂ふれあい公園)では、渓流の景色ばかりではなく、古生代二畳紀の海の堆積物である子持ち岩が見られます。川遊びができることから、夏休みには子供たちに大人気です。テントは有料で貸し出されていますが、自由に楽しめるのが好評のようです。

一方の支流鱒渕川では、源氏ボタルが鑑賞できます。ここは国の天然記念物「源氏ボタルの集団生息地の北限」とされていますが、長期に亘る地域住民の保護活動が実って誕生したサンクチャリーです。毎年6月下旬から7月上旬にかけて、夕刻、ホタルの光を鑑賞できるとのことです。夕闇に浮かぶ光のページェントが堪能できそうですね。

2008年02月24日

3万株のあじさい鑑賞

登米市石越地区にあるチャチャワールドいしこしは、レーシングサーキットやスカイサイクルなどが楽しめるレジャー施設です。冒険ランドではスリル満点のマッハコースターや登山電車、どんぐり山の冒険砦などもあります。また、散策コースは花園になっており、園内には植栽面積4haのあじさいが見られます。

6月から7月中旬にかけて、和品種、洋品種合わせて70品種、約3万株のあじさいが咲き競う。また、自然とのふれあいをテーマにした各種の体験メニューが用意されています。例えば、東和地区の「キノコ体験」、「陶芸体験」、「江戸独楽の絵付け体験」、「草木染めやタペストリーの絵付け体験」、南方の「農業体験、農村生活に触れる体験」、などです。

また、登米地区では「しいたけ植菌や炭焼き体験」があるほか、「りんごの木のオーナー制度」なども用意されており、おいしいりんごを収穫することができます。この制度は1本10500円でりんごの収穫権を購入すると、80~100個の保証が付くというものだそうですが、自然に触れ合いながら収穫を楽しむことの方が、遥かに価値がありそうですね。

2008年02月25日

北上川の渡し舟

登米市豊里鴇波洗堰上流から対岸の登米市津山柳津まで、日曜日を除く毎日11往復渡し舟が運行されている。定刻以外でも事前に連絡すれば舟を出してくれるといいます。今も地域の大事な足として重宝がられています、最近はちょっと事情が変わってきたようです。というのは、この渡し舟が数年前にテレビ番組で取り上げられてから、芸能人が訪れるようになったからです。

ある番組では、ダニエル・カールが来たし、TOKIOも乗せたと話すのは、船頭の今野正弘さん(75歳)でです。テレビ放映以来すっかり人気者になった今野さんは、たちまち地域の人気者になり、渡し舟も全国に知れ渡るようになったとか。県内はもとより東京や岐阜など遠方から乗りに来たというからたいしたものですね。

舟の座席はビールケース、屋根などはもちろんないのですが、クルージングをイメージして訪れた人も何故か新鮮味を感じて帰られるということです。矢切の渡しのように、「親の心に背いてまでも明日に漕ぎ出す」というような悲壮感などここにはありません。ゆったりとした川の流れ、のんびりとした対岸の景色、そして老船頭の笑顔が一枚の絵に納まっている感じです。

2008年02月27日

柳津虚空蔵尊

日本三虚空蔵尊のひとつに数えられている柳津虚空蔵尊は、神亀3年(726年)に万葉集で知られる行基が虚空蔵菩薩を刻んだことに縁起し、御本尊の脇に従う大黒天と毘沙門天は、弘法大師の作と伝えられている。現在は大土山の西麓にありますが、創建当時は山頂にあったと伝えられています。高さ10.5m、幅7mの大鳥居は、木製の鳥居としては東北一、全国でも三番目に大きいとされています。

境内には、撫牛という素焼きで造った臥せた牛の像があり、これを撫でれば家内安全・商売繁盛・如意吉祥のご利益があると言われています。また、一心に祈れば1つだけ願いが叶うと言われている七不思議と呼ばれるものがあります。「縁結びのケヤキ」は縁結び、イボ取りの神様、現在は焼けてしまっています。「雫の桜」は葛西氏の奥方が植えたと言われ、葛西氏滅亡後、晴れの日になると涙(雫)を落とすと言われています。

「一夜の松」は本堂の屋根吹替えの時に虚空蔵が曲げたと言われる樹齢350年以上の松の木、「月見の井戸」は空海(弘法大師)が昼間、この井戸に月・星を写して見せたと伝えられています。「片葉のよし」は中納言大友家持の庵の跡に生えていたと言われています。「黄土山の黄金水」は行基の秘法で湧き出た水。無病息災の水と言われています。「子育ての松」は幹の間に杉の木が見え、さながら子育てをしているように見えます。

2008年02月28日

横山不動尊(大徳寺)

登米市津山地区にある横山不動尊は日本三不動のひとつに数えられ、堂内には弘法大師の御作といわれる高さ約5mの木造の不動明王坐像が安置され、その胎内には黄金の尊像が納められています。その不動堂は有名な津山杉が鬱蒼と茂る山麓に威風堂々構えています。この像は保元の頃(1156~1158年)百済国から渡来したもので、この尊像を横山の中の森山中央に祀ったのが横山不動尊の始まりと伝えられています。

明王山金剛寺として約350年間続いたこの寺院も永正元年(1504年)に真言宗から曹洞宗に改宗の際に、白魚山大徳寺と改称され横山不動尊として呼び親しまれてきました。境内に立つ青銅五重塔は明和3年(1766年)に建立されたもので、国の重要文化財に指定されています。毎年9月末になると塔の周囲には淡紅色の秋明菊が咲き乱れ荘厳で優美な塔の姿をより一層際立たせてくれます。

境内全域が南三陸金華山国定公園に指定され、お池に生息する天然記念物のウグイもみどころの一つです。「うぐい」は 5月頃からお池を離れて加茂川を下り、産卵を終えた8月頃には池に帰ってくるということです。その習性や生態がよく観察できることから、昭和10年に天然記念物に指定されました。毎年4月と10月の27~28日に大祭が行われています。

2008年03月01日

石ノ森章太郎ふるさと記念館

漫画家石ノ森章太郎氏は登米市中田地区石森の生まれです。ここには生家が残っており、郷土が生んだ偉大な漫画家の少年時代を偲ぶことができます。1階にはかの有名なゴレンジャーや仮面ライダーなどの作品フィギュアがあり、2階の勉強部屋には少年時代に愛用した机などもあります。平成12年にこの近くに建てられたのが石ノ森章太郎ふるさと記念館です。

この記念館の入り口には、“投稿するボク”と題された石ノ森章太郎の子ども時代のフィギュアが設置され、その足元から、強化ガラスでガードされた”床下展示コーナーが、館の奥まで展開されています。ここでは、石ノ森先生の歴史が、ビジュアルに紹介されていますし、企画室には、著名な漫画家の先生方による特別展を年間通して開催しています。

普段見ることの出来ない原画や色紙など、多数の作品が展示されています。つい最近まで、第25回特別企画展「赤塚不二夫展」が開催されていましたし、常設のシアターでは「小川のメダカ」などの豪華オリジナルアニメも上映されています。また、毎年12月上旬~1月上旬にかけては、記念館前の庭がイルミネーションで飾られ、県北の光のページェントとも呼ばれ親しまれています。

2008年03月02日

みやぎの明治村

登米市には明治時代に建築された学校や県庁、警察署など洋風の建物が数多く残されています。以前に紹介した旧登米高等尋常小学校(現在の教育資料館:国の重要文化財)もその一つですが、その他にも、水沢県庁記念館や警察資料館はその代表格といっていいでしょう。水沢県庁記念館は、1871年(明治4年)、廃藩置県により登米が「水沢県」に編入された際に建てられたものです。

明治維新後の激動の歴史を今に伝える官庁建築であり、宮城県内の明治時代を代表する貴重な文化遺産です。また、1889年(明治22年)に建造され、1968年(昭和43年)まで登米警察署として使われていた凝洋風建築の特徴が見られる警察資料館は、警察の制服や白バイなどが展示してある全国唯一のものです。

一方、江戸時代には伊達一門の城下町だったこの地域は、武家屋敷や鈎型に折れ曲がった道路などが往時の佇まいを偲ばせてくれます。現在は寺池城址公園となっている登米の城跡、その一角に建っている懐古館(資料館)には、伊達家ゆかりの武具、生活用具などが展示され、幕末から明治にかけての暮らしぶりが身近に感じられる城下町です。

2008年03月22日

松島湾ベイクルーズの多様なメニュー

松島湾ベイクルーズ㈱が運行している周遊コースは、現在4コース(一部は4月1日から)あります。松尾芭蕉が河合曾良とともに1689年(元禄2年)6月24日朝8時に塩釜神社に参拝し、その足で塩釜港から手漕ぎ舟で島々を遊覧しながら、昼頃に松島に渡ったという。「奥の細道周遊コース」は300年以上前の江戸時代を彷彿とさせる超レトロなコースです。

また、少し時間に余裕のある方は、「奥松島・嵯峨渓周遊コース」をお奨めします。嵯峨渓は、耶馬溪(大分県)、猊鼻渓(岩手県)とともに日本三大渓のひとつに数えられています。松島湾内で最大の島である「宮戸島」の東側海岸線に位置し、湾内に点在する女性的で柔らかい島々とは対照的なリアス式海岸特有の男性的景観が楽しめます。

「松島湾ひとめぐりコース」というというのも面白いかもしれません。これは、松島港から、恵比寿島(えびすじま)、兜島(かぶとじま)、在城島(ざいじようじま)、鎧島(よろいじま)、鐘島(かねじま)、仁王島(におうじま)を巡って松島港に帰るというコースです。なお、30名以上の団体の場合は、「大高森一望コース」が臨時運行されることになっていますので、大高森の大展望台から湾内が一望できます。

2008年03月25日

連絡船で新しい松島発見

松島湾に浮かぶ260あまりの島の中で、人が住んでいる島は桂島、野々島、寒風沢(サブ沢)島、朴島の4島だけです。これらは浦戸諸島と呼ばれ、塩釜市のマリンゲートから市営の連絡船が出ていますが、生活の足であるだけに、観光船のようなガイドなどはありませんが、のんびりとした風景が広がり、ゆったりと時間が流れていくのを感じることができます。

この4つの島のうち、一番奥にあるのが「朴島」で人口わずか40人ですが、タブの原生林が生繁り、春は菜の花の黄色が島一面に広がります。その隣の島が「寒風沢島」で、江戸時代に伊達藩の江戸廻米の港として栄えたとのこと、日和山展望台にある十二支方位石やしばり地蔵などに、当時の面影を見ることができます。

「野々島」では、これからの季節椿のトンネルで歓迎してくれます。ラッキーな人は菜の花、桜、椿を同時に楽しめるかもしれません。島のいたるところに、貿易で財を成したという内海長者の伝説にちなんだ洞窟もあります。塩釜に一番近いのが「桂島」で、島の西側の展望台からは、仁王島を始めとした松島の島々や泉ヶ岳や蔵王連峰まで一望できます。

2008年03月26日

松島の四大観とは?

松島の四大観は、江戸時代後期、仙台藩の儒学者舟山万年が、「東に大高森の壮観、西に扇谷の幽観、南に多聞山の偉観、北に富山の麗観」と評したことから、世に知られることとなったという。四大観筆頭の「大高森」は、宮戸島の中央にある標高約100mほどの山で、山頂まで15分ほど歩くが、ここから松島湾を北西の方向から眺めることができます。

静かな湾内に点在する島々をはじめ、泉ヶ岳、船形連峰も見えます。また、北には栗駒山、南は蔵王連峰、背後には金華山、文字通りのパノラマが繰り広げられます。「扇谷」は国道45号線からやや奥に入った高台にある。頂上には藩主の茶亭跡があり、新緑と紅葉が美しい見事な楓があります。「多聞山」は、七ヶ浜町の北端に位置する標高50m弱の山で、毘沙門天(多聞天)を祀る神社があり、南側から松島を眺めることができます。

「富山」は奥州三観音に数えられる富山観音がある場所です。この観音堂は伊達政宗の娘五郎八(いろは)姫によって改修されたものである。境内は鬱蒼とした樹木に覆われ、展望台から松島湾が一望できます。これらの四大観のほかにも、「西行戻しの松」、桜の名勝「福浦島」や「白衣観世音」、「双観山」なども松島の見所です。

2008年03月29日

松島の四つの朱塗り橋

松島には陸から橋がかけられている島が四つあります。一つはご存知五大堂であり、ここにかけられているのが「透かし橋」、そして二つ目は、JR松島海岸駅の南側にある雄島にかかる渡月橋です。この雄島はかつて僧侶が修行した場所で、島内には50余りの岩窟があり、中には卒塔婆や仏像などが安置されています。以前は108もあったといいますから、霊場であったことを今に伝えています。

島の南端にある頼賢の碑は1307年(徳治2年)に建立されたもので、奥州三古碑の一つでもあり国の重要文化財に指定されており、碑文には妙覚庵主妙覚庵主頼賢の徳行が刻まれています。雄島は松尾芭蕉も瑞巌寺参詣の後にここを訪れました。島から見る五大堂や福浦島など眺めも素晴らしいです。三つ目は、あまり知られていませんが、まがき島にかかる朱塗りの橋です。

この島は小さくて陸にちかいためかあまり話題にならないが、歌枕にも度々登場する由緒ある島です。最後は、松島海岸のすぐ近くにある福浦島にかかる橋です。全長252mの赤い橋わたると250種類にも及ぶ植物がある県立自然植物園です。藩政時代から守られてきた豊な自然のなかで、ツバキ、ツツジ、アジサイなどが楽しめるほか、島内の遊歩道を回りながら、五大堂や千貫島、二子島なども見られます。

2008年03月30日

松島の新しい名勝

日本のガラス工芸の先駆者として国際的にも知られている藤田喬平氏はガラス工芸分野では始めて文化勲章を受章している。その「藤田喬平ガラス美術館」には、夢を入れる筥と作家自ら語る「飾筥(かざりばこ)」を始めとする100余点を展示してあり、訪れる人の目を釘づけにしています。また、ホテル一の坊売店では、クリスタルガラスの小さな干支も販売されてしますが、どれも人気が高くすぐ品切れになってしまいます。

「松島オルゴール博物館」も優雅な調べで訪れる人を魅了します。世界のオルゴールを収蔵しているといわれるベルギー国立博物館から譲り受けた134点のオルゴールを展示しています。そのなかでも圧巻は、高さ7m、幅9mもある世界最大のコンサートオルガンやストリートオルガンなどでしょう。この雰囲気はもう古きよきヨーロッパそのもので、優雅な香りと音色が館内いっぱいに広がっています。

この向かい側にあるのが、「みちのく伊達政宗歴史館「です。ここは戦国時代の雄、伊達政宗の波乱に満ちた生涯を等身大の人形で再現しています。また、そのすぐ近くには、「松島レトロ館」があり、こちらは大正から昭和にかけの懐かしい品々が多数展示されています。油谷満夫氏が50年余りを費やして集めたコレクションで、昭和の音楽や映画ポスター、駄菓子屋など懐かしいものに出会えます。

2008年03月31日

白石川の一目千本桜

大河原町から柴田町にかけて、町の中央を流れる白石川の両岸に並ぶ桜並木は、ソメイヨシノ群およそ750本が全長7kmにわたって続く景観で「一目千本桜」と呼ばれる。この地方の出身の東京で事業を成功させた高山開治郎が、大正時代に桜の苗木を寄付し植樹したことが始まりです。満開の桜と蔵王連峰の残雪のコントラストは、一枚の絵のようで「桜の名所100選」に選ばれています。

開花時期には、白石川沿いを走るJR東北本線の電車は、速度を落として運行するという粋な計らいしているため、乗客は桜並木を楽しむことができます。JR東北本線大河原駅または船岡駅で下車、どちらの駅からも徒歩10分ぐらいで白石川の堤防に着くことができます。ゆっくりと桜のトンネルを通り抜けるのが一番の楽しみかたでしょう。

また、すぐ近くには船岡平和観音の城山公園があり、こちらも山頂付近一面の桜は見事です。スロープカーで山頂まで行けますから、足に自信の無い方はここから、白石川の「一目千本桜」もまとめて眺めるというのも一興かもしれません。三の丸の広場は桜祭りのメイン会場となり、夜間のライトアップした桜も人気があります。

2008年04月06日

多賀城跡とその周辺-その1

大和朝廷がこの地を政治・文化・軍事の拠点とするために国府と鎮守府を置いたのがこの多賀城です。中心部には政庁の礎石や正殿の基壇が残されていますし、周辺には一般事務を行った実務官衙(かんが)ブロックが点在しています。南門近くの小さなお堂の中に立っている高さ2mほどの碑は、多賀城建造時から残っているものです。

建立は天平宝字6年(762年)といわれ、多賀城の創建や修造などについての記述が141字で刻まれています。また、多賀城市八幡の宝国寺裏の丘に立つ二本の大きな松は、小倉百人一首に「ちぎりきなかたみにそでをしぼりつつ すゑのまつ山なみこさじとは」という清原元輔の歌に読まれたのが、この場所「末の松山」です。

樹齢450年以上ともいわれる老木で、都から多賀城に赴任してきた都人がその美しい風景を歌に読んだもののようです。それが、小倉百人一首や新古今和歌集などに多く残されています。清原元輔、能因法師、西行などの歌が有名ですが、多賀城には「末の松山」の他に「沖の石」、「壷碑」「おもわくの橋」「浮島」「野田の玉川」などの歌枕があります。

2008年04月07日

多賀城跡とその周辺-その2

陸奥総社宮は、8世紀大和朝廷が多賀城に設置した陸奥国府に属する総社で、陸奥国の延喜式内社100社を合祀したものです。当時、都から赴任してくる国司が自ら祭司となって祭りを執り行ったという。現在の建物は日吉造りで享保年間のものです。塩釜市にある陸奥国一ノ宮である塩竃神社に詣でる前には必ず参拝しないと、神の加護が得られないといわれています。

安産守護、海上安全などの神として崇拝されています。また、多賀城廃寺跡は、多賀城跡とともに「特別史跡多賀城付近跡」と総称される遺跡の一つになっています。多賀城国府の鎮護、東北地方の繁栄、国家の安泰などを祈念するため、官立寺院として奈良時代に建立されたといわれています。

東北歴史博物館には、旧石器時代から近代までの東北地方全体の歴史や多賀城政庁の資料などを展示する「総合展示室」、子供でも楽しく歴史が学べる「子供歴史館」などがあります。そのほか、敷地内には江戸時代中期の民家「今野家住宅(宮城県指定有形文化財)」も石巻市から移築復元され、農家の暮らしぶりを再現していますし、年3回程度特別展示、テーマ展示もされており、ここでは池を眺めながらレストランで食事も楽しめます。

2008年04月08日

こけしの絵付け体験-その1

宮城県のこけしには、「鳴子系」「遠刈田系」「弥次郎系」「作並系」の4つの大きな系統があるが、これに「肘折系」を加えると5つの系統になる。それぞれの系統の模様や形は微妙にことなり、どれも伝統に支えられてきた工人の技が光る。長年庶民に愛されてきた伝統の技を学びながら、絵付けを体験できるコーナーが各産地に設けられています。

まず、各系統の特徴ですが、「鳴子系」は独特の技法で、首を回すと“キュッキュッ”と音が出るのが特徴です。胴体は中央部に向かって少し細くなり、裾に向かって再び広がる。模様は「重ね菊」が代表的です。「遠刈田系」は三日月形の目が優しい面持ちで、頭部に紅い放射状の模様があります。胴体は頭部が比較的大きいのに対して胴体は細めです。模様は手描きの花模様、その他、菊花や梅の模様、木目模様などです。

「弥次郎系」はろくろ技法で描かれるベレー帽のような頭部の多彩色が特徴です。胴の中央部に数段のくびれをつけたものもあります。模様は幅広いろくろ線の組み合わせが独特の色調をかもし出しています。「作並系」は子供の遊び道具として愛され続けている素朴なおももちです。胴は他の系統に比べて細く、肩から下部にかけて細くなっています。頭部に赤い輪形の模様が描かれているものが多いようです。

2008年04月09日

こけしの絵付け体験-その2

「肘折系」は伝統の技と現代が調和した鮮やかな色調。胴体は肩が張っているが、全体的に太い直同型です。模様は黄色を基調とした鮮やかな色調と帯状のろくろ線、菊花を図案化したものです。これら5つの系統のうち「鳴子系」「遠刈田系」「弥次郎系」の3つが、絵付け体験できます。

「鳴子系こけし」は、鳴子町内のこけし店と資料館で、こけし作りの実演をしており、こけしの絵付けを体験することができるほか、木地を作るろくろ体験ができることもあります。「遠刈田系こけし」は、頭部が差し込み式で比較的大きい割には、胴が細目になっており、赤い放射線状の模様が、頭部と額からびんにかけたあたりに描かれるのが特徴です。眼は三日月型で切れ長のものが多い。

このような特徴をもつ遠刈田こけしの製作工程を見学した後、工人の手ほどきで絵付けを体験できます。「弥次郎系こけし」は、頭が丸くろくろ描きでベレー帽をかぶったように描かれ、胴の描彩は帯を締め黄色い着物を着せたように見えます。このこけし発祥の地にある弥次郎こけし村で、こけし工人の指導で伝統こけしや白木のこけしに、オリジナルな絵付けをすることができます。

2008年04月12日

天然記念物塩釜サクラ

例年5月上旬に咲く、国の天然記念物塩釜さくらは、サトザクラ系の八重桜で花の芯から小さな緑色の葉を出す珍しいもので、平安時代の記録にも載っています。境内のソメイヨシノやシダレザクラも神社の建物に映えます。また、塩釜サクラが満開となるこの季節、うららかな塩釜神社の境内で、各流派の茶会も催されます。

サクラを愛でながらの茶会はまた格別です。神社境内の落ち着いた雰囲気のなか、優雅なひと時を味わうことができます。塩釜神社花祭を中心に繰り広げられる行事は他にもあります。「しおがま市民まつり」は港町塩釜ならではのイベントで、地元特産のおいしいものが勢揃いし、なかでも活魚オークションは圧巻です。

会場には、鮮魚や加工品、あさり、のりなどの即売品コーナーのほか、「塩釜汁」「マグロ血合焼き」「鉄火巻づくり」などの名物コーナーが設けられ、子供から大人まで多くの市民でにぎわいます。花祭り、茶会、そして市民まつりを存分に楽しんだあと、「みやぎ寿司海道」で仕上げというのは如何でしょうか。

2008年04月28日

カマ神様にお目にかかったことがありますか?

カマ神様とは、宮城県北部から岩手県南部(旧伊達藩の北部)にかけて分布する、土や木で作られたお面ことです。かまど(火)の神は、盗難よけ、疫病よけとして信仰され、昔は民家のかまど近くの柱や壁の高いところに取り付けられていました。江戸時代から昭和初期にかけて作られたものが多く、宮城県では2000点、岩手県には400点あったそうです。

カマ神様は、いかつい顔と大きな目が特徴ですが、地域によって様々な違いがあります。登米地方では、土製のものが多く、目の部分の材料がアワビ貝や盃などが使われている。これは家の新築時に左官が余った材料で作って寄贈したものだといいます。大崎や栗原では木製のものが多いということです。

登米地方では、正月に注連縄とご幣束をカマ神様の頭につけ、お供えをして拝んだという。現在民家の改築や解体で数はかなり減っているが、各地の資料館などで保存されています。旧豊里町の平筒沼農村文化自然学習館には、20体ものカマ神様が展示されています。そういえば、その昔わが家にもお面ではありませんが、いかつい顔をしたカマ神様の絵がかまどの付近に貼ってあっことを思い出しました。

2008年04月29日

みやぎ蔵王のもう一つの顔

長い冬の終焉を実感させられるのが、4月末の蔵王エコーライン開通です。この時期、ここ「みやぎ蔵王えぼしスキー場」も白いゲレンデが化粧を直し、一面に黄色いじゅうたんが敷きつめられます。50万株のすいせんが2.4haの広大な斜面いっぱいに咲く景色は、まばゆいばかりで、ゴンドラからの眺めも展望台からの眺めも最高です。

この時期、すいせん祭りも開催され、食べ放題のジンギスカンやすいせんソフトクリームも人気があります。一方、白石市の小原温泉にある「スパシュランドパーク」は、春に13万株のシバザクラが鮮やかな色で咲き誇り、公園中が甘い花の香りで包まれますが、この公園では一年を通じて四季折々の花が楽しめるということです。

また、白石市のお隣角田市の阿武隈川河川敷では、3.2 ha の広大な面積いっぱいに250万本もの菜の花が咲き乱れます。開花期間中は、菜の花祭りが開催され、コンサートなどのイベントも開かれますし、地場産品の販売所もでてにぎわいます。蔵王連峰を望みながら黄色い菜の花とのコントラストが楽しめるのもいいですね。

2008年05月07日

栗駒山トレッキング-その1

宮城・秋田・岩手3県にまたがる標高1627mの栗駒山。南北約65km、東西47kmにおよぶ広大な栗駒国定公園の核となる栗駒山は、初級者から上級者まで楽しめる登山コースとしてハイカーに人気の高いスポットです。ここでは、咲き乱れる高山植物や滝など魅力あふれるトレッキングコースが用意されています。

まずは、「世界谷地コース」から案内しましょう。栗駒山の南側中腹、標高700mに広がる15万㎡の湿原を歩くコースですが、木道が設けられているためファミリーでも気軽に散策できます。第一湿原と第二湿原がありますが、車を降りて世界谷地入り口から徒歩10分ほどで第一湿原に向かいます。ここは、約500mの木道があり15分ほどで一巡できます。

7月上旬にはニッコウキスゲなどの高原植物を鑑賞できます。ここから第二湿原へは、ブナやミズナラなどの原生林を通って徒歩10分ほどで到着します。ここにも木道がありますからご安心ください。第二湿原では、ニッコウキスゲの大群落に出会うことができます。ベストシーズンは6~7月上旬ですが、ミズバショウの咲く5月、キンコウカの群生する7月上旬もいいですよ。

2008年05月09日

栗駒山トレッキング-その2

次に案内するのは「中央~東栗駒コース」です。ここはよく整備された広い道が山頂まで続くファミリー向きのコースです。いわかがみ平バス停から徒歩1分のレストハウス前からのスタートとなりますが、潅木帯の道を数分登ると展望が開けて山頂が見えてきます。それから40分ほどさらに登ると、栗駒山から東栗駒山にかけてのパンラマが望めます。

やがて、道はハイマツ帯になり、広く整備された道を縫うように進むと登りが急になり、東栗駒コースの分岐点に出ます。ここを過ぎれば山頂まであと一息、山頂では西に鳥海山、南に蔵王連峰の雄大な眺望が楽しめます。帰路は東栗駒コースを通り、標高1434mの東栗駒山山頂で小休止した後、下山しいわかがみ平に戻る。

およそ7.1kmのコースを3時間かけて歩く行程ですが、雄大な眺望を楽しみたい方は是非挑戦してみてください。新緑がまぶしい5月下旬から6月上旬にかけて、花を楽しむなら6月中旬から8月中旬、紅葉が美しい10月上旬から中旬にかけてと、色々な楽しみ方があります。なお、いわかがみ平登山口には150台収容の駐車場も整備されています。

2008年05月10日

栗駒山トレッキング-その3

「白糸の滝コース」は、温湯温泉の先にある赤い吊橋からスタートします。吊橋を渡ると沢沿いの道が続き、30分ほどで白糸の滝に着きます。この滝は落差45mで、夏には雪解け水が多く荒々しく、秋は黒い岩肌に白い糸のような流れを幾筋にも落とすというように、季節によってその表情を変える美しい滝です。

心が休まる滝の音を聞きながら、さらに森の中を30分ほど歩くと分岐点に着きます。ここで進路を左にとると、秘湯で有名な「ランプの宿・湯ノ倉温泉湯栄館」に到着です。日帰り入浴もできますので、渓流露天風呂でのんびり一休みするのもいいかもしれません。帰りは湯ノ倉温泉入り口に出て林道を歩き、白糸の滝入り口に戻ります。

「ランプの宿・湯ノ倉温泉湯栄館」は、花山渓谷にある一軒宿で、昭和初期に建てられた木造2階立です。混浴露天風呂は水着入浴が禁止ということですが、一度に30人は入れるという大きさです。日が暮れると、男女別内風呂や客室、廊下にランプが灯されます。渓流にせり出した混浴の露天風呂、白糸の滝トレッキングの後に寄ってみたいですね。

2008年05月16日

栗駒山麓の温泉郷-その1

「温湯温泉佐藤旅館」は、大正から昭和にかけて建てられた木造の建物で、木造校舎のような建物は、板張りの廊下や障子のある客室は郷愁を誘います。開湯千年といわれる県内屈指の古湯は、寒温(ぬるゆ)御番所の表門を模した露天風呂からの眺めが素晴らしい。天然石を組んだ混浴の大岩風呂芳の湯、太い檜材の梁が女性専用内風呂もあります。

「花山温泉温湯山荘」は、仙台藩花山村寒温(ぬるゆ)御番所跡に隣接する宿です。大浴場、石楠花の湯は明るく開放的で美肌にいいということです。浴室は檜造りで、半円形の露天風呂では栗駒の山並みを眺めながら、透き通った空気を存分に吸い込めるのがいいですね。夕食は山菜をふんだん使った郷土料理とくれば言うことありません。

「ハイルザーム栗駒」は、大浴場、露天風呂のほか、流水プール、フローティング(浮湯)、ハイブラバスなど9種類の温泉プールやアリーナなどが揃い、大自然のなかでバス&エアロビクスが楽しめます。なかでも、ハイブラバスは肩こり、腰痛、筋肉痛などに効果抜群とか、寝ながら気泡でツボを刺激するリクライニングフロー(寝湯)も健康にいい。

2008年05月17日

栗駒山麓の温泉郷-その2

栗駒の樹海の中、三迫川の源流に近い谷間に一軒宿の[駒の湯温泉]がある。元和3年(1617年)の開湯といわれる古湯で、馬の蹄から湧き出したことからこの名がついたとか。豊富な湯量を誇り、浴場の外にはブナの原生林が間近に迫り、川では釣りも楽しめます。食事は取れたてのイワナや旬の野菜が味わえます。

「ランプの宿湯浜温泉三浦旅館」は、標高700m付近にある湯浜温泉の一軒宿です。大自然を眺めながらの混浴露天風呂が秘湯の赴きを一層感じさせてくれます。国道398号線沿いにある駐車場から谷を下り渓流沿いの道を向かうと、途中に小さな露天風呂があります。館内には男女別の内風呂も完備されていて、夜になるとランプが灯されます。

一方こちら湯ノ倉温泉「湯栄館」もランプの湯として親しまれています。手つかずの自然に抱かれた渓流の宿で、渓流にせり出した巨大な露天風呂が名物です。あたりが暗くなるとランプが灯され、館内は橙色の明かりに包まれます。たまには世間の喧騒から開放され、ゆったりと渓流に身を委ねるという贅沢が身近に味わえます。

2008年05月21日

細倉マインパーク

細倉鉱山跡を利用したテーマパークは坑道跡地底博物館です。全長777mの坑道内は、採掘現場や作業機器が展示されており、人形で再現された採掘の様子を見ることができます。また、マインパークの敷地内には全長555mのスーパースライダーや333mのベアリフトもあり、小高い丘にある展望台からは360度の大パノラマが楽しめます。

昭和62年に閉山した細倉鉱山は、1000年の間に掘られた坑道は総延長600kmに及ぶもので、最深部は海抜マイナス310mになるといいます。縦横に入り組み、暗く深い坑道の奥は神秘的で、宇宙と自然、人間との関わりを光とオブジェで表現した創造空間(タイムトラベルゾーン)が広がっています。

さらに、坑道内では砂金採取の体験ができゾーンも用意されているほか、鉱石の標本などを展示してある鉱山資料館や鉱山で採取された鉱石をはじめ、貴重な鉱石の加工品を展示、販売している細倉美石館もあります。深い洞窟を探検して光とオブジェの空間を体験してみるのも面白いかもしれません。

2008年05月23日

花山鉄砲まつり

道の駅「路田里はなやま」の隣にある「ふるさと交流館」には、花山の歴史と文化を紹介している展示室があります。ここで目を引くのは300年近い歴史を持つ鉄砲まつりの展示コーナーでしょう。鉄砲まつりは1712年(正徳2年)領主遠藤家の奥方が幼君の病気平癒を祝い鉄砲隊に礼砲を撃たせたのが始まりだそうです。

12丁の古式火縄銃の銃声が花山ダム湖畔に響きわたります。県内唯一の火縄銃で、日本最古の霊砲術が毎年披露されます。また、御嶽神社から発進する鉄砲組みの一糸乱れぬ行列もまた見事です。当日は、正午に行列関係者祈祷神楽奉納に始まり、午後1時に子供みこし、稚児行列とともに、鉄砲組12名、猿田彦ら50名からなる行列が1kmねり歩く。

3世紀の歴史が轟くこの祭りは、藩政時代を身近に感じさせてくれるイベントだけあって、毎年多くの見物客が訪れます。このあたりはまた、現存する番所として全国でも数少ない仙台藩花山寒湯御番所跡、剣豪で有名な千葉周作ゆかりの家などの見所も多いので、少し足を延ばしてみる価値は十分あります。これらの見所は後日改めて紹介します。

2008年05月24日

花山の名所旧跡

仙台藩花山寒湯御番所跡は、秋田藩の皆瀬村に通ずる秋田口に設置されたものです。この御番所は、当時仙台藩内に設置された27ヶ所の御番所の一つで、全国でも数少ない現存する番所です。寒湯は関守の三浦家が200年以上にわたり通行する人々や荷物を検閲していましたが、そのほかに数人の山守が間道を警護していたということです。

厳しかった当時の治安維持体制を偲ばせる建物は、国の重要史跡に指定されています。表門は萱葺き両切妻屋根の四脚門で柱は総ケヤキ、棟には伊達の紋があり、両側に般若の面が付いています。役宅は間口12間4尺、奥行き6間半という堂々たる建物で、江戸時代末期に改築されました。建物の内部も太い柱の組がすばらしい。

門を過ぎて正面の一段高いところが、実際に検査をした検断所の跡です。また、花山は幕末の剣豪、北辰一刀流の創始者千葉周作生誕の地とされています。弧雲屋敷は彼の天分を認めた佐藤弧雲重太郎の住宅です。館内で周作の生涯が紹介されています。周作は後に江戸へ出て最大の道場を持つようになり、坂本竜馬も門弟の一人として加わりました。

2008年05月28日

仙台・青葉まつり

江戸時代・仙台藩最大の祭りといえば、仙台まつりであっといいます。この祭りは承応4年(1655年)に始まり、毎年9月17日に藩あげて行われていた東照宮のお祭りで、最大70基の山鉾が城下を練り歩いたそうです。明治時代になると、伊達政宗を祀って明治7年にできた青葉神社の祭礼として、政宗公の命日である5月24日に行われようになりました。

これを機に名前も今の青葉祭りと呼ばれるようになったとか。しかし、昭和40年代後半に交通事情などを理由に途絶えてしまいましたが、政宗公没後350年を契機に昭和60年に復活した祭りです。前日の宵祭りには、マーチングバンドや郷土芸能による「芸能祭」が開催され、東二番丁から定禅寺通まで武者行列、個性豊な山鉾行列が巡行します。

翌日の本祭りでは、政宗公を祀る青葉神社の神輿渡御や復活した仙台藩山鉾巡行、武者行列、華やかなパレードなどが市内のメイン道路で繰り広げられます。仙台城築城の祝いの席で石工たちが踊ったことに由来するという「すずめ踊り」は、もちろん宵祭りにも本祭りにも連日登場し、新緑の杜の都で披露されます。

2008年05月31日

奥州の雄藤原氏の誕生

前九年の役は奥州の俘囚(朝廷に帰服した蝦夷)の長である安倍氏と陸奥守兼鎮守将軍源頼義との戦いである。天喜4年(1056年)安倍頼時の子貞任が、源頼義から権守藤原説貞の子殺害の犯人とされたことを父頼時がかばい、反乱を起こすに至ったことに始まる。当時奥州に独立的な勢力を持っていた安倍氏に対し、源頼義が仕掛けたものされています。

安倍頼時は鳥海柵(岩手県金ヶ崎町)で戦死してしまうが、息子の貞任が黄海(きのみ:岩手県藤沢町)で大勝する。このとき源頼義は、息子義家(八幡太郎)を含むわずか7騎で逃げたが、出羽の俘囚長清原武則が源氏側に参戦し、戦況は逆転して北へと追い詰められた安倍貞任は厨川の柵(くりやがわのさく:盛岡市)で戦死した。

こうしたて康平5年(1062年)安倍氏はついに滅びてしまう。衣川の戦いで源義家が安倍貞任に「衣のたてはほろびにけり」と歌を投げたところ、「年をへし糸のみだれのくるしさに」と返したという故事が残されている。安倍氏側に参戦した亘理の藤原経清は処刑され、その子清衡は母親とともに敵である清原氏に引き取られる。この後、後三年の役を経て源氏が台頭し、奥州平泉に藤原氏が誕生した。旧志波姫町に前九年の役の古戦場がある。

2008年06月10日

神秘の湖、蔵王のお釜-その1

山形県の蔵王坊平高原と宮城県遠刈田温泉を結ぶ全長26kmの蔵王エコーラインは、ドライブコースとして人気のある観光道路です。この風光明媚なエコーラインのシンボルであるお釜は、山形県側の熊野岳(標高1841m:蔵王連峰の最高峰)と宮城県側の刈田岳(標高1758m)の中間に位置している円形の火口湖です。

神秘的なエメラルドグリーンの湖は、周囲1km、平均直径330m、最大深度27.6mで蔵王の噴火によってできたカルデラ湖で、太陽光線の移動に伴い湖面は日に何度も色を変えるので、五色沼とも呼ばれています。水温は深度10mで一番低くなり、それより下は温度が高くなるという珍しい湖として知られています。

平安時代末頃の噴火で火口ができたと考えられており、その後も噴火を繰り返し、最近では明治28年に大きな爆発を起こしており、この時にはお釜の水が沸騰したということです。蔵王は比較的新しい火山なので、特に宮城県側は草木もまだ少ない荒涼とした風景が広がっているため、このお釜は宮城県側の刈田岳から手軽に眺めることができます。

2008年06月11日

神秘の湖、蔵王のお釜-その2

刈田岳山頂近くまで車で直接アクセスできます。また、駐車場から200mほど歩くと山頂に刈田嶺神社があり、そばに伊達宗高公命願の碑があります。江戸初期の村田城主であった伊達宗高公は、1623年(元和9年)に噴火を始めた刈田岳を鎮めようと山に登り自らの命を捧げて祈祷を施した。噴火は見事に治まったが、宗高は20歳の若さで亡くなった。

村田町では今でも名君を偲んで、宗高公まつり花火大会が行われています。蔵王エコーライン沿いにある駒草平は、高山植物の女王と呼ばれるコマクサの群生地で6月から7月にかけて可憐なピンクの花を咲かせます。駒草平の展望台から眺める蔵王連峰は雄大そのもので、谷底に一気に落ちる不帰の滝、その反対側には太平洋も一望できます。

蔵王エコーラインの中腹から見える不動滝は、落差54m、幅16mで蔵王最大の滝です。その少し下にある三階滝は、落差181m、日本の滝百選にも選ばれている名瀑です。滝見台からは蔵王南側の景色が堪能でき、新緑や紅葉の時期は特に美しい。不動滝と三階滝には、滝壺の棲家争いで決闘した鰻と蟹の伝説が残っています。

2008年06月13日

神秘の湖、蔵王のお釜-その3

刈田岳の東の山麓には、溶岩が冷えて固まった火山岩や火山礫がむき出しになっています。ここが賽の磧とよばれるところで、山岳修験の霊場としても知られ、蔵王寺が残っています。蔵王は近年トレッキングでも人気が高く、刈田岳山頂から山形県側にある最高峰熊野岳までのコースは片道50分ほどです。

殆どが平坦な尾根の馬の背なので、楽に歩くことができます。お釜を右手に眺めながらぐるりと回りこみ、熊野岳山頂に着くと、山形の市街地や月山、朝日連峰が一望できます。途中コマクサなどの高山植物も目を楽しませてくれます。4月はミズバショウ、6月から7月初旬かけては、イワカガミ、チングルマ、コマクサは7月いっぱい楽しめます。

7月はハサクンサシャクナゲ、7~8月はハクサンイチゲ、ハクサンチドリなどです。JR仙台駅から蔵王への定期観光バスが運行されており、観光の起点となる場所を結んでいますので、気軽に出かけることもできますし、オプションも色々あります。遠刈田温泉や青根温泉などでのんびりというコースもいいかもしれません。

2008年06月14日

蔵王山麓の温泉郷-その1

深い渓谷に面したいで湯で有名な小原温泉は、開湯800年といわれている温泉郷です。「目に小原」と昔からいわれ、多くの人々に親しまれてきました。小原渓谷に沿って5軒の宿泊施設がありますが、対岸の断崖絶壁を眺めながらの露天風呂は大自然を満喫させてくれます。温質は単純温泉、塩化物泉となっております。

小原温泉岩風呂「かつらの湯」は渓谷の岩壁を生かし、白石川沿いにつくられた共同浴場です。1986年に白石川の増水で土砂が堆積して使用できなくなりましたが、地元の温泉旅館から寄付を受け白石市が完成させたものです。営業時間は8~18時で、入湯料は200円となっておりますので、気軽に利用できると地元の人からも好評だそうです。

小原温泉が企画する「113宿泊プラン」は、1泊2日で湯めぐりや観光を楽しめるツァーです。参加者に湯めぐり手形が配られるほか、小原の寒くずなどがプレゼントされます。この「小原の寒くず」は、うーめん、和紙と並ぶ「白石三白」の一つで、冬の蔵王山麓に自生する葛の根から、でんぷんだけを抽出したもので、生産量が少ない希少品です。

2008年06月16日

蔵王山麓の温泉郷-その2

奥羽の薬湯として知られる鎌先温泉は、600年前に里びとが鎌の先で湯を掘り当てたことから、この名がついたと伝えられています。周囲を深い山に囲まれた湯治場は、昔懐かしい雰囲気に包まれた素朴な温泉郷で、「奥羽の薬湯」の名にふさわしい5軒の宿泊施設があり、温泉郷の近くには不動滝、沼滝などの見所もあります。

温泉街の歩道にはフットライトが設置されており、夜になると道や宿がほんのりと照らされ、とても幻想的な雰囲気です。ライトは当地の伝統こけしである弥次郎こけしの形ですので、ぶらりと歩きたくなる気分を誘います。この弥次郎こけしは、鎌先温泉の奥の弥次郎地区が発祥の地といわれ、そこには「弥次郎こけしむら」があります。

なんと言っても鎌先温泉郷は、手術後の回復や病後療養に効果があることでしられています。また、「奥羽の薬湯」にふさわしい自慢の料理を作ろうと開発された「薬膳鍋」も楽しめるというおまけつきなのも嬉しいですね。この人気の鍋は漢方草や地場産の食材を使った料理で、各宿の共通メニューとして提供されているものです。

2008年06月17日

蔵王山麓の温泉郷-その3

開湯400年の遠刈田温泉は、その昔蔵王権現の参拝客のための湯治湯として栄えました。蔵王山麓に広がる温泉街には40軒を超える宿泊施設がありますが、温泉の泉質は多彩で、ナトリウム、硫酸塩・塩化物泉などです。温泉街には「神の湯」と「壽の湯」という2つの共同浴場があり、5時30分~6時45分、9時~22時45分までで、料金は350円です。

遠刈田温泉には12枚のシールがついて1200円のお得な湯めぐり手形があり、入浴は11~20時で、発行日から6ヶ月間有効です。また、ユニークなサービスとして、「湯めぐり案内人」がいることです。湯めぐり案内人というのは、訪れた人に温泉の楽しみ方を案内する人のことで、小原、鎌先、青根温泉などの温泉施設に1~2人います。

ここでの一番の見所は、遠刈田系をはじめ、東北各地の伝統こけしや木地玩具5500点を展示している「みやぎ蔵王こけし館」でしょう。ここでは絵付けも体験できます。また、こけし館の近くには7軒のこけし工人の集落があり、ここでも絵付けができます。温泉街には、宮城県産の大豆を使用した手づくり豆腐店があり、店頭で食べられる店もあります。

2008年06月18日

蔵王山麓の温泉郷-その4

藩政時代には仙台藩主の御殿湯として栄えた青根温泉は、標高が高いためか山間部にありながら、太平洋が眺められます。9軒の宿泊施設がありますが、このうち3ヵ所の温泉が1000円で購入した手形「湯と旅」で楽しめます。青根温泉で発行している手形は、蔵王のブナの木で作られたもので、お土産物店などで販売されています。

そのほか、源泉掛け流しの共同浴場「じゃっぽの湯」が新設され研修棟も併設されていますし、バス終点だった場所に建つ「停車場の湯:バス倉庫を利用」と、朝日が見える高台に建つ「朝日の湯」の2つの足湯もあります。どちらも川崎町産の木材を使った小屋で源泉もそれぞれ異なりますが、泉質は弱アルカリ単純泉です。

温泉街の中心部の広場には、小さな雪の燈籠がいくつも作られ、その中にろうそくが灯されると幻想的な景色が浮かび上がります。また、あの「影を慕いて」の作曲で有名な古賀政男が、曲の構想を練るために一時逗留したという青根洋館(古賀政男記念館)には、愛用の楽器や楽譜などの遺品が展示されてあり、1年を通し無料で見ることができます。

2008年06月28日

名取川の上流の秋保温泉-その1

伊達家の湯浴み御殿として栄えた老舗旅館、「伝承千年の宿佐勘」は、第29代欽明天皇が湯浴したところ、数日で病が全快したことに由来する。清流名取川のせせらぎに包まれながら、入浴できる露天風呂(川原の湯:男女入替制)が人気です。夕食は、塩釜港に水揚げされた魚介類や仙台牛、減農野菜など山海の旬の味が並びます。

一方こちらも元禄年間の創業という風格ある和風施設「ホテルニュー水戸屋」は、2007年の改装で、大浴場「水心鏡」のほか、季節の移ろいを静かに楽しめる貸切風呂、温泉半露天風呂付きの3タイプが増設されました。宿泊客は別館のサウナ付きバーデンプールを無料で利用できます。和のくつろぎと洋風のアーバンリゾートの雰囲気を併せ持った老舗です。

また、創業380年以上の歴史を誇る「岩沼屋」は、レトロモダンな調度品が配置され、女性専用客室のティアラなども、落ち着いた雰囲気があります。自慢の大浴場「神嘗の湯」は、ぬるめ、中ぐらい、熱め、水の4槽の湯船に分けられているほか、家族風呂や中庭には天然石で造った岩組の露天風呂などもあり、料理もなかなか好評です。

2008年06月30日

名取川の上流の秋保温泉-その2

「茶寮宗園」は、敷地面積約26000㎡という広大な敷地に、純和風で数寄屋造の建物が見事に配置された高級感あふれる施設です。本館は10畳以上の和室が16室、離れにはそれぞれ露天風呂がついた10室があり、彩り鮮やかな会席料理でプライベートな空間を演出してくれます。大浴場のほかには東屋のある露天風呂もあります。

温泉街の喧騒から少し離れた名取川畔に「ホテルきよ水」があります。客室やロビーからは豊な自然とせせらぎが眺められますし、渡り廊下で向かう数寄屋造の離れ、別館清流庵の3室は専用の露天風呂付きです。風呂は、露天風呂付き大浴場をはじめ、薬湯家族風呂、美肌効果があるとされるマイナスイオンサウナなどもあります。

こちら「秋保リゾートホテルクレセント」は、森の中に立つホテルで、大浴場「春秋の湯」は直下から湧き出るお湯をそのまま利用したもので、体の芯まであたたまります。館内には、フレンチレストランや和食処があり、名取川の渓流を眺めながら楽しむことができます。また、近くには併設のスポーツ公園があり、テニスやパターゴルフなども楽しめます。

2008年07月01日

名取川の上流の秋保温泉-その3

湯船から磊々峡を眼下に眺められる露天風呂が格別という「秋保グランドホテル」では、夜になるとライトアップされることで一層幻想的な風景が広がります。食事は、バイキング方式で和洋中華といったバラエティ豊富なメニューが楽しめまい。また、こけしの絵づけ体験やビンゴ大会など家族づれで楽しめます。

温泉街の入り口にある「ホテル華乃湯」は、名取川のせせらぎが聞こえる磊々峡に近い位置にあります。自然林に囲まれた露天風呂「水芭蕉」や磊々峡を眼下に周囲の山並みを見渡せる展望風呂が評判ですが、温水プールもありあるほか、日帰り温泉施設メルテ館の家族風呂もあわせて多彩にご利用いただくことができます。

「ホテル瑞鳳」は、三層吹き抜けのロビーが豪華ですし、趣向を凝らした日本庭園の中に風雅な露天風呂が6つ連なり、コーナーには立ち湯があります。純和風のなかに洋風を取り入れた趣のある造りで、林を眺めながら楽しめる専用露天風呂付き客室が12室あり、全天候型ドーム式温水プールは宿泊客なら無料で利用できます。

2008年07月08日

広瀬川上流の作並温泉-その1

仙臺箪笥や階段箪笥、古民具などをアレンジしたロビーの「湯の原ホテル」は、総大理石造りの大浴場と作並の山々を見渡せる展望風呂・露天風呂(全て男女別)があます。そのほか、2~3人用の広さで周囲に玉砂利を敷き詰めた貸切露天風呂も快適です。夕食はダイニングルーム露亭で、山里と三陸の旬を揃えた料理が楽しめます。

開湯時に8年かけて造営したという天然露天風呂が評判の「鷹泉閣 岩松旅館」は、広瀬川に迫り出していることでも人気があります。川原に面して瀧の湯、河原の湯、鷹の湯、しん湯など、泉質の異なる4つの湯船があり、女性専用タイムが設けられていますが、眺めのよい女性専用の香華の湯も人気があります。

広瀬川の源流沿いの源流露天風呂が名物の「ゆづくしの宿 一の坊」では、深さ1.2mの立ち湯があり、浮力が働き、体が軽くなるような感じがします。客室は火鉢や囲炉裏などを備えたレトロ調のモダンなつくりになっていすます。ここは素泊まりが基本ですが、夕食は4つの食事処から自由に選べるようになっています。

2008年07月09日

広瀬川上流の作並温泉-その2

荒城の月の作詞で有名な明治の詩人・土井晩翠の定宿だったことで知られている「神の湯 作並ホテル」は、2年の歳月を費やして1枚岩を手堀して完成させたという天然岩風呂でも知られています。広い窓からの眺めはパノラマそのもので、女性用露天風呂は大浴場に隣接した広々とした造りなっています。

作並きっての大型ホテルといえば「La楽リゾートホテル グリーングリーン」です。開放的な露天風呂は、夜になると7色のライトで演出されます。美容と健康によいとされる麦飯石の湯船が隣接していますし、風呂上りにはリラクゼーションコーナーもあります。また、玄関前では深い緑に囲まれながらの足湯を楽しむこともできます。

「旅館 岩泉」は、風呂や廊下などにスロープや手すりが設けられ、バリアフリーに対する気遣いが全館に行き渡っていすます。露天風呂とサウナ付きの2つのタイプの家族風呂が自由に利用できるのが好評です。食事は、山形ステーキや地元の山菜、キノコなど季節感あふれる郷土料理がお膳に彩を添えます。

2008年07月18日

塩竃みなと祭-その1

歌枕ともなった塩竃の「千賀の浦」で、7月20日から21日まで「塩竃みなと祭」が繰り広げられます。まず、20日の前夜祭「ひかりピア塩竃」は、8,000発の大花火大会がメインの催しものです。全国の花火師集団である「芳賀火工」が打ち上げる空中ナイアガラやスターマインなどが、夜空を焦がし東北に夏の到来を告げるイベントです。

メイン会場となる塩釜市魚市場では露店もオープンし、「いそ山あかり太鼓(キッズ)」、「さかえ里美歌謡ショー」、その他の多彩なイベントも用意されています。21日本祭の最初の見所は、何といっても二基の神輿が急な表坂を御同列で下がってくるところでしょう。それから二基の神輿は御座船に乗って、約百隻の船を従えて松島湾を巡航します。

二基の神輿とは、ご存知奥州一宮で有名な志波彦神社・塩竃神社の二つの神輿のことです。志波彦神社の神輿は龍鳳丸、塩竃神社の神輿は鳳凰丸に奉安してマリンゲート前から御発船し、それぞれ異なったルートを巡航します。御発船前後には、いそ山あかり太鼓、御座船音頭(塩釜市婦人会)などで、一大絵巻を盛り立てます。

2008年07月19日

塩竃みなと祭-その2

松島湾で神輿海上渡御が行われているなか、塩釜港西埠頭の海の広場では、第二管区海上保安本部の巡視船「くりこま」が一般公開され、海に関係する色々な展示や露店も出ますし、塩竃市立浦戸第二小学校・浦戸中学校「浦戸あっぱれ太鼓」、塩釜女子高ダンス同好会「HIP-HOP」その他盛りだくさんのイベントが企画されています。

一方、陸上パレードも負けてはいません。20周年を迎える「よしこの塩釜踊り」に加え、「徳内ばやし」や「塩竃ねぶた」がパレードを盛り上げます。小学校バトン、PLバトン、ベガルタチアリーダー、はっとせ踊り、よしこの塩竃踊りコンテスト、朱雀連万灯みこし、互助会万灯みこしと続きます。

パレードの華は「よしこの塩釜踊り」ではないでしょうか。「よしこの」とは、江戸時代に流行した「よしこの節」という、日本独特のリズムに乗せて、即興で歌い踊る民謡のことです。伊達藩の廻米船の港だった塩竃にも当然「よしこの節」は上陸し、流行しました。それがやがてはっとせ踊りで知られる「塩竃甚句」として継承されています。

2008年07月21日

石巻川開き祭り

旧北上川の河口で繰り広げられる夏の一大イベント。17世紀初めの大規模な北上川改修工事により、石巻発展の礎を築いた川村孫兵衛重吉翁への感謝の祭りとして、石巻市制以前から催されている伝統行事です。7月31日の前夜祭は、住吉公園前から中瀬にかけての旧北上川河畔で行われる流灯で幕を開けます。

本祭り第1日目の8月1日は、旧北上川で市内の企業や団体が出場して行われる「孫兵船競漕」や目抜き通りで各小学校の鼓笛隊による「陸上パレード」などが見所です。夜はお楽しみの花火大会。打ち上げ総数15,000発で東北有数の「豪華花火大会」では、200mに及ぶ「ナイアガラ大瀑布」、大型の仕掛け花火や水中スターマインが打ち上げられます。

2日目は、「陸上パレード」「大漁踊り」「お祭り広場」「アクアカーニバル」などのイベントが行われ、水上では、前日に引き続いて「孫兵船競漕」が行われます。夜のメインイベントは、かがり火の中で行われる「大漁踊り」でにぎやかに祭りを締めくくります。大漁唄いこみが響きわたると、街中が踊り手の熱気で埋め尽くされ、見るものをも熱くさせてくれます。

2008年07月28日

仙台七夕-その1

仙台七夕は、仙台七夕まつりともよばれ、五節句の一つ「七夕」に因んで、仙台市で毎年行われるお祭りです。地元仙台では「たなばたさん」と呼ばれて親しまれています。その歴史は古く、江戸時代初期に遡ります。仙台藩祖の伊達政宗が婦女に対する文化向上の目的でタナバタを奨励したため当地でさかんになったとい説もあるとか。

詳細は不明ですが、江戸時代中期には全国各地で行われるようになり、1783年(天明3年)天明の大飢饉の発生により荒廃した世俗を世直しすることを目的に藩内で盛大に行われた。1873年(明治6年)の新暦採用を境に七夕の風習は廃れ始め、第一次世界大戦後の不景気がこれに拍車をかけ、地盤沈下がより一層進行してしまった。

1927年(昭和2年)、この状況を憂えた商店街の有志たちによって、大規模な七夕飾りが登場しました。すると、大勢の見物客で商店街が賑わったことに気をよくし、翌年の1928年には、旧暦の開催を新暦日付の月遅れ(8月6日~8日)に開催することとし、東北産業博覧会と関連して、飾りつけコンクールも行われました。

2008年07月29日

仙台七夕-その2

このようにして現在のような華麗な七夕飾りの礎ができ、庶民の風習である七夕は商店街のイベントに転換したわけですが、今度は第二次世界大戦の戦況悪化で、その規模の縮小を余儀なくされました。しかし、終戦後の1946年、仙台空襲で焼け野原となった街に52本の竹飾りがひらめき、仙台七夕は再復活しました。

翌年1947年の昭和天皇巡幸の際には、沿道に5000本の竹飾りを並べた大規模な飾りつけが行われ、「七夕祭り」は名実ともに復活を果たしました。1949年には七夕協賛会が発足し、その後の高度経済成長の波に乗り、「東北三大祭り」の一つに数えられるイベントに成長し、現在もなお変貌を遂げつつあります。

1970年からは、「動く七夕パレード」が始まり、現在の「星の宵まつり」として夜のイベントが加わりました。1983年からは「夕涼みコンサート:Starlight Explosion」も始まり、無料の屋外音楽イベントの色彩が強まっています。これらのイベントは、仙台七夕には、秋田の竿燈や青森ねぶたのような熱気がないという観光客の声に応えて企画したものです。

2008年07月30日

仙台七夕-その3

仙台七夕では、7種類の七夕飾りが飾られます。それぞれの飾りには次のような意味があります。短冊:「学問や書の上達を願う」、紙衣:「病や災いの身代わり、または、裁縫の上達を願う」、折鶴:「長寿を願う」、巾着:「富貴と貯蓄、商売繁盛を願う」、投網:「豊漁を願う」、くずかご:「飾りつけを作るとき出た裁き屑入れる。清潔と倹約を願う」、吹流し:「織姫の織り糸を象徴する」。

吹流しが現在の飾りつけの中心となっており、くす玉がつくことが多いようです。他の6種類の飾りも所々で見られまい。その他の特徴としては、「からくり七夕」があります。これは数本の糸繰り人形が載った小型の舞台で、一定の動きを自動で繰り返えされるものです。また、仙台七夕の初日である8月6日が原爆の日であることから、「平和七夕」が行われます。

これは、全国から寄せられる100万羽もの折鶴から18万羽を5本の吹流しにして飾られるもので、その他の折鶴は花輪状にして観光客に平和のメッセージとともに贈られます。飾りつけは、滑車をつけた10m以上の竹を、歩道に埋め込んである専用の差込口に差し込んで立て、次に、滑車に通した紐に吹流しなどの飾りつけ、紐を引っ張って飾りを引き上げ固定します。

2008年08月01日

仙台七夕-その4

仙台七夕まつりは、例年7月7日の月遅れである8月7日を中心に3日間にわたって行われます。大規模な飾りつけがされるのは、一番町や中央通などのアーケード街、JR仙台駅周辺などですが、それ以外の商店街や店舗、一般家庭などでも個別に飾りつけるところが多く、大小合わせて3000本と言われています。

東北の三大祭りの一つに数えられる仙台七夕まつりは、開催期間中200万人以上の人が訪れます。周辺の自治体にも広がった七夕飾りは、全国各地の七夕まつりに影響を与えてきたことから、首都圏などの企業や駅、空港の七夕飾りを作成する業者も存在するなど、その豪華な飾りつけが各地に移出され続けています。

絢爛豪華な七夕飾りに加え、前日の8月5日には花火大会も行われます。15000発に及ぶ花火は人気も高く、50万人以上の見物客で賑わうこのイベントは、広瀬川沿いの広瀬川仲ノ背緑地運動公園(仲の背橋西側の河川敷)で行われますので、西公園を中心に市内各地から見ることができます。点火時間は19時30分です。

2008年08月02日

松島パークホテルと広島原爆ドームの姉妹関係

日本三景・松島に、かつて和洋折衷のパークホテルという華麗なホテルがありました。入母屋造りの望楼を中心に、海に向かって両翼を90度に広げたものでした。このパークホテルが広島の原爆ドームと姉妹関係にあるというのです。そのわけはこうです。ホテル建設は当時宮城県知事だった寺田祐之が中心となって進めたものです。

チェコ出身のヤン・レツルが設計し、1913年に完成されました。戦前の県知事は官選でしたので、寺田はホテルオープンの半年前に広島県知事に転じてしまいました。そこで県物産陳列館計画に出会ったというわけです。場所は広島市の元安川のほとりでした。松島での経験がある、水面に映える設計に長けたレツルに白羽の矢を立てたのです。

物産館はホテルの2年後に完成しました。45年8月6日、上空で原爆が爆発し、付近一体は焼野原と化してしまいドームの鉄骨と残骸がのこった。「姉」に当たるホテルも69年に焼失してしまいましたが、もしホテルがなかったら、もし寺田が広島に転じなかったら、この数奇な建物の物語も世界遺産の原爆ドームもなかったでしょう(平成16年8月6日河北新報・河北春秋より)。

2008年09月06日

金華山黄金山神社の初巳大祭と神事

牡鹿半島の先に浮かぶ金華山は、霊場として正月の元朝参りや10月に行われる神鹿角切りなどの行事で有名ですが、金華山黄金山神社の最大の行事は初巳大祭です。古式にのっとった荘厳で華麗な神輿は見事なものです。本殿が開扉されて神輿が山を下り、海岸御旅所で海潮海祓の神事である神輿渡御が行われ、この日は本殿昇段参拝が許されます。

12年に一度の巳年には227日間もの間祭りが続けられます。また、金華山黄金山神社の神事である神鹿角切り行事は、毎年10月第1・2日曜日に行われます。鹿は神の使いとして大切に保護され、約500頭が生息していますが、そのうち黄金山神社境内にいる役50頭の雄鹿を大勢の勢子で取り押さえ、神官によって角を切ります。

周囲26km、標高445mのこの島は、神仏混交のその昔には金華山大金寺と称して弁財天を祀り、奥州藤原氏、葛西氏、伊達氏など時の権力者の寄進を受けていたといます。江戸時代までは女人禁制の山で、出羽三山、恐山とともに東奥三大霊場とされていました。「三年続けてお詣りすれば、お金に不自由しない」といわれています。

2008年09月08日

おしかホエールランド

石巻市牡鹿地区鮎川は、江戸時代から仙台藩の命を受け、鯨組という捕鯨組織が編成されていました。日本有数の捕鯨基地である鮎川には、明治以後捕鯨会社が置かれて南氷洋捕鯨で栄えた町です。今でもこの地区には鯨の文化が残っており、観光桟橋前に造られたホエールランドにその歴史の重さがたっぷりと詰まっています。

館内では、捕鯨の文化やクジラの生態などを紹介しているコーナーがあり、ボディソニック、3D立体映像体感シアターのほか、館内一階には日本最大のマッコウクジラの巨大な骨格標本もあります。また、中庭には南氷洋捕鯨時代に活躍した捕鯨船(キャッチャーボート)やモリも展示されていますから、当時の様子がよく解かります。

日本を始め北欧では、長い間クジラの恩恵を受けてその文化を育ててきました。おしかホエールランドはこうした人間とクジラのかかわりを捕鯨の歴史とともに学んでいただくためのものです。高さ24mのエントランスホール天井に飾られた、実物大のザトウクジラの親子はその象徴的存在です。海の偉大さを改めて感じることができる施設です。

2008年09月16日

気仙沼地方のユニークな祭り

各地でにぎやかに繰り広げられた夏祭りが一段落したと思うと、もう秋の収穫を祝う祭りが目前に迫っています。10月に行われる「気仙沼・本吉地方産業まつり」では、気仙沼魚市場を会場に、魚介類、農産物、木工品などの地域特産品が一堂に集められ、100を超える店で賑わい、振舞酒やイベントも盛りだくさんです。

なかでも圧巻なのが、毎年ギネスブックに挑戦しているジャンボのり鉄火巻き大会でしょう。また、11月になると旬のカキを味わうことができる「リアス牡蠣まつり唐桑」が行われます。この催しは、唐桑町民運動場を会場に開催されるもので、カキ田楽、カキ鍋、カキ炭焼きなどの試食コーナーが設けられます。

そのほかにも、カキなどの魚介類や農産物の販売コーナーやカキ殻積み上げ、カキむき体験などカキづくしのイベントです。続く12月には南三陸町で「志津川湾おすばでまつり」が行われます。「おすばで」とはこの地方独特の言葉で「酒のつまみ」の意味です。南三陸町地方卸売市場を会場に行われ、正月に備えた新鮮な海産物や農産物が並びます。

2008年09月17日

世界最古の魚竜化石

昭和45年に南三陸町歌津館崎西海岸で魚竜の化石が発見されました。この化石は中生代はじめの三畳紀(約2億4200万年前)の地層から出土したものといわれています。この化石は、魚竜の中でも古い時代のもので、学名は「ウダツザウルス」、和名は「ウダツギョリュウ」と命名されており、国の文化財にも指定されております。

魚竜は、大型海棲爬虫類でイルカに似て大きい歯を持っており、中生代の大部分に亘って生存していたということです。恐竜よりやや早く出現し、恐竜よりも2500万年早く絶滅した。山畳紀前期に魚竜は陸上の爬虫類が進化して水棲になった。ジュラ紀に繁栄したが、白亜紀になるとその地位を首長竜に取って代わられた。

南三陸町歌津の魚竜館は、発見された魚竜化石の上に建てられた全国でも珍しいミュージアムです。館内には、国指定天然記念物のウダツザウルスの化石やジオラマ、ドイツで発見されたイクチオザウルスの化石、イタリアから取り寄せたベザノザウルスのレプリカなど、世界の魚竜化石も常時展示されています(みちのく散策総合サイトより)。

2008年09月20日

南三陸町のグリーンツーリズム

南三陸町はどぶろく特区の指定を受けています。どぶろくが完成したのは2006年7月のことで、漁家レストラン慶明丸で提供されています。ここはウニの潜水漁としても知られており、南三陸の新鮮な魚介類を使った料理も豊富ですから、手作りどぶろくと合わせて味わえば特区指定の意味がよく理解できるでしょう。

南三陸町にはグリーンツーリズム体験ができるところがもう一つあります。それは「校舎の宿さんさん館」です。廃校となった木造校舎を利用したもので、ホタテの水揚げなどの漁業体験、野菜の種蒔きなどの農業体験、シイタケ植菌などの林業体験など、宿泊体験メニューが100種類も楽しめるのが魅力です。

また、さんさん館では、そば打ちなどの食の体験もでき、隣接する産直の店には、地元の野菜や山菜、キノコなどの食材が並んでいますし、食堂では、予約をすれば、南三陸地方の伝統的なもてなし料理である各種モチ料理が味わえます。昔ながらの懐かしい木造校舎で、グリーンツーリズムに浸ってみるというのも、新しい楽しみ方かもしれませんね。

2008年09月22日

南三陸の黄金とシルク

宮城県北部の太平洋岸沿いには、金鉱山跡があり、平泉の黄金文化や源義経と関係のある伝説もいくつかあります。そのなかの一つ鹿折金山では、明治時代末期に重さ2.25kg、純度83%、金鉱石品位では世界記録となる金鉱石が採掘され、モンスター・ゴールドと呼ばれました。金鉱山跡には資料館があり、金鉱石や工具などが展示されています。

一方、こちら志津川入谷地区は、仙台藩養蚕発祥の地として栄えた所で、「ひころの里」のシルク館では、養蚕の歴史が紹介されています。シルク館では、繭を使ったコサージュやコースター織りが体験できますが、3月上旬には多くのシルク作品が展示されるほか、そば打ちや草木染めなどの体験もできます。

また、農家レストランひころの里では、南三陸町の海と山の幸を使った定食ひころ膳には、そばはっと汁、玄米もちのくるみ和えなどが付きます。繭細工や機織にチャレンジしたり、シルクフラワーフェスタに参加したりして、新鮮な山海の珍味をいただく。南三陸「黄金街道」の楽しみ方には様々なオプションがあります。

2008年09月23日

昭和の香りが漂う「屋号通り」

気仙沼港に面した内湾地区は、「風待ちの町」と呼ばれていたということです。気仙沼湾を帆船が行き交っていた時代には、沖へ出て行くための風(ナライ風)を待って、船が出帆していったことから、その名がついたといわれています。町の有志により「風待ち研究会」が設立され、由緒ある町の文化の発見と保存が進められています。

そのなかでも、古い建物が残る魚町の一角は、「屋号通り」と呼ばれ、デザインを統一した暖簾が掲げられ、休憩用のベンチが設置されています。この「屋号通り」の一角に2004年7月にできた昭和時代の駄菓子屋風の店があります。ブリキのおもちゃ人形、駄菓子、くじなどのレトロな商品が並んでおり、野菜なども直売しています。

古きよき時代の香り漂うこの界隈は、地元の人にとってばかりではなく、小さな文化遺産として残しておきたくなる佇まいです。そうしたおもいから、町の有志が立ち上がったのでしょうが、ゆったりとしたときがながれる街並みは、その価値が十分に伝わってきます。もちろん、もてなしの心にも触れることまちがいなしです。

2008年09月24日

志津川湾での楽しい体験

志津川湾内では、志津川観光汽船による志津川観光クルージング「志津川シーパラダイス」が楽しめます。志津川魚市場前を出港し穏やかな湾内を一周するコースですが、ワカメやカキの養殖イカダなどが見られます。また、志津川湾に面した袖浜海浜公園には、隣接した海の釣堀「志津川フィッシングパーク」があります。

ここは、湾内に設けられたイケスで、クロダイ、マダイ、ヒラメなどの釣が楽しめます。浮き桟橋の上なので、船に乗っているような感覚が味わえるのが嬉しいですね。更に、志津川湾のスキューバーダイビングも注目を集めています。海流がぶつかる青島周辺は、水のきれいな冬は生物観察には絶好のスポットです。

湾岸には専門店と漁協が共同でシャワーなどの施設を整備していますし、ダイバー講座も開催されています。この延長ともいえるシロザケスノーケリングは、秋に川を遡ってくるサケの生態を水中で観察し、撮影するという体験ができます。さすが、宮城一を誇るサケの水揚げ港志津川ならではの企画ですね。

2008年09月27日

原阿佐緒記念館

大正時代の三閨秀歌人(優れた女流歌人)の一人といわれた原阿佐緒は、宮城県黒川郡宮床村(現在の大和町宮床)出身で、明星派の与謝野晶子に師事し、後にアララギ派の斉藤茂吉や島木赤彦の指導を受ける。九条武子、柳原白蓮とともに大正の三閨秀歌人として美貌と才能が謳われたが、私生活では自由な恋愛遍歴のもちぬしでもあった。

数々の悲恋、自殺未遂、離婚など波乱に富んだ人生を送った阿佐緒だが、その作品は叙情的で繊細な感覚にあふれている。明治時代に建てられた洋風の生家を1990年に改修して保存、原阿佐緒記念館として開館した。館内には阿佐緒の歌や日記、手紙、日本画など数々の資料を展示し、阿佐緒の生涯を紹介しています。

この生家は阿佐緒の祖父と父によって明治16年に建てられたと推定されています。伝統的な土蔵造りを洋風建築に応用したもので、漆喰仕上げの壁に畳敷きの和洋折衷の建物です。むくり破風をつけた吹きっ放しの玄関ポーチ脇にある歌碑は、昭和36年7月30日に建てられ、除幕式には阿佐緒本人も出席したといことです。

2008年09月29日

吉野作造記念館

吉野作造は、大正期の日本を代表する政論家で、大正デモクラシーの理論的指導者であった。1878年(明治11年)に宮城県志田郡大柿村(現大崎市古川)で生ました。「政治とは国民全体の幸福を中心に考えるべきだ」という議論を展開し、東京帝国大学教授で法学博士、新聞の論説委員も努めたジャーナリストでもあった。

欧米留学で欧米の近代政治学を学び、当時天皇主権のもと一部の人間のみで行われていた政治を国民全体の利益追求のために行うべきだと主張し、デモクラシーを「民本主義」と訳し、天皇制を維持しながら政党内閣と普通選挙制の実現を要求した。記念館では、日本の政治運動に偉大な足跡を残した吉野作造の生涯を見ることができます。

宮城県尋常小学校時代は成績優秀で特待生、校長の大槻文彦(日本初の国語辞典の編集者)とは師弟関係でもあった。芝居見物と古書収集が趣味だった作造は最後まで東京弁が苦手だったとか。民主という表現は憲法違反だった時代に生きた「民主主義の父」は今の民主主義をどう感じているのでしょうか。一度聞いてみたいものですね。

2008年10月08日

紅葉が見事な長老湖

七ヶ宿と遠刈田を結ぶ県道南蔵王七ヶ宿線沿いにある長老湖は、山に囲まれた静かな湖です。標高500m、周囲2km、紅葉が美しい場所として知られている。周囲は遊歩道が整備され、ボート遊びや釣りを楽しむこともできます。この山あいの静かな長老湖を引き立てているのが、北に聳える秀峰「不忘山」の景色です。

この山は、蔵王連峰の南に位置し、高山植物の宝庫でもあります。看板にしたがって900m林道を歩くと、横川に架かる「やまびこ吊橋」があります。20mもの高さから渓谷越しに雄大な不忘山が見られます。さらに1km南に下ると、かつての木地師の里である横川集落があります。そのほか、白石との境にある硯石、源義家伝説などでも知られています。

青く澄んだ湖面に不忘山の山影を映し出す長老湖は、四季折々の楽しみ方がありますが、紅葉の季節が最高だという人は多いのではないでしょうか。ゆったりとした駐車場やユースホステルも完備されていますので、一泊旅行にも最適なスポットです。そろそろ見ごろを迎える長老湖の紅葉をこころゆくまで堪能してください。

2008年10月11日

丸森町の阿武隈ライン舟下り

仙台から車で約1時間南へ下ると阿武隈川沿いの町丸森町に着きます。この町は、かつて米や農産物を積んだひらた船が川を行き来していましが、今はのんびりと船下りを楽しむことができます。悠久の流れを屋形船でゆったりと進むコースには、「弘法の噴水」などの見所もあり、9~11月下旬までは芋煮とおにぎりがつく芋煮船も登場します。

のどかな川の流れに身を任せ、心地よい風と緑を満喫した後は、江戸から昭和にかけての豪商の暮らしぶりが窺える蔵の郷土館・齋理屋敷を見て回るコースもあります。丸森の歴史や文化に親しんだ後には、丸森名物イノシシ鍋や寄せ鍋など、地元特産のキノコや野菜をふんだんに使った料理を味わうことができます。

上流の産業伝承館(あぶくま駅)を出発し、下流の観光交流センターに向かう約11kmのあぶくま駅コースは、2,000円、観光交流センター発着の周遊コースは1,600円(いずれも4~11月運行)、12~3月はこたつ船のみの運航です。また、電車でのんびりという人には、ウイークエンドバス「るんるん号」が阿武隈急行の発着時間に合わせて運行されます。

2008年10月15日

観慶丸本店丸寿美術館

全国的に有名な陶器商「観慶丸本店」には、江戸時代から代々受け継がれてきた陶器が約100点あまり展示されています。200年以上前の貴重なものもあり、訪れる人の目を奪います。当時、北上川の川船で運ばれてきた米などの荷物がここに集まり、太平洋に面していた石巻が東北の玄関として栄えたことが創業のきっかけになったようです。

ここから江戸まで伊達藩のお米を運んだのが千石船です。この船の船頭だった初代須田幸助が、復路の空船の安定を保つため陶器を積んで石巻に帰り、副業として陶器の販売始めたというわけです。その後百貨店などの変遷を経て現在に至っていますが、先々代の須田幸一郎が無類の陶器好きで全国から価値のある陶器を集めました。

現在でも珍しい古陶器が残っているのはそのためでもありますが、当時の航海は太平洋の強い潮流や台風などの影響でリスクが大きく、高い熟練を要したものだということです。そのため、船頭への依存度が高く帰り船の利用方法は船頭に委ねられていたため、サイドビジネスとしてなかば公然と認められてことが、現在の美術館に繋がっているようです。

2008年10月22日

見ごろを迎えた鳴子峡の紅葉

鳴子温泉郷の西部には、四季折々の鮮やかな彩りを楽しませてくれる大渓谷があります。ご存知鳴子狭はこれからの季節、紅葉が素晴らしく全国から観光客が押し寄せます。大谷川が深く刻んだⅤ字渓谷は、高さ100mほどの断崖絶壁が2km以上にわたって続き、雄大で荒々しい景色が訪れる人の目を楽しませてくれます。

春は新緑が鮮やかですが、秋はまた紅葉がことのほか見事で、見晴台から大谷橋までの2.5㎞の間に整備された遊歩道を散策しながら、じっくりと深まり行く秋の景色を満喫できます。こうした錦絵に加え、川の流れもまたすがすがしく、変化に富んだ奇岩の数々も渓谷美に花を添えてくれる感じです。弁慶岩、夫婦岩といったものなどがそれです。

遊歩道の散策時間は約1時間ほどですが、2007年に落石があったため、現在のところ一部通行止めになっているかもしれませんが、茶褐色の岩肌にブナ、ナラなどの黄色、楓の赤、松の緑が映えわたり見事なものです。中山平のレストハウスから眺めるだけでも十分楽しめますので、早めにお出かけになってはいかがでしょうか。

2008年10月24日

知る人ぞ知る松島の紅葉

宮城の紅葉といえば、栗駒、蔵王エコーライン、秋保、鳴子峡などが有名ですが、知る人ぞ知る紅葉の名所が松島にもあります。観覧亭、天麟院、円通院、双観山も名所としてよく親しまれています。特に美しく手入れされた円通院庭園の紅葉は、自然の紅葉とはひと味違って日本の伝統美を感じさせてくれます。

松島という名前の通り、1年中緑の葉をつけた松の緑が多いなか、落葉樹の紅や黄色とのコントラストは時に新たな感動を与えてくれます。今年も10月31日~11月30日まで恒例の「松島ライトアップ」が行われ幻想的な景色が楽しめます。闇の中にぽっかりと浮かぶもみじの紅色に魅せられて訪れる全国のフアンも多いそうです。

さて、松島でもう一つ紅葉の名所を挙げるとすれば扇谷でしょう。展望台付近にあるモミジは秋になると一斉に朱色に染め上がり、自然の季節感が胸に迫ってきます。日本人の心である侘びさびの世界と大自然が織りなす雄大な景色、どちらも松島らしい本当の顔であることを再発見できるひと時となることでしょう。

2008年10月28日

藤原実方朝臣(光源氏のモデル)が眠る地

藤原実方朝臣は百人首の「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思いを」の歌で知られる平安時代の貴族で、藤原一門でも由緒ある家柄で生まれ、美男の誉れが高く、和歌の才能にも優れ、源氏物語の光源氏のモデルだったとも言われている人物です。この実方が陸奥守として4年の間多賀城に赴任していました。

任期が間近になったある日のこと、出羽千歳山(山形市)の阿古耶(あこや)の松をたずねた帰り道に、名取郡の笠島道祖神の前を通ったとき、土地の人がこの神は霊験あらたかであり、失礼のないよう馬から下りるように進言しだが、実方はこれを無視して通り過ぎたところ、馬が突然暴れだして実方は落馬しなくなってしまった。

後に西行法師が歌枕を訪ねて東北を旅した際、この地を通ったところ道端の塚に気づいて地元の人に尋ねたところ、実方の墓であることがわかったという。松尾芭蕉もまたこの近くに訪れ句を読んでいます。実方はじめ多賀城に赴任した貴族たちは、みちのくをロマンあふれる地として多くの都人に紹介したのでしょう。

2008年10月29日

もう一人の光源氏

昨日の藤原実方朝臣が光源氏のモデルであるという節に違和感を覚えた方々も多いのではないでしょうか。というのは、以前紹介したモデルは、河原左大臣、源融(みなもとのとおる)であったのに、おかしいではないかという点についてです。しかし、現実にこの二人の人物はともにモデルであったと確かに伝えられているようです。

当店の立場からすると、源融がモデルであったという節を支持したいのです。それは、同じ時代に陸奥出羽按察使(あぜち)として国府多賀城に下向したことまでは同じでも、塩竃の浦の眺めがことのほか気に入り、塩竃神社向かいの高台に屋敷を建てて塩竃の風景を愛で、帰京後もその景勝が忘れられず、京都6条に塩竃の浦を再現したのが源融だからです。

平安の昔を代表するプレーボーイが暮らしていた町に、今わたしたちも住んでいると思っただけでも近親感を覚えます。今風に言えばさしずめヨン様の隣にでも住んでいるような気分とでもいえばよいのでしょうか。実はこの源融、陸奥には下向していなかったとい説もあるようですが、塩竃の浦を有名にした功績だけは間違いないようです。

2008年11月10日

白石城と片倉小十郎景綱-その1

白石川から南蔵王を望む白石市の一角に白石城があります。この城は伊達家の重臣として知られる片倉小十郎景綱が関が原の戦い後、慶長7年(1602年)に入場して以来260年、十代にわたって片倉氏の居城として栄えてきました。しかし、その歴史は古く寛治2年(1088年)後三年の役で刈田左兵衛尉経元が戦功でこの地を賜ったことに始まる。

その後、一時白石氏などの支配を経て、伊達氏の支配下に入った蒲生氏の所領となり、城を大改築して本丸に天守閣の代わりに三層櫓や坤櫓・巽櫓を築き、輪郭を整えました。その後、会津藩主となった上杉景勝の家臣である甘粕備後清長が入場しました。慶長5年(1600年)徳川家康は会津上杉討伐を起こし、伊達政宗は徳川方の要請に呼応した。

こうして勝ち取った白石城であったが、関が原の戦いの後、刈田郡は伊達家が領有することになり、青葉城の守りとして伊達家の重臣片倉小十郎景綱を白石城に入らせた。この片倉小十郎景綱こそ、仙台藩主伊達政宗を支えた逸材でした。仙台藩内で青葉城以外の唯一の城であることからも政宗の信頼が厚かったことが察せられます。

2008年11月11日

白石城と片倉小十郎景綱-その2

初代白石城主となった片倉小十郎景綱は、米沢八幡の神職の子として生まれたが、伊達家の米沢時代に聡明さを買われ、そのころまだ幼かった梵天丸(政宗の幼名)の近侍となった。戦国時代の騒乱期にあって数々の武勲を挙げ、政宗随一の重臣として処遇されるまでに出世をした人物であり、豊臣秀吉からも誘いを受けたという。

秀吉が小田原の北条氏を攻めた時、伊達政宗は秀吉から援軍の要請を受けたが、あくまでも戦国の覇者への道を歩むべきと主張する主流派と、秀吉の援軍要請に従うべきとする参戦派とが対立し、政宗が決断できずにいたとき、小十郎の進言により秀吉の要請に応えることを決意したため、伊達家は事なきを得ることができたという。

こうして、伊達家の重鎮として天下に知られるようになった景綱は、秀吉ばかりか家康からも誘いを受けたが、あくまでも政宗の家臣であることを固辞したという。片倉家では、代々小十郎の名を継ぐが、二代目小十郎重長は大阪夏の陣で大阪方の名将真田幸村軍や後藤又兵衛と激闘を演じ、鬼の小十郎と呼ばれるほどの武者であったという。

2008年11月19日

万石浦の景観

万石浦は渡波港の奥深く牡鹿半島の山々に囲まれた巨大な入海です。この万石浦から佐須浜地区の尾崎から韮崎間は「県立硯上山万石浦自然公園」に指定されています。近世初期には、入江式による製塩が渡波流留地区で行われていましたが、ここはアマモ場が発達し、カレイやメバルなどの石巻湾の漁業を支える水産資源の保育場になっています。

万石浦という地名の由来は、仙台藩二代藩主の伊達忠宗が「干拓すれば優に一万石の米が採れる」といったことによると伝えられています。水深が深いところでも3mと浅いため、干潮時には潮干狩場として活用されていますし、カキやノリなどの養殖も盛んで、特にカキの稚貝は全国のカキ養殖場に種苗として供給されています。

また、観光拠点としても整備が進められており、1613年に伊達政宗の命により支倉常長らを乗せ出帆した慶長使節船が再現され、サン・ファン・バウティスタパークに展示されています。ここは約2万坪の敷地で万石浦の入り口に当たる場所ですが、ここから眺める夕日はまた格別で、太平洋の雄大さを改めて感じさせてくれます。

2008年11月21日

尿前の関(しとまえのせき)

鳴子から小国に抜ける出羽街道に尿前の関があった。1689年(元禄2年)5月15日、芭蕉と曾良はこの尿前の関にさしかかった。当初は小野田経由で山越えする予定であったが、道が険しいので急遽鳴子経由で中山越えに変更して、通行手形の用意がないまま関所に入ってしまったため取調べが厳しく長時間足止めされたということである。

ここは出羽仙台街道の宿駅のひとつで、交通の要所であると同時に軍事上の要衡の地であったこともあり、戦国時代から堅い守りが敷かれていた。有名な句、「蚤虱(飲み滲み)馬の尿(ばり)する枕もと」は、峠を越えた堺田の封人の家に宿したときに作られたもの。芭蕉がここを通ってから約80年後の明治5年に「蚤虱~」碑が建てられた。

尿前の地名は義経が平泉に向かう途中、北の方が藤原領内に入った安堵から尿をしたためという。「奥の細道」の旅のほぼ中間点。芭蕉と曾良は鳴子温泉の西に位置する、この尿前の関を越えて、最上、尾花沢へと出羽の国に進んでいった。尿前関所跡付近には出羽街道の昔ながらの道も見られ、芭蕉一行の苦労が今に偲ばれる名勝地です。

2008年11月22日

二階滝の滑津大滝

七ヶ宿ダムをさらに遡ると滑津地区に滑津大滝があります。国道113号線からすぐなので、多くの観光客が訪れるこの滝は、幅30m、高さ10mの豪快な2段滝で二階滝とも呼ばれています。白石川の上流部に位置する濁りのない清流で、夏には子供たちが滝壺で泳ぐ姿が見かけられます。滝の下流は解放的で遊歩道があり、すぐ脇まで行くことができます。

駐車場には産直所「旬の市七ヶ宿」があり、地場産の野菜や山菜、キノコなどを販売しており、観光客から人気が有ります。また、ここより下流側の路傍に、参勤交代で秋田の殿様が見初めた娘との物語を伝える「振袖地蔵」があり、さらに下流に下ると宿場の面影を今に伝える「安藤家本陣」(非公開)があります。

この滝はブナ、ナラ、カエデなどの広葉樹の森に囲まれていて、川面に流れる落ち葉も美しい。轟音とともに川幅いっぱいに流れ落ちる水、まるで生き物のような迫力で、訪れた人の目を楽しませてくれます。階段を登って上から見ると全く変わった印象になるのが面白い、ダイナミックな滝と紅葉が楽しめるスポットです。

2008年11月28日

金華山の観光が大ピンチとか

「三年続けてお詣りすればお金に不自由しない」というあの「金華山詣り」が今ピンチだという。その理由は長年運行していた観光船の船会社が廃業してしまったため、せっかく観光客が鮎川港の桟橋まで来ても、肝心の金華山にわたることができないのだそうです。もちろん、モーターボートや小型の客船は運航されてはいますが。

そういえば、最近は「金華山詣りツアー」もめっきり減ってきているようにも思いますが、地元の観光関係者は、足がなくなったことが最大の原因だと嘆いています。しかし、観光客の足が遠のいてしまったため、観光船の経営が行き詰ったとも考えられるわけだから、もっと根本的なところに問題があるのかもしれません。

いずれにしても、例の給付金のようなアメダマより、信仰することで将来に夢をもち、夢をもつことで前向きになれる、金華山はその象徴のような存在です。来年こそはという希望を持って希少価値のでてきた小型の観光船に乗り込んでみては如何でしょうか。神様は、きっとその心意気を高く評価するに違いありません。

2008年11月29日

宝ヶ峯縄文記念館

石巻市旧河南町の斎藤家は東北屈指の大地主であった。戦前には1,400haの田畑を所有し、酒造業なども営んでいた名家として知られていた。戦後の農地改革で田畑は手放した。宝ヶ峯縄文記念館は、明治時代に別荘を建てるために道路を開削したとき、発見された出土品である土器や土偶、石器など200点以上が展示されています。

宝ヶ峯遺跡という名前は、発掘調査に当たった東京大学教授によって名づけられたものです。記念館は、斎藤家で使用していた茅葺屋根の美しい建物を利用している。斎藤屋敷と呼ばれる縄文記念館は、斎藤家の邸宅の敷地内にあり、手入れのゆき届いた見事な庭園の中にあります。入り口を入ると、まず目に入るのが形のよい松と石灯籠です。

飛び石をわたってゆくと庭にでます。9代目の当主前衛門氏が明治時代に造成した池泉回遊式庭園で、邸宅や蔵、背後の丘陵や竹林も一体感があり、素晴らしい景観を作り出しています。背後の洞窟から湧き出している金名水と呼ばれる名水が庭を流れ池に注がれている。また、蔵の中には斎藤家の武具や家財道具なども展示されています。

2008年12月02日

マリンピア松島水族館

ペンギンのお散歩やアシカと握手など数々のショーで知られる「マリンピア松島水族館」。ここは昭和2年の会館で、日本で2番目に長い歴史を持つ水族館です。ラッコやペンギン、パンダイルカなど300種類4000点の海の生き物が展示されています。その中で特に人気があるのは見事な芸を見せるアシカショーでしょう。

また、ペンギンの給餌体験や水族館裏方のガイドツアーなどユニークなイベントも週末に開催されるなど盛りだくさんのメニューがあります。そのほかにも、マンボウなど近海に棲む魚類も数多く展示されています。JR仙石線松島海岸駅から徒歩3分というのも魅力の一つですが、どうやら移転されることになっているようです。

観光地松島の顔として長年親しまれてきた「マリンピア松島水族館」がなくなるのは、地域の観光資源であるだけに寂しい限りです。しかし、移転先は仙台新港付近ということなので、観光地としてのインフラが充実されることになるのかもしれません。いずれにしてまだ先のことですので、この冬のイベントは健在のようです。

2008年12月03日

いしのまきマンガロード

マンガッタンライナーは、仙台市と石巻市を結ぶJR仙石線の楽しい列車の名前です。この列車は石ノ森章太郎作品のマンガキャラクターが車体の壁面や壁、天井などに描かれていることからその名がつけられた。車両は「サイボーグ009」「仮面ライダー」「秘密戦隊ゴレンジャー」「がんばれ!!ロボコン」の4種類が土・日に往復2便運行されています。

石巻に到着すると、人気のマンガキャラクターが出迎えてくれます。これらのマンガの作者である石ノ森章太郎は宮城県登米郡中田町(現在の登米市)に生まれました。日本漫画協会賞グランプリなどを受賞した人気作家でしたが、創作活動の傍らみやぎ夢大使を務めるなど、平成10年に亡くなるまで宮城を愛し続けた人でした。

この石ノ森作品を核に漫画によるまちおこしを進めているのが石巻です。石巻駅から石ノ森漫画館までの約1kmにキャラクター像を配置し、訪れる人を楽しませてくれます。ペアーレ前広場には仮面ライダー、橋通り商店街には「さるとびエッちゃん」のエッちゃんとブクの像といった具合で、大人たちも懐かしいヒーローに出会えます。

2008年12月06日

鳴子温泉郷めぐり-その1

鳴子温泉郷には、鳴子、東鳴子、鬼首、中山平、川渡の5つ温泉があります。奥州三名湯の一つといわれるこの温泉郷は、源泉数が400本以上で、日本の天然温泉11種類の泉質のうち、9種類がここに揃っています。もちろん泉質、効能ともに優れているため、100%のかけ流しは贅沢そのもので、きっと大満足いただけるものと思います。

この温泉郷の歴史は古く1200年前に遡ります。噴火によって湧き出したといわれる温泉で、源義経が平泉に向かう途中、ちょうどこのあたりで側室の北の方が男児を出産したが、生まれたときは元気がなかったのに、近くにあった温泉で産湯を使ったところ、大きな産声を上げたという伝説から「ロ晞子:なきご」、それが転じて鳴子になったと言われています。

鳴子温泉の代表とも言うべき「滝の湯」は1000年の歴史を持つ総ヒバ造りの共同浴場で、昔ながらの温泉の佇まいが色濃く残っています。浴室には独特の硫黄の匂いが漂い、天井からお湯が注ぎこまれる。100%源泉のお湯は湯元から直接木の樋で建物に引き込むという原始的なやり方を今も通しています。この素朴さがなんとも贅沢に感じられます。

2008年12月08日

鳴子温泉郷めぐり-その2

鳴子温泉の温泉街から108号線を上って進むとやがて鳴子ダムが見えてきます。このダムを越えると、間けつ泉で有名な鬼首温泉に到着します。鳴子の温泉街から車で20分ほどの距離ですが、自然環境が豊で夏は避暑地として、冬はスキー客で賑わう温泉地としても知られているスポットで若い人たちにも人気があります。

この辺一帯は大地のエネルギーがあふれており、遊歩道を歩くとあちらこちらに噴気があがっているのが見えます。地獄沢や間けつ泉がその代表格なのでしょうが、このエネルギーを利用した地熱発電所も近くにあります。間けつ泉は約20分間隔でプシューッという音ともに20mもの高さにまで湯柱を吹き上げます。

ここには7軒の温泉旅館と1軒の日帰り入浴施設があります。その中の一つ、吹上温泉の峯雲閣は、自然を体感できる滝壺の湯で、滝になって流れ落ちる天然の湯を滝壺の浴槽で楽しめる。5~10月までの季節限定ですが、この期間は最適な湯加減であると評判です。1日に8組しか受入れないという拘りが、秘湯の名をより一層高めているようです。

2008年12月09日

鳴子温泉郷めぐり-その3

東鳴子温泉は、JR陸羽東線の鳴子御殿湯駅近くに開けた温泉街です。ここの温泉の特徴は、昔ながらの湯治場の雰囲気が残っていることでしょう。今も自炊客が長く逗留するひなびた宿が、家庭的なサービスの温かみをより一層感じさせる貴重なところです。その一角にある高友旅館は、混浴の「黒湯」「重曹湯」などで知られています。

陸羽東線の東南には、この他に田中温泉、中野温泉、馬場温泉などでも個性的な湯が湧き出していますが、江合川の向かい側、赤這地区ではこれらと全く違う泉質のお湯が湧き出しています。このように場所により泉質の違うお湯ですが、共通しているのは、植物腐敗食成分を含むモール泉の性質をもっていることです。

モール臭とよばれる鉱物系の臭いがあり、一部のお湯ではこれに重油やシンナーのような油臭い臭いも加わっています。開湯の歴史は古く、平家の落人が仁治元年に発見したという説もあれば、天平19年、この地に玉造軍団が設置された際に既に温泉は存在していたという説もあるほどで、いずれにしても伝統ある温泉場であることは間違いありません。

2008年12月10日

鳴子温泉郷めぐり-その4

鳴子温泉郷随一の湯量を誇っている中山平温泉は、高温の源泉が湧いているため、湯けむりも温かく感じられる。少しだけ白くにごった硫黄泉だが、お湯に浸かってみるととろりとして肌触りがとても滑らかです。大谷川のせせらぎ沿いに開けたこの温泉郷は、こげた臭いのする硫黄の香りが温泉情緒をかきたてる。

この温泉街の一角にある「琢琇」は、秘湯を守る会の会員でもありますが、この度、「源泉湯宿を守る会」の認定を受けたということです。全国で40番目というから、大変名誉なことだと関係者は喜んでおりますが、この宿のユニークさは他にもあります。何しろ全館バリアフリーで、名づけて「ねころびの館」と称しています。

お客様には何時もごろっと寝ころんでもらいたいという心遣いが嬉しいですね。また、車椅子のお客様や家族連れの方々にもゆったりと過ごしていただくため、鶯宿梅というゆったりとして部屋が用意されている。その上、お風呂は中国産の大理石をくり抜いて造った豪華なもので、長い船旅のすえここに据えられたということです。

2008年12月12日

鳴子温泉郷めぐり-その5

鳴子温泉峡の一番東側に位置するのが川渡温泉です。平安時代から玉造湯として知られた名湯で、脚気に効く湯として有名です。昔ながらの木造の宿が多く、訪れる湯治客にも根強いフアンがいるようです。また、川渡温泉浴場は、毎日通う地元の人もいる共同浴場ですが、少し熱めなので長湯はできないかもしれません。

川渡温泉は、豊な田園に囲まれた静かな湯の里で、鳴子温泉郷の中でも最も開湯が早く、藩政時代には京の都にまでその名が知られていたということです。ここの温泉は、脚気可波多比(かっけかわたび)の名でしたしまれていますが、そのほかにも神経痛、リューマチなどにもよく効くといわれて遠くから訪れるお客様も多いそうです。

この温泉街から車で10分のところに、東北大学の付属研究所があります。ここは、ウシやヒツジなどがいる施設で、昭和24年に農業や環境などを学ぶために設置されたものです。この温泉街の一角に、創業350年の老舗中の老舗旅館があります。18代目・女将の藤島勝子さんは、湯治場として親しまれてきた旅館の部屋を一部学生たちに提供しているといいます。

2008年12月20日

SENDAI光のページェント-その1

昭和61年に始まり今年で23回目を迎える「SENDAI光のページェント」が今年もやってきました。例年通り12月12日に点灯され、大晦日まで仙台の夜空を彩ることになります。メイン会場は青葉通りと定禅寺通りですが、新しい試みも次々に登場してきています。その一つが一昨年から始まったドリームツリーです。

このイベントは、来場者の皆様と一緒に、市民広場円形公園内に設置された15本のミニツリーにそれぞれの夢を書き入れて飾るという市民参加型の企画です。その心には、「仙台で育っていく子供たちや若者に新たなページェントの思い出を提供したい」という願いが込められています。周りの樹木や花壇装飾にも約17,000個の電球が取り付けられています。

また、今年の学都×楽都コラボレーションのテーマは「一輝灯仙」ということです。その意味するところは、イベントが広がることで仙台を明るく灯し、輝く街にしていくという思いを込めたものだとか。青い幻想的な光に包まれて仙台市民それぞれの夢や思いを引き出します。点灯期間は12月31日までですが、イベントは22~24日までです。

2008年12月22日

SENDAI光のページェント-その2

一方ブースイベントも盛んで、在仙の学生や市民サークルなど幅広い人たちに加え、SENDAI光のページェント実行委員会学生部会と観客の皆さんのコラボレーションにより、見て食べてコミュニケーションのとれる企画が用意されています。仙台の食材を使った身も心も温まる食べ物の販売、市民参加型の新しい形のブースがそれです。

学生ならではのフレッシュで創造性にとんだ企画が楽しめます。また、ステージでは、在仙の学生や市民団体を中心に、全ての来場者が気軽に参加できるステージイベントもあります。様々なジャンルの音楽に加え、昨年好評だった「LEGEND OF WEDDING」も開催されます。毎日異なったジャンルの団体が参加して大変にぎやかです。

コラボレーションによるお客様の参加なども大歓迎で、会場は参加された皆様一人ひとりの輝きで大きな光の輪になります。このステージイベントプログラムは、12月21日17:15~17:30開会式(ファファーレ演出)で幕を開けます。ブースイベントやステージイベントなどに参加して師走の街で盛り上がってみては如何でしょう。

2008年12月23日

SENDAI光のページェント-その3

2008SENDAI光のページェントとして新しく加わったのが、三井アウトレットパーク仙台港をサテライト会場として開催されるイベントとイルミネーションです。光のページェントをイメージした電球色のイルミネーションがクリスマスツリーと植栽を彩り、星空と海を表現したオリジナルなデザインがとても印象的です。

モール内では、東北工業大学デザイン学科の学生の皆さんがデザインして製作したクリスマスリースを展示しています。さらに、エコノハアカデミーの屋上には、「葉」をモチーフにしたイルミネーションを施し、閲覧車「ポートフラウワー」から見ると、イルミネーションライトで作られた「葉」が現れ、観客を楽しませてくれます。

メーン会場では、スターライトファンタジー サンタの森の物語が例年通り行われます。市民や子供たちがサンタクロースやトナカイに変身して定禅寺通りをパレードする「サンタの森の物語」は、ただ見て楽しむだけではなく誰でも参加できる「市民手作りのおまつり」で、心に残る一日になることを願ってはじめられたものです。

2008年12月31日

伊達政宗の霊廟瑞鳳殿

「瑞鳳殿」は広瀬川河畔の経ヶ峯にある、初代仙台藩主伊達政宗の霊廟である。伊達政宗は1567年(永禄10年)米沢城に生まれ、幼名を梵天丸といった。伊達家中興の祖9世政宗の名を継ぎ17歳で家督を相続した。戦国の世に生まれ、米沢、岩出山を経て仙台62万石の礎を築き上げ、1636年(寛永13年)、70歳でその生涯を終えました。

「瑞鳳殿」は政宗の遺言により、翌年に仙台城の東、広瀬川に近い経ヶ峰に造営された。桃山様式の豪華絢爛たる建物で、昭和6年に国宝に指定されたが、昭和20年の仙台空襲で焼失してしまった。現在の建物は1979年(昭和54年)に再建されたものです。二代、三代藩主の霊廟もあり、資料館では発掘当時の映像や副葬品の展示をしています。

その後平成13年にも修復工事が行われ、創建当時の姿を忠実に伝えています。経ヶ峰は墓所として守られてきたため、豊な自然が残されています。参道には樹齢400年近い老杉が並び、喧騒を離れた森厳な佇まいをしています。発掘調査では政宗の遺骨も出土し、科学的に調べた結果、身長は159㎝、顔は面長、血液型はB型だったことなどが判明しました。

2009年01月03日

大和町のシンボル七つ森

南川ダム(七つ森湖)の東と南にある七つの山々からなる七つ森は、船形山の麓にこんもりとした山が並んでいることからそう呼ばれています。大和町のシンボルにもなっているこの山は、東から順に並べると松倉山、撫倉山、大倉山、峰倉山、鎌倉山、遂倉山(とがくらやま)と300~350m前後の同じような山が6つ連なっています。

もう一つは、南に離れている少し高い笹倉山(506m)です。いずれの山も倉の名がついているのが面白いですね。七つの山を歩く遊歩道コースも整備されており、時間と体力に自信のある方は是非挑戦してみてください。鎌倉山からはダムが間近に見え、撫倉山からは舟形山、仙台、そして太平洋と360度の展望が楽しめます。

各山の頂上には薬師如来像が安置されており、毎年5月8日に無病息災を祈願して、一日で回る七つ薬師掛けが行われます。見る位置により景色が変わる七つ森。なかなかユーモラスでかつ神秘的な風景は、付近を走行するドライバーにとっても心が癒される空間ですが、あの曽我物語にも登場する朝比奈三郎伝説のあるところとしても有名な所です。

2009年01月05日

志津川のモアイ像

昭和35年5月23日、チリで巨大な地震が発生しました。それから約22時間後に日本に津波が押し寄せたのです。地球の反対側からまさか津波が来るとは考えても見ませんでしたが、その距離なんと1万7千kmというから凄いものですね。三陸地方の志津川町を襲った津波の高さは6mというとてつもないものでした。

この津波による死者、行方不明者は全国で140人に昇りました。宮城県ではこの日を防災の日と定め、教訓を後世に伝えたようとしています。南三陸町志津川の松原公園に立っているモアイ像は、津波襲来30周年にチリ共和国との友好の証として作られたものです。このモアイ像は戸倉地区にも建てられています。

三陸地方はリアス式海岸であり、津波が湾内に進むにつれ高さが増幅されるため、明治29年には死者、行方不明者2万7千人、昭和8年には3千人が犠牲となった三陸津波が起こっている。モアイはチリのイースター島に立つ巨大な石像で、島には900体ほど並んでいるそうですが、未来に生きるという意味だそうです。

2009年01月06日

切込焼記念館

加美町宮崎の切込地区は、幻の陶磁器「切込焼(きりごめやき)」のふるさとです。切込焼は江戸時代の後期から明治時代のはじめ頃まで切込地区を中心に生産されていた陶磁器ですが、残された資料が少なく、その多くが謎につつまれたままである。陶芸の里にある切込焼記念館では切込焼を代表するらっきょう形徳利や三彩皿など貴重な伝世品が見られる。

陶芸の里は切込焼の古窯を背景にしたやまあいにあり、郷土文化保存伝習館(陶芸教室)、レストランすみかわ、温泉保養施設ゆ~らんど、キャンプ場、コテージなどが並んでいます。切込焼の貴重な伝世品を多数展示しているほか、当時の窯の様子をジオラマで再現し、東北に花開いた美しい磁器、切込焼を今に伝えている。

切込焼はこれまで数度窯跡を発掘した結果、生産の最盛期は1840年~50年と推定されているが、藩献上用の上質な製品と庶民向けの日用雑器の2種類が焼かれていた。日用雑器にその切込焼らしい特徴が現れており、愛好家の人気の的となっているが、献上品は有田焼とほとんど区別がつかず、どれが切込焼かよく分からない状態だという。

2009年01月10日

薬莱山のふもと-色麻町

薬莱山を望む自然豊な場所に、色麻町のシンボル平沢交流センター「かっぱのゆ」という温泉施設があります。サウナ、泡風呂、露天風呂などがあり、休憩施設も完備しています。この「かっぱのゆ」の隣にある産直所が平沢穀菜センターで、町内の農業者などの有志で結成した「穀菜会」が、春は山菜、夏には夏野菜、秋には新米や果物を並べています。

町の特産品「えごま」を使った加工品などもあります。「えごま」は良質の油脂を多く含み、栄養も豊富なので、この「えごま」を搾油加工し、ぽん酢、ドレッシッングなどの商品が開発されています。「麻法」というユニークな名前で知られ、全国に向けて発送しています。また、愛宕山公園のシャクヤクも見事なものです。

色麻町の花の名所として知られるこの公園には、1万数千株のシャクヤクが6月初旬に一斉に咲き乱れ、その景色は壮観そのものです。そのほかにも、木炭づくり、紙漉きなどの体験、自然薯観察、パークゴルフなどを楽しむことができます。大自然に囲まれた色麻町で、思いおもいの体験をしながら一日を過ごすというのはいかがでしょうか。

2009年01月12日

薬莱山のふもと-加美町その1

宮崎地区にある陶芸の里には、陶芸館切込焼記念館のほか、「ゆ~らんど」という温泉があります。水着着用で男女共用の大浴場で、泉質はナトリウム・カルシウム塩化物泉です。また、同地区には商工会「まちづくりセンター」内にある産直所「みやざき特産市」もあり、地場の野菜やもち、地元産大豆「みやぎシロメ」を使った豆腐や厚揚げがあります。

また、加美町は林業が盛んな町で、季節に合わせて多彩な林業体験ができます。例えば、竹炭を使用した花炭づくりやチェーンソーを使った林木切り、薪割りなどの各コースが用意されています。竹炭づくりは、竹の間伐で不要になった竹を使用しているので、限られた資源を活用していますし、そのほかにも、きのこ殖菌、キノコ採り体験もあります。

さらに、5月初旬から6月にかけて、ワラビもぎ取り園では、ワラビなどの山菜の収穫などができます(2000円)。薬師の湯の入湯とのセットで料金は2400円、山菜料理とのセットは3400円などのメニューがあります。それでも少し物足りないという人には、自然観察地区・薬莱山や舟形山の荒沢大滝やびん沼、すげ沼などの湿地は如何でしょうか。

2009年01月13日

薬莱山のふもと-加美町その2

加美町の小野田地区の中央に位置する薬莱山。標高553mながら、その姿は流麗で「加美富士」と呼ばれるほど美しい山です。山にはツツジや山ユリが咲き、山頂からは大崎耕地が一望できます。麓には温泉など町立の公共施設である「やくらいウォーターパーク」「やくらいガーデン」「やくらい薬師の湯」などが立ち並び、加美町のシンボル的存在です。

「やくらいウォーターパーク」は健康増進施設で温泉と温泉プールを備え、露天風呂と内湯のほか、流水プール、ウオータースライダーなどがあります。「やくらいガーデン」は5万㎡の敷地のフラワーガーデンがあり、ハーブなど8つのテーマガーデンや結婚式場となる美しい教会もあります。また、「やくらい薬師の湯」は広々とした露天風呂が自慢です。

この薬師の湯の隣にあるのが、地元農家の有志が運営している「やくらい土産センター」です。ここには、地元の新鮮な地場産品のきのこや山菜、手工芸品などが並んでいます。その中に「薬莱山の天然水」という名水がありますが、これは雪解け水から生まれた水で、地下53mから汲み上げられた天然水(舟形の氷水)です。

2009年01月16日

サッポロビール仙台工場

名取市にあるサッポロビール仙台工場では、ビール製造工程の見学はもちろん、品質や環境への取り組みについても紹介している。敷地内には池や小川のあるビオトープ園もあり、できたての生ビールと自然の景色が満喫できます。その工場の敷地内にあるビール園では、黒ラベルやエビスビールなどの他、ジンギスカンも味わえます。

平成13年9月に工場敷地内に開設された4,780㎡の「ビオトープ園」の小川や池にはコイ、ゲンゴロウ、フナ、などが生息し、季節によりマガモ、カルカモ、キジバト、サギ、カワセミなどが飛来します。池の周りには、さつき・つつじ・などが咲き乱れ、まさにビオトープ(安定した環境を盛り込んだ動植物の生息空間)の名に相応しい環境です。

手もみ三種ジンギスカン2400円(100分食べ放題)は、味噌・醤油・塩の秘伝のタレが大好評で、プラス1400円で飲み放題が付けられ、そのほかにもバーベキューもあり、ビールにピッタリのメニューが盛りだくさんです。テラス席や30名収容の個室も備わっている。ドイツの民家風レストランで、本場オーストラリアの上質なラムを思う存分楽しめます。

2009年01月17日

亘理町の鳥の海

阿武隈川河口付近にあるマリンレジャースポット「鳥の海」では、マリンスポーツ、フィッシング、バードウォッチング、潮干狩りなどが大人気で、シーズンには大勢の人で賑わいます。鳥の海は海水がぬるむ春になると、アサリ採りができるようになり、多くの家族連れが訪れる。採捕数量は大人(中学生以上)3kg、子供(小学生)1kg以内です。

鳥の海に架かる橋「マリンレーンボーブリッジ」をわたると、外周880mの蛭塚という島に着きます。亘理町でも特に自然の多い場所で、宮城県内でも有数の動植物が生息しており、「海浜の森」として親しまれているところです。また、荒浜海水浴場は雄大な海岸線が広がる遠浅の海で、サーフィンの名所として有名です。

更には、国民保養センター鳥の海荘に併設されている「わたり温泉鳥の海」は、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩などに効能がある低調性アルカリ性高温泉で、日帰り入浴ができる施設です。なお、これらの潮干狩りや温泉入浴に加え、いちご狩が楽しめる「亘理の春の観光三昧クーポン券」が大人2100円で販売されております。

2009年01月21日

秋保工芸の里と里センター

秋保温泉街の南西に当たる高台に秋保工芸の里があります。伝統工芸品を作る職人たちが創作活動を行っているこの里では、木工体験、埋もれ木のガラスとんぼ玉づくり、こけし・独楽の絵付け体験、箸の製作体験、染色体験など様々な体験ができます。広々とした敷地に9軒の自宅兼工房が点在しているので、見学するだけでも目の保養になります。

その中の一つ仙台箪笥、漆工芸品の製作・販売を行う「熊野堂」では、仙台藩お抱え大工の家系で、実際に漆を使用しながら、箸や椀の製作が体験できます。また、「染織工房つる」では、化学物質を一切使わずに草、根、花、木などの植物で染めた、やさしい風合いの染織を製作しています。ハンカチの藍染、しぼり染めなどが体験できます。

一方こちら温泉街の中心にある秋保・里センターでは、秋保の工芸品の展示や観光の紹介を行っています。色の付いたガラス粒子を銅版にのせて窯で焼いて仕上げる七宝焼。ブローチやネックレスなどの製作や和紙のちり紙体験、それに春夏秋冬それぞれの季節に合わせて、子供たちと一緒に楽しめる折り紙作りも楽しめます。

2009年01月31日

松島温泉「松島一の坊」-その1

日本三景の松島に一つだけ足りなかったもの、それはやはり温泉ではないでしょうか。その松島に昨年11月28日、待望の温泉が開湯しました。地球からの恩恵に感謝を込めて名付けられた「太古天泉」がそれです。泉質は、ナトリウム塩化物泉で美肌、保温、快眠に効果が優れているとのことで、お客様からも好評だそうです。

この「松島一の坊」では、温泉を満喫しながら日常を離れて、自分自身を見つめ直す時間を提供してくれる、女性だけのプランがあるという。名付けて「感性を磨く時間(とき)」には、温泉、松島の散策、数珠作り体験、国宝瑞巌寺での写経体験、フェイシャルエステ、そして最後は、シェフ自慢の松島の味覚と盛りだくさんの内容です。

特に伊達家ゆかりの寺である円通院での数珠作り体験は圧巻ではないでしょうか。色とりどりの石の中から自分の好きなものを選び、世界に一つだけしかない数珠を作ることができる。「何気なく選んだ石が今の精神状態を表しているんですよ」とは副住職の天野晴華さんの言葉です。もちろん宿に併設された藤田喬平ガラス美術館の作品に触れるのもいい。

2009年02月02日

松島温泉「松島一の坊」-その2

「感性を磨く時間(とき)」の締めくくりは、何といっても自慢のディナーでしょうか。料理は嶋の海鮮鉄板焼「青海波」、和風イタリア料理「いたり庵」、旬の魚介類を堪能できる日本料理「詩季亭」の3つから選べるというから贅沢そのものですね。その中の一つ「青海波」の鉄板焼は、メインを鮑のステーキか牛フィレステーキのいずれかを選べる。

さらにこのプランでしか味わえないという新鮮な三陸の魚介類、今が旬の牡蠣、地元の野菜、これを目の前で華麗に調理するシェフの腕と心意気、どれ一つとっても「感性を磨く時間(とき)」に相応しい。また、最後はやっぱり温泉に浸かるのが一番という人は、松島湾の朝日を露天風呂でというのもいいですね。

プランで宿泊するテラス風呂付客室の湯船には、源泉掛け流しで何時も温かいお湯で満たされている。松島湾の景色と体の芯まであったまる温泉を満喫しながら、じっくりと違う自分と向き合えるのも楽しそうですね。ただ、このプラン3月31日までの期間限定だそうです。この機会に是非という方は少し急いだほうがよそうです。

2009年02月04日

オニコウベスキー場と荒雄湖畔公園

禿岳(かむろだけ)、小柴山などの雄大な山岳風景に包まれた「オニコウベスキー場」は、山麓の緩斜面は初心者でも楽しめるが、上部から一気に下る斜面はコブが連続するエキスパート向けのコースです。4人乗りのテレキャビンはグリーンシーズンも運行され、山頂からは月山や栗駒山なども望まれる景勝地です。

山の四季が満喫できるハイキングコースもあり、ツツジの群生などにも出会えるほか、夏季には「かぶとむしふれあいの森」がオープンする。一方、ここから少し鳴子温泉方面にもどったところに「荒雄湖」があります。この湖は鳴子温泉地区を貫くように流れる江合川(荒雄川)の上流で、日本人のみで造られた初めてのアーチ型ダムがあります。

これが「鳴子ダム」で、そのせき止めによってできた人造湖が「荒雄湖」というわけです。湖畔にはキャンプやバーベキュー、スポーツゾーンがあるほか、カヌーやカヤックなども楽しめる。また、6月から8月にかけてゲンジボタルやヘイケボタルが柔らかな光を放ち、夜の湖畔公園内を鮮やかに彩るとても幻想的な雰囲気が楽しめます。

2009年02月20日

合格祈願たたみ

受験戦争真っ只中というところでしょうが、15日の河北新聞「みちのく」欄にホットな話題が載っていました。合格畳というのだそうです。どんなものかと受験生ならずとも気になるところなので読んでみると、神社の絵馬になぞらえて五角形に作られた畳なのですが、「ごかく」と「ごうかく」をかけているところがみそのようです。

作成したのは、石巻市桃生町の畳製作所「草新舎」というところでした。実はこの五角形のミニ畳ほかにも色々工夫されている。落ちそうで落ちないことで有名な市内の釣石神社のお札を縫込み、裏にはすべり止めを装着し、畳の縁(へり)で囲んでいるという念の入れようである。しかも製作したのは末広がりの八枚限定生産というから驚く。

ここからは私の勝手な想像だが、もしかすると、畳の原料であるイグサもイクサ(戦)にてかけて互角に戦い最後は合格という落ちならぬ洒落までついているような気がします。いずれにしても、この社長なかなかのアイディアマンで、今後もユニークな製品開発が期待できそうですね。今年はひとつ畳を新調してはいかがでしょう。もちろん古女房はそのままにしなければいけませんよ。

2009年02月24日

古川のお祭と伝統行事

政宗公まつりは、1592年(文禄元年)に豊臣秀吉の命を受け岩出山から京都に赴いた伊達軍が、装束の華麗さで京の人々を驚かせたことに由来する。「粋なもの」のことを「伊達者」と呼ぶようになったという故事にならい、ホラ貝と陣太鼓が鳴り響くなか、武者行列が練り歩く。その華麗さはうわさにたがわぬ戦国絵巻そのものです。

伝統行事といえば、毎年1月5日に松山町松山に伝わる、日本刀打ち始め式があります。城下町松山には、日本刀鍛冶・法華三郎の日本刀鍛錬所があります。法華氏は伝統の「大和伝保昌派」の復元に成功するなどの名工。普段は製作現場を見ることは難しいが、正月の打始め式は見学が可能で、日本刀の鍛錬を見ることができます。

一方、新しく伝統行事に育ちつつあるのが、気球が空に舞う「バルーンフェスティバル」です。この行事は、11月の上旬の3日間、江合川河岸にある、あったか河川公園で日本気球連名公認のフェスティバルとして開かれるものであり、色とりどりの熱気球が空に舞い壮観な景色が楽しめます。また、先着限定でバルーンの体験もできます。

2009年02月28日

大崎地方の花・花・花

大崎平野、登米平野を眼下に見渡す加護坊山自然公園では、花祭りのトップを切って桜まつりが開催されます。2000本の桜が眺望のよい公園に咲き乱れます。この後を継いで行われるのが、ひまわりの丘の菜の花まつりです。200万本の菜の花が咲き、黄色いじゅうたんを敷きつめたような光景が目に染みわたり、とても心がなごみます。

なにしろ、ここは6万㎡のなだらかな斜面が広がる丘陵地帯ですから、一面花に覆われるととても壮観です。菜の花が姿を消してしばらくすると、今度はひまわりまつりが開かれます。42万本のひまわりが眺められますが、特産品フェアもあり、ひまわりクッキーなどが会場で販売され、園内を自由に散策する見物客で賑わいます。

最後は、御本丸公園(コスモス公園)のコスモス祭です。仙台藩以前からあった千石城にある公園で、三の丸がコスモス園となっています。白とピンクに埋め尽くされた会場には、特産品販売コーナーが設けられとてもにぎやかです。なお、公園内には「レストハウス四季菜館」があり、展望風呂を楽しめるほか、地場産豚の石焼セットなどが味わえます。

2009年03月02日

蕪栗沼の自然

2005年にラムサール条約にも登録された蕪栗沼は、鳥たちの楽園なのでしょう。蕪栗沼とその周辺の水田は、国内でも最大級のガンやカモ類の越冬地で、マガン、オオヒシクイ、オオハクチョウなどが飛来し、次の渡りまで羽を休める。国際的にも貴重な沼とされる蕪栗沼には、約1500種類の動植物が生息し、1年を通じて様々な自然に出会える。

冬は天然記念物に指定されているマガンやオオヒシクイなどが飛来する蕪栗沼は、北上川水系にある面積約150haの湿地で、沼といっても大部分はヨシやマコモなどの植物に覆われていて、水面は少ししかありません。周辺は沼を干拓してできた水田に囲まれていますが、周囲の沼や家屋を洪水から守る遊水地としての役割も担っています。

毎年4万羽以上飛来するというこの沼には、オオタカやチュウヒなどの絶滅危惧種など219種もの鳥類も観察されている。蕪栗沼は、もともと北上川からあふれ出た水が流れ込む自然遊水池で、蕪(かぶ)のように美味しい栗の林が沼の辺りに広がっていたことから、蕪栗沼の名がついたといわれていますが、縄文初期には海の底だったようです。

2009年03月04日

きつね森王国オリジナル

大崎市鬼首にある未使用の平地約10haと「きつね森」と呼ばれる約440mの山で構成されているのが「きつね森王国」です。この地区はグリン・ツーリズム特区に指定されており、季節ごとにキノコ栽培体験、開拓体験などが企画されています。王国では、そばや小麦の栽培にもチャレンジし、独特のそばピザ、洋風そばがゆ、パンを試作して提供しています。

鬼首で栽培されているそばを、地元では「鬼そば」と呼びますが、オーソドックスにそばとして提供しているところでは、山菜やキノコなど鬼首で採れる天然の具をたっぷり入れた山菜そばや天ぷらそばなどが味わえます。最近では、この「鬼そば」を使ったピザや玄そばをやわらかく煮込んだスープなども現れ人気を呼んでいます。

石窯をもっているペンションと温泉旅館が提携して、温泉宿に宿泊してピザ作りやパン作りを体験する企画も考えられています。秋田県との県境に程近い、鳴子温泉鬼首地区には、そばの食文化が残っており、それが「鬼そば」というわけです。一面に白い花が咲き乱れるジュータンからもたらされるそばの実が、「鬼そば道場」を支えているのでしょう。

2009年03月06日

リゾートパークオニコウベとその周辺

温泉とアウトドアライフが同時に楽しめるのが、リゾートパークオニコウベの売りものです。まず、レジャースポットでは、パラグライダー、パターゴルフ、レンタルサイクルといったところです。1年を通して体験できるプランもありますが、アウトドア体験は概ね4月から11月中旬までですので、まずは予約をすることから始めなければなりません。

圧巻のまるごと自然体験では、わらび採り(5月下旬~6月下旬)、かぶと虫ふれあいの森(7月中旬~8月中旬)、森の標本箱(通年)、山の工作教室(通年)、鬼そば手打ち体験(通年)などのメニューが楽しめます。そのほか、鬼首の荒尾川地区(3.5km限定)では、イワナ、ヤマメ、ニジマスなどキャッチ&リリースが楽しめます。

禁漁期間の10月~から11月でも釣が楽しめるのが大好評で、特に依頼すれば、鳴子漁協の専門家の指導も受けられるそうです。また、鳴子温泉では、冷涼な気候を生かしたブルーベリー栽培が行われています。7月中旬~8月中旬にはブルーベリーの摘み取りができます。鳴子ブルーベリー農園では、食べ放題、ジャム「鳴子の瞳」の購入もできます。

2009年03月09日

初午まつり「火伏せの虎舞」

加美町中新田地区に伝わる650年の歴史を誇る由諸ある防火の行事、それが「火伏せの虎舞」で、県重要文化財に指定されています。「雲は龍に従い、風は虎に従う」という故事にならい虎の威を借りて風を鎮めようと祈願したのが始まりという。屋根に登って舞う虎の勇姿が見もの。大崎地方に春を告げる室町時代から伝わる珍しいものです。

火伏せの伝統行事といえば、新春に火消し組が高いはしごの上で、妙技を披露する「出初め」が有名ですが、これは江戸時代に誕生したもので、古い伝統を大切にしながらも、現代感覚をうまく取り入れたイベントとして定着させている。笛と太鼓のはやしにのって、色彩鮮やかな山車と共に虎舞が地区内を練り歩く。

そして、最後に高い屋根に登り、腹いっぱいに風をはらんで立つ虎の姿は勇壮そのものです。地区内の至る所に地場産品の販売コーナーやイベント広場などが開設され、虎舞の見物と共に楽しめます。この地区は、その昔大火が多かったことに由来するといだけあって、今風に言えば防災訓練とでもいうべき行事だったのかも知れませんね。

2009年03月11日

北上川のみろく尊

日本三弥勒のひとつに数えられている北上川の弥勒尊、奥州の高野山とも称されています。寺伝によれば1350年ほど前に役行者によって開山され、後に弘法大師が奥州巡錫の折、弥勒菩薩を安置したと言われています。平泉の藤原氏との関係も深く、藤原秀衡が父基衡の供養のため、祈願所として48坊を造営した。

その後も、時の権力者から寄進を受けた名刹で、弥勒菩薩とは、釈迦が入滅した後の後継者として、56億7千万年後に如来となってこの世に現れ、衆生を救済してくれる仏で、その間ひたすら考え続けていたのだという。弥勒寺の本尊弥勒仏坐像は、33年に一度開帳される秘仏で、宮城県の指定文化財に名を連ねています。

境内には千体地蔵を祀る千体地蔵堂、境内社山王堂、不動明王と歓喜天を祀る不動堂など、数多くのお堂と仏像がある。8月15~16日には大祭が行われ、大勢の参詣者が訪れる。3年お参りするとなくなった人に遭えるといわれ、かつては群集の中にその人の顔を見つけたら、境内のお店でお酒や食べ物を振舞ったものだという。

2009年03月13日

気仙沼大島の眺望

気仙沼湾は別名鼎が浦とも呼ばれています。鼎(かなえ)とは足が3本ある器のことで、3を表す言葉としても使われる。気仙沼湾は湾奥に3つの岬があることから、鼎が浦と呼ばれるようになった。その気仙沼湾に浮かぶ大島へは気仙沼港から定期船で25分ほどと近く、温暖な気候のため、四季を通じて楽しめます。

島の北側にある亀山は標高235m。山頂の展望台からは気仙沼湾、さらには三陸海岸がはるかに見渡せます。浦の浜港すぐの所にリフトが設置されているので、これを利用して山頂までの空中散歩が楽しめる。山頂から少し歩いたところに、計仙麻大嶋神社(通称大島神社)という延喜式内社があり、本殿向拝の竜の彫刻が素晴らしい。

亀山から東に下りたところには、鳴き砂で有名な十八鳴浜(くぐなり浜)があります。島の南端の龍舞崎は、大島を代表する景勝地で、三陸特有の奇岩と砕け散る波、青い海、荒々しい雄大な景色が広がっている。気仙沼港から定期船でわずか25分間の航路ということもあり、夏休みなどには家族連れで賑わう手軽なスポットです。

2009年03月18日

日本三景「松島」三つ星評価

レストラン格付けでおなじみのミシュラン社から3月16日、旅行ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」が初登場しました。東北の観光地や文化財など78カ所が掲載され、そのうち、宮城県内で三つ星に選ばれたのは、日本三景松島から松島地域全体、瑞巌寺、松島四大観(松島町、東松島市、七ヶ浜町)の3ヶ所です。

最近「三つ星」で話題になったのは、高尾山だったと記憶していますが、これは2004年4月に発売された「ミシュラン・ボアイヤジェ・プラティック・ジャポン」で今回のものとは別のガイドブックだそうです。ちなみに今回発売するグリーンガイドは1926年に発刊された歴史ある旅行ガイドで、その国や地域の文化、歴史や建築様式などについて説明しているのが特徴のようです。

フランスの旅行ガイドブック市場では35%強のシェアを持っており、世界各地で325種類(9カ国語)が販売されているという。ミシュラン社によると、日仏の専門家12人が長期滞在して実地調査を実施した結果だということなので、とりあえずは素直に喜びたいですね。そして、できれば高尾山のようなミシュラン効果を期待したいところです。

2009年03月27日

宮城さくらの名所-白石城

冬が帰りそびれているうちに、南の方からは桜のたよりが聞かれるよう季節になりました。昨年はついうっかりしていて、宮城県の桜の名所を十分に紹介し切れませんでしたので、今年は少し早めに取り掛かり、名所といわれるところを余すことなく紹介したいと思っております。まず、第一回目は最前線の「白石城址・益岡公園」です。

白石城は、伊達家の重臣であった片倉小十郎の居城として知れていますが、現在の天守閣は平成7年に復元されたものです。この白石城がたたずむ「益岡公園」には約400本の桜が植えられており、例年4月になると花が咲き、天守閣の優雅な姿をより一層浮き立たせます。桜まつり期間中は夜間ライトアップされ、とても幻想的な光景に浸れます。

公園の周辺にはお堀や沢端川の清流、武家屋敷などの見所も点在しており、城下町の風情を楽しみながら、名物の温麺をいただくのも風流ですね。白石城桜まつりは4月4日から29日までとのことなので、もう間もなくですが、待ちきれない人は桜前線を迎えに出るのも一興かもしれません。何せ冬将軍のように居座ったりはしませんから。

2009年03月28日

宮城さくらの名所-船岡城址公園

白石川堤とは目と鼻の先にあるのが柴田町の「船岡城址公園」です。以前にも紹介したように、江戸時代ここは柴田氏の居城であったところで、山元周五郎作の小説「樅の木は残った」の主人公原田甲斐の屋敷跡でもある小高い山を公園にしたもので、1000本を越すソメイヨシノの山がピンク一色に染まり見事なものです。

また、JR船岡駅から歩いて約15分という距離にあるうえ、スロープカーで山頂に登ることもできます。山頂に登れば白石川堤の「一目千本桜」を見渡せるパノラマが待っています。宮城県の南部に位置する柴田町は、仙台市から30km、福島市からも50 kmという好立地にあるため、シーズンには大勢の花見客で賑わいます。

山の中腹から山頂にかけて桜がびっしりですが、中腹部分が花見の宴を開くにはもってこいの場所となっているようです。白い大きな観音像がある山頂付近は、散策コースとして最適ですが、とにかく山頂まで登ってみることで、桜をより満喫できること間違いありません。この地区には、他にも陸上自衛隊船岡駐屯地など、隠れた桜の名所もあります。

2009年03月30日

宮城さくらの名所-白石川堤の一目千本桜

大河原町から柴田町にかけて白石川両岸に、延々8kmも続く桜並木、ここが「一目千本桜」呼ばれる花見の名所です。宮城内では早く開花する場所ですが、それだけに蔵王連峰の残雪とのコントラストも素晴らしく、訪れる人を魅了するスポットです。アクセスはJR東北本線の大河原駅または船岡駅から歩いて数分です。

駅を目指して桜のトンネルを徒歩でのんびりと歩くもよし。どちらの駅を目指しても約1時間というのも贅沢な選択ですが、もちろん健脚のかたは往復というもの違った景色に出会えていいかもしれませんし、前日紹介した船岡城址公園まで足を延ばすというのもいい。なにしろ、この付近は桜だらけで、白石川の川面までピンク色に染まっています。

「おおかわら桜まつり」期間中は、屋形船や人力車もあり、ひとさまよりちょっと違った目線から桜を楽しむのも一興かもしれません。また、桜並木と平行するJR東北線もこの付近を通過するとき、速度を落として乗客の目の保養に協力してくれますので、通勤・通学のついでにチャッカリと花見を楽しむという手もあります。

2009年03月31日

宮城さくらの名所-榴岡公園

杜の都のさくらの名所として知られる「榴岡公園」は、市内の中心部にほど近い位置にあり、毎年大勢の花見客で賑わいます。台仙藩四代藩主綱村が京都かシダレザクラなど1000本を取り寄せて植えたのが始まりと言われています。戦後の荒廃や樹木の老衰で木々の本数が少なくなったため、シダレザクラの名所として蘇らせるため植樹が行われました。

その甲斐あって、平成2年には日本の都市公園100選にも選ばれ、サクラ、ツツジ、ウメ、ツバキ、フジ、ハギなどが植えられ四季に彩を添えています。なかでも、夏になると噴水彫刻「杜のうた」が涼風を呼び寄せ訪れる人の心をなごませます。また、旧陸軍歩兵第四連隊兵舎の一棟を移築した民族資料館もあり、市民に親しまれています。

榴岡公園は、少し遅めに咲くシダレザクラが多く、ソメイヨシノ、ヤエザクラ、ヒガンザクラ、それに薄金色の花を咲かせるウコンザクラなど400本近くのサクラがあり、かなり長い期間サクラを楽しむことができます。それに、公園沿いにあるクロマツの並木も美しく、四季を通じて市民に憩いの場を提供しています。

2009年04月01日

宮城サクラの名所-三神峯公園

仙台市内では西公園や榴岡公園と並ぶサクラの名所です。ソメイヨシノやヤエザクラ、シダレザクラなど35種類もあり、しかも644本ものサクラが植えられており、長い間花見が楽しめるところとして知られています。開放感のある芝生公園は、家族連れで花見を楽しむには最適な場所で、子供たちが楽しそうに遊んでいる姿がよく見かけられます。

三神峯公園は、縄文時代の大規模な集落遺跡や旧陸軍幼年学校跡地の記念碑があることでも知られています。また、現在公園になっているこの場所は、旧制二高の校舎があったところでもあり、学都仙台の象徴的な場所であったようです。明治20年に開校された仙台第二高等学校は、昭和20年7月の戦災を経てこの地三神峯に移転されました。

西多賀の町から公園に向かって坂を上っていくと古い門があり、その奥に入ると、理学研究科付属原子核理学研究施設のある東北大学の門に突き当たります。広い芝生とそこに続く松林には涼を求めて訪れる人も多いようです。このように花見だけではなく一年を通して親しまれている三神峯公園は、間もなく大勢の人で賑わうことでしょう。

2009年04月03日

宮城サクラの名所-西公園

西公園は、仙台市の西側に位置している公園で、明治8年に開園した最も古い都市公園です。開園当時は桜か岡公園と称していましたが、市の西側にあることから、何時しか西公園と呼ばれるようになり、現在では西公園という名前に変わりました。市街地に隣接しているため、シーズンには大勢の花見客で賑わいます。

公園ないには、幹が3mも伏臥している伊達政宗ゆかりの臥龍梅(がりょうばい)や仙台空襲で焼けたその翌年春には芽吹いたといわれるイチョウの古木があります。また、園内には、野球場や天文台、プールなどの施設などがあるほか、広瀬川河岸には仙台キリスタン殉教の碑も建てられており、仙台市の新旧の香りを同時に感じられるスポットです。

新しい彫刻も設置された芸術の香り豊な公園は、実に様々なイベントが開催されるなど、市民の憩いの場として親しまれています。サクラの季節には提灯に照らされた夜桜を眺めながら、名物のずんだ餅やゴマ餅をいただく。やがてサクラが散ると今度は新緑のトンネルとなる。トンネルといえば、ここにはC60型蒸気機関車が保存されている。

2009年04月04日

宮城サクラの名所-鹽竃神社

奥州一之宮と呼ばれる鹽竃神社は、1200年以上の歴史を誇っている。現在の社殿は、仙台藩主伊達家が寄進したもので、境内には志波彦神社や製塩に関する資料などを展示した鹽竃神社博物館もあり、国の重要文化財にも指定されています。花見の季節は参拝客で賑わいますが、境内へは桜並木のある東参道を登るのがいい。

例年5月上旬に咲く鹽竃ザクラは、国の天然記念物に指定されており、サトウザクラ系のヤエザクラで花の芯から小さな緑色の葉を出す珍しいもので、平安時代の記録にもあります。境内のソメイヨシノやシダレザクラも神社建物に映えてとても美しい。また、表参道は神社の正面側になるが、ここからの眺めもまた風情があります。

鹽竃神社には、三柱の神が祀られています。正面左宮がタケミヤノカミ、右宮がフツヌシノカミで、この2神は日本古来の武神であり、それぞれ鹿島神宮と香取神宮の祭神です。奥の本殿は2つ並んでいますが、参拝客が拝む拝殿は一つになっています。一方右手には、別宮があり、シオツチオジノカミが祀られています。

2009年04月06日

宮城サクラの名所-西行戻しの松公園

戻しの松といっても、松の木が西行を戻したというわけではなく、西行法師が行脚の途中にこの地に立ち寄ったとき、一人の童子に出会い問答をして敗れたのを恥じ、松島には立ち寄らず去ったという言い伝えによるということです。ここから眺める松島湾は、まさしく絶景で、松島四大観に勝るとも劣らないでしょう。

公園ないには、松のみどりに映えるソメイヨシノが260本ほどあり、花見シーズンには大勢の観光客が押し寄せます。福浦橋を眼下にながめながら、遠く金華山も同時に望むことがでる高台であるため、海の青さ、赤い福浦橋、ピンクのサクラ、そして緑の松を独り占めできるのがこのスポット最大の売りのようです。

そしてもう一つのお奨めスポットがこの近くにあります。ここから50mほど山道を登ったところにある白衣観音の展望台がそれです。ここから眺める景色はもう一つスケールが雄大で、松島湾ばかりではなく松島の街並みも一望できます。植えられているサクラの本数としてはそれほど多くはありませんが、花見の名所に数える価値は十分あります。

2009年04月07日

宮城サクラの名所-日和山公園

旧北上川河口近くの高台にある日和山は、太平洋、牡鹿半島、石巻市街まで見渡せる景勝地として知られています。江戸時代から既に桜の名所として知られていましたが、鹿島御児神社前の桜公園は海を眺めながら花見を楽しめるとあって、石巻地方では屈指の憩いの場として親しまれています。広い斜面からもうすぐ宴の歓声が聞こえてくることでしょう。

ここは、石巻城跡を整備した由緒ある公園で、多くの文人が訪れ眺望を絶賛したと伝えられているところで、芭蕉と曽良も奥の細道の旅で訪れたという記録もあり、二人の像も建てられているほか、宮沢賢治、斉藤茂吉、石川啄木、山種山頭火などの歌碑も立てられています。標高56mの小高い丘には、歴史の重みが感じられるスポットが随所にあります。

また、この公園のある日和山は、通称「鰐山」とも呼ばれ親しまれていますが、北上川の向かい側にあたる湊方面からこの山を眺めたとき、鰐の形に似ていることからそう呼ばれるようになったと伝えられています。日和山公園は桜の後にツツジが咲くことでも有名で、初夏の香りを求めて訪れる人も多いということです。

2009年04月08日

宮城サクラの名所-金華山

牡鹿半島の鮎川港から船で20分程の距離にある金華山。太平洋に浮かぶこの島は、出羽三山、恐山とともに東奥の三大霊場として知られているところです。島には太古の姿そのままの原生林が残っており、鹿山公園には野生の鹿が生息しています。また、島の裏側の千畳敷に向かう途中の沢でサルを見かけたという人もいます。

金華山は、海の青さ、松の緑、ピンクの桜、それに鹿が一度に見られる風光明媚なスポットですが、桜の開花はやや遅く、例年は4月20日以降と予想されています。ソメイヨシノ、ヤエザクラ、シダレザクラなど約110本の桜が信仰の山に春を告げます。桜の下でのんびりと過ごす鹿の姿はいかにも和やかで絵になる風景です。

島の中腹には金華山黄金山神社があり、5月上旬には神社最大のお祭である「金華山初巳大祭」が行われ、大勢の参拝客で賑わいます。金銀財宝、開運の神として知られる神社で、3年続けてお参りをすると、お金に不自由しないといわれているためか、歳旦祭(元日)から格別な初日の出を迎えようとして多くの人が訪れます。

2009年04月10日

宮城サクラの名所-城山公園

江合川を見下ろす高台にある城址公園は、涌谷伊達氏の居城の跡地です。ここは城郭をイメージした史料館があることでも知られていますが、桜の公園としても有名です。毎年4月になると公園登り口にある樹齢120年のシダレザクラが開花し、続いてソメイヨシノを中心とした園内約500本の桜が競うように開花します。

公園の下にある江合川堤防にも桜が連なり、4月にはライトアップされ夜桜も楽しめます。盛大に行われる桜祭り期間中は、イベントも目白押しで、4月19(日)には江合川河川敷で「東北輓場(ばんば)競技大会」が開催され、人馬一体となって障害超えに挑みます。また、25日(土)には「夜桜花火大会」があり、桜と花火の競演を楽しむことができます。

公園のシンボルとなっている涌谷町立史料館はでは、涌谷伊達氏関係の資料を中心に、涌谷の民族資料を展示してあります。このお城(史料館)の隣には、涌谷要害の現存する遺構、隅櫓が立っていますし、公園の北側には、伊達安芸宗重を祀る涌谷神社があります。宗重は、寛文事件(伊達騒動)で江戸の大老酒井邸において原田甲斐に殺された人です。

2009年04月14日

宮城サクラの名所-加護坊山

大崎市田尻地域東部に位置する「加護坊山」は標高224mのなだらかな山で、県内随一を誇る2000本もの桜で山が染まります。品種はソメイヨシノ、ヤエザクラ、ベニヤマザクラなどで、開花時期が異なる木が植栽されているため、サクラまつりが開催されるころから、約1ヵ月にわたって多彩な桜を楽しむことができます。

山頂からは360度の大パノラマが一望でき、天候がよければ栗駒や蔵王の山並み、太平洋まで望めるという。サクラまつり期間中はライトアップされますので、夜桜も楽しめます。また、山頂にはお風呂やレストランもあり、パークゴルフ場ありで一日中楽しめるため、幅広い年代層からも人気があり、地域住民から親しまれています。

特に「展望レストラン四季彩館」では、地元の名産である豚やフランス鴨を使った石焼ステーキをメインに、ポークうどん、フランス鴨ハンバーグ、カレーそば・うどんなど多彩なメニューが揃っているほか、コーヒーや手作りアイスクリームもあります。また、ここでは、梅干やハム、古代米などの地場産品も販売しています。

2009年04月15日

宮城サクラの名所-平筒沼

ヘラブナ釣りの名所として知られる平筒沼(びょうどうぬま)は、米山地区と豊里地区にまたがっており、昭和60年に町民参加で植えられた600本の桜でも有名です。4月中旬には一斉に咲き出し、花見客で賑わいます。沼を囲む遊歩道沿いに植えられたサクラを見渡すように、沼の中央に架かっている全長188mの浮き桟橋も魅力的です。

桜まつりの期間中はライトアップされ、水面に映る並木が幻想的です。この沼の中には弁天島という島があり、かなしくユーモラスな僧侶と赤い蛇の物語が伝わっており、今でも祠と鳥居が残っています。また、これとは別に行商に来た2人の女性の物語も、ユニークで1人が沼の主になってしまったという経緯も豪快そのものです。

平筒沼は、サクラの季節ばかりではなく、夏から冬にかけても色々なドラマが展開します。例えば、沼の東側にある憩いの森は33ヘクタールの広さで、全長3,044mの散策路があり、ブナやナラの自然林が楽しめます。秋はコスモスと紅葉、冬は白鳥やガン、天然記念物にヒシクイなど750羽の越冬隊が静寂の水面を揺らします。

2009年04月17日

宮城サクラの名所-県立自然公園旭山

のどかな田園地帯を見下ろす標高174mの旭山。ふもとにある大鳥居から山頂までの800mの参道が桜の並木になっていて、ハイキングコースとしても最適で、シーズンにはソメイヨシノ、山桜、ツツジなどが楽しめます。山頂は広大な芝生に覆われていて、その周りを千本桜が囲んでいます。天気がよければ牡鹿半島や金華山、松島も見渡せる。

また、中腹には急な断崖に建てられた旭山観音堂があり、長年にわたり風雪に耐えてきた歴史が感じられます。このお堂は亡学童や戦没者の冥福を祈るため昭和13年に建てなれたもので、文豪徳富蘇峰の定礎によるものです。子持ち石に囲まれた堂は平安時代の様式で、三間二面単層四柱造りの本瓦葺回廊を巡らしてあり、京都の清水観音堂様式です。

本尊聖観音像は国方林三作の国法級傑作といわれています。子供の成長を願い、幼くしてなくなった子供の霊を慰めるために、地域の寄付によって建てられたもので、現在は地域で管理しているそうです。子供を思う親の気持ちは何時の時代でも不変ものです。そのことを改めて教えくれる観音堂へも、足を延ばしては見てはいかがでしょうか。

2009年04月25日

渡り鳥の聖地

登米市迫町と栗原市若柳・築館の2市にまたがった伊豆沼・内沼は、ラムサール条約の登録湿地であることは以前にも何度か紹介した覚えがあります。ハクチョウ、・ガン・カモなどの渡り鳥の越冬地として知られるこの一帯には、3つのサンクチャリーセンターがあり、バードウォッチングのメッカとして親しまれています。

栗原市に側にある「宮城県伊豆沼・内沼サンクチャリーセンター」には、2階の展望室にバードウォッチング用のフィールドスコープが16台設置されています。また、「サンクチャリーセンターつきだて館」では、伊豆沼・内沼周辺の中に生息する昆虫を中心に、世界のトンボや蝶の標本を展示しています。2階には内沼を一望する展望室もあります。

「登米市伊豆沼・内沼サンクチャリーセンター」は、栗原市若柳側の対岸にあり、伊豆沼と内沼に生息する水鳥、水棲動物・植物について紹介しています。サンクチャリーセンターつきだて館に隣接した「スワントピア交流館」は丸太造りで、無料で利用できる交流室と喫茶室「ひしの家」があり、軽食をとりながら内沼の野鳥を眺めることができます。

2009年04月27日

蔵王エコーライン開通

蔵王エコーラインが4月24日開通し、雪の回廊がゴールデンウイークへの準備完了を告げています。宮城県側の蔵王町と山形県側の上山市を結ぶ蔵王エコーラインは、長い冬眠から醒め真っ白な雪の壁で訪れるドライバーを歓迎します。例年より少し早いようにも思われますが、「雪の壁」も8mほどで2mぐらい低いとか。

開通式は山頂の刈田峠駐車場で行われ、宮城、山形両県の関係者200人が集まり、交通安全と登山者の無事を祈願し、くす玉割りとテープカットをしました。凍結の可能性があるので、5月7日までは夜間は通行止めとなるので注意しなければなりません。また、急激に天候が変わることもあるため、車から降りる場合にはコートが必要です。

冬はスキー、モンスター見物、秋は紅葉で賑わう蔵王ですが、これから夏にかけての蔵王もまた新鮮で、緑が目にしみるドライブコースです。夏の雄大な景色が、高い雪の壁で仕切られているこの時期は、冬でもなく春でもない蔵王の素顔がほんの一瞬だけ覗けるチャンスです。思い立ったが吉日、家族みんなで出かけてみませんか。

2009年04月28日

七ヶ宿街道

現在の国道113号線は、そのむかし出羽と陸奥を結ぶ山中七ヶ宿街道と呼ばれていました。街道沿いに七つの宿場があったことからこの名がつけられたといいます。陸奥・出羽13大名の参勤交代や城米輸送の要路として、出羽三山詣でに向かう庶民などで大いに賑わったということです。今もなお、関、滑津、湯原など7つの宿場には本陣の遺構があります。

当時の面影を偲ばせるこの街道は、「日本の道路100選」にも選ばれていて、滑津大滝や七ヶ宿湖、材木岩など見所が多い。七ヶ宿湖は平成3年に完成した東北最大級のロックフィル式ダムである七ヶ宿ダムの誕生によって生まれた人造湖です。湖畔は自然休養公園としても整備されていて、ボートやフィールドアスレチックなどが楽しめます。

また、以前にも紹介した滑津大滝は、白石川の上流にある標高10m、幅30mの滝で、高さはそれほど高くはないが、川の全流が二段になり轟音を響かせながら落ちてくるさまは迫力満点です。その姿から「二階滝」という異名でも呼ばれています。特に夏場は緑が美しく、川辺を渡る涼風を、車から降りて体感していただきたいものです。

2009年05月04日

大道芸人フェステバルル

蔵王町の遠刈田温泉を舞台に、今年も全国から大道芸人が集まり、得意の芸を披露する「大道芸フェステバルル大道芸inとうがった」が、今年も6月6~7日に開催されます。今年で13回目を迎えるというこのイベントは、2万人近い来場者が見込まれているという人気で、大道芸人やミュージシャンがパフォマンスを披露します。

見所は、パントマイム、ジャグリング、サンバパレード、沖縄久米島や地元蔵王町の郷土芸能、ミュージックライブなどですが、ピエロ変身コーナーや宿泊券争奪ゲーム大会なども企画され、盛りだくさんのイベントが繰り広げられます。今年はどんなサプライズが期待できるのでしょうか?わくわくしているフアンも多いことでしょう。

このほか、地元の農産物や苗木など、蔵王町自慢の物産品を販売するコーナーも設けられ、祭りの雰囲気を盛り上げます。歴史と伝統に育まれた遠刈田温泉の新しい取り組みが定着しつつあり、温泉に浸かりながら大道芸人の技と心意気をじっくりと味わう。これが、蔵王町の遠刈田温泉郷が提案する新しい生活スタイルのようです。

2009年05月08日

新緑の鳴子峡

サクラが散ったこの時期、鳴子温泉郷の見所は、何といっても新緑の鳴子峡でしょう。荒雄川の支流である大谷川沿いにある深さ80~150mの渓谷が2.5kmにわたって続いています。渓谷に沿って遊歩道も整備されており、「猿の手掛岩」や「弁慶岩」などの奇岩を見上げながら、「天狗橋」や「五峰ノ橋」などを渡り、約 1時間で新緑の渓谷を散策できます。

新緑をたっぷり楽しんだあとは、やっぱり鳴子こけしにお目にかからなければ、鳴子を訪れたことにはならないでしょう。首の回ることで有名な「鳴子こけし」を始めとした、東北の伝統こけしを展示した「日本こけし館」もお奨めです。約7000本といわれるこけしを鑑賞するのもいいですが、オリジナルな絵づけに挑戦してみるもの面白い。

また、この時期ならではの楽しみがもう一つあります。それは山菜です。この地方でしか採れないしどけやあいこなどが食べごろを迎えています。まず、春一番にこごみが出て、サクラが咲くころには、あいこ、うど、たらの芽、くわだいなどが採れるといいます。そしてそのあと5月になると、地ダケ(タケノコ)ワラビ、フキなども採れます。

2009年05月15日

青葉まつり-宵まつり

今年で25回を迎える青葉まつりが、5月16日(土)、17日(日)に開催されます。16日の宵まつりは、すずめ踊り一色といった感じのイベントが目白押しのようです。年々増加する踊りの参加祭連(まづら)は史上最多の127、3741人が参加するということです。市制120周年に当たる今年は、市民会館で記念演舞(伊達の舞い)も披露されます。

16日の宵まつりに市民会館で行われる仙薹すずめ踊り2009舞台踊り審査、11時から行われる子供たちによる可愛らしい子すずめ大賞、すずめ踊り大賞などが繰り広げられます。その他、学生祭連大賞、すずめ踊り舞台演舞(個人戦)、さらには、定禅寺通りや中央通り、一番町では、流し踊り、子すずめ流しなどと続きます。

一方、勾当台公園や市民広場を会場に郷土芸能、各種芸能などを披露していた芸能祭は、「伊達縁」にリニューアルされ、お笑いが楽しめる青葉寄席、手打ちそばや団子を食べながら一息つける青葉茶屋、射的、紙相撲などの遊技場が設けられます。例年の大学による企画店や餅つき、灯篭絵付け、凧づくりなどに加え、青葉職人屋台、青葉青空将棋教室も増設されました。

2009年05月16日

青葉まつり-本まつり

2日目(17日)の本まつりの華は、二番町通りを練り歩く時代絵巻行列でしょう。市民が甲冑武者に扮して練り歩く武者行列、青葉神社の神輿渡御、豪華絢爛たる11基の山鉾巡行、そしてすずめ踊りの大流しなど総勢3500名が巡行します。新緑に包まれたなか、時代絵巻巡行の大迫力は戦国時代に誘ってくれるようです。

一方、定禅寺通りに設置された桟敷席前では、仙台消防伝統のはしご乗り隊の演技が楽しめます。また、このころ勾当台公園では、前日の宵まつりに続いて、青葉職人屋台、青葉青空将棋教室、学生企画店などが軒を連ねています。なかには、男性は甲冑姿、女性は姫君に着付け体験できる時代衣装屋、演劇部の学生による殺陣演舞などもあります。

更に、3年ぶりに復活したという「祭連亭」では、「涌谷の郷土料理」である猪料理(いのしし串焼き、いのししラーメン)、しかみそ焼き、牛タン焼、涌谷のおぼろ豆腐など、新旧の郷土料理が楽しめます。その他にも、明成高校調理部生徒たちによる仙台味噌の紹介、宮城の芋煮、塩釜の塩釜汁、はっと汁、気仙沼のフカヒレ、石巻産や志津川産の魚介類など多彩です。

2009年05月18日

古川ふじまつり

古川市の中心部を流れる緒絶川(おだえがわ)や藤の花に親しんでもらおうと、市民団体が中心になって開いているイベントが「古川ふじまつり」です。この緒絶川は平安時代の悲恋物語が伝えられていることでも有名で、嵯峨天皇に寵愛された「おだえ姫」が都を追われ、天皇に会えぬ毎日を悲観して、川に身を投げたとうものです。

おだえ姫の物語にちなんで、緒絶川に架かる橋は「緒絶橋」と呼ばれ、悲恋の歌枕として広く知られるようになったということです。この橋のたもとには、中古三十六歌仙の一人、右京太夫藤原道雅が詠んだ歌碑が建てられています。この緒絶川には藤棚が多数設置されており、毎年5中旬になると、雅やかな薄紫色の花が咲き誇ります。

緒絶橋の上流にある千手寺橋から下流の東北電力前までを会場に、花の開花に合わせて開催されるのが「古川ふじまつり」というわけです。期間中の夜(18:30~22:00)には8カ所の藤棚がライトアップされ、サクラとはまた一味違った雰囲気をかもし出します。昼に観るのもみごとですが、ライトに映えた藤も幻想的で美しい。

2009年05月23日

国営みちのく杜の湖畔公園

釜房ダム湖畔にある東北唯一の広大な国営公園が、「国営みちのく杜の湖畔公園」です。公園内には、季節ごとに10万株以上の花々が咲く「菜のひろば」や遊具が整備された「わらすこひろば」、東北6県の代表的な古民家を移築した「ふるさと村」などがあります。ここでは四季を通して様々なイベントが開催されます。

また、湖畔公園内にあるオートキャンプ場「エコキャンプみちのく」には、コテージ、プレイランドなど充実した施設があります。「ふるさと村」には、東北6県の懐かしい農村風景が広がり、古民家内では映像や展示物で各地の文化を紹介していますし、土・日曜、祝祭日を中心にさまざまなイベントも開催されます(毎週土・日曜、祝日、11時~15時)。

例えば、ふるさと村の「東野の家」では、語り手による民話を聞く会が開催され、東野地方の民話や東北地方の昔話を囲炉裏端で聞くことが出来ます。公園内の自然を活用して、自然観察会を開催し、川遊びやネイチャーゲームなど、四季を通じてさまざまな観察会も実施していますが、こちらは時間、受付などは公園に問い合わせてください。

2009年05月25日

古代の里、化女沼

東北自動車道長者原サービスエリアに近い古代の里は、宮沢遺跡を中心に整備された公園で、広い敷地内には復元された竪穴住居や高床式倉庫、あそびの広場、芝生広場、あやめ公園などがあります。宮沢遺跡は奈良時代から平安時代にかけての城柵で、東西約1400m、南北役850m、当時の陸奥国府である多賀城の1.5倍の面積です。

東北の城柵としては最大級の規模といわれ、城柵は蝦夷を支配するための役割をもった、軍事的かつ役所的な要素を兼ね備えたもので、東北地方にのみ存在している。当時の大崎地方は中央政府支配の北端にあって蝦夷と対峙しており、要所に城柵が配置されていた。宮沢遺跡はその西部を東北自動車道が貫いている。

昭和49~50年に行われた東北自動車道建設に伴う発掘調査で発見されましたが、文献に現れるどの城柵なのかははっきりしていない謎の多い遺跡です。古代の里の隣に位置する化女沼(けじょぬま)は、夏はハスの花が咲き、冬は白鳥が飛来する沼で、蛇と結ばれた長者の娘が沼に身を投げたという悲しい伝説が残されています。

2009年06月01日

薬莱山とその麓-その1

加美町の西、舟形連峰の一角に位置する薬莱山は、加美富士と呼ばれる美しい形をした山で、高さは標高553mですが、山麓一帯は温泉やゴルフ場、キャンプ場、スキー場などが集まったリゾート地です。薬莱山への登山は登りで約1時間のコース。スキー場脇の赤い大きな鳥居から続く桜並木が上り口で、ほぼ真っ直ぐに706段の階段になっています。

登りは少々きついが、山頂からの眺めが素晴らしい。観光施設は薬莱山の東山麓の高原に集まっています。天然温泉「薬師の湯」、宿泊施設「林泉館」「都邑館」コテージ、地ビールも飲めるレストラン「ぶな林」、ウォータースライダーで遊べる「ウォーターパーク」など、実に盛りだくさんの施設が立ち並んでいます。

また、産直施設「お土産センター」「山の幸センター」では地元農家の朝摘み野菜や山菜、きのこなども格安で販売されています。さらに西に足を伸ばせば、「滝庭の関駒庄」があります。かつて御番所が置かれていた場所に古い農家屋敷があり、手打ちそばが食べられる他、手打ち体験や宿泊もできます。さらに奥の荒沢に向かうと荒沢大滝があります。

2009年06月02日

松山の歴史的町並み

醸造の町として知られる旧松山町には、銘酒「一ノ蔵」本社があり、平成10年には「ジョウセン」の仙台味噌醤油が仙台から工場を移し、醸造の町として知られるようになりました。松山の中心街にある醸華邑には、松山の顔である酒をテーマにした「酒ミュージアム」、「ふるさと歴史館」、「華の蔵」の施設が並んでいる。

醸造とは酵母などの微生物が穀物などを分解してアルコールや有機酸類を作り出すことですから、そこには豊かできれいな自然環境と名水の存在が欠かせないが、松山はこうした条件がかね備わっている土地です。「酒ミュージアム」では、昔の酒造りで使われた桶や樽などの道具が展示され、映像やパネルで日本酒が出来るまでの工程が紹介されています。

また、隣の「ふるさと歴史館」は、歴史に彩られた町松山の歴史を、展示品を見ながら学べる施設です。松山は江戸時代を通じて茂庭氏が治めた町で、茂庭綱元が徳川家康から拝領した胴白の槍や刀匠法華三郎信房作の刀大和伝、人車など見所は多い。「華の蔵」では銘酒「「一ノ蔵」」を始めとした松山の名産が買い求められます。

2009年06月10日

古川八百屋市

4月から6月末までの3と7のつく日に、旧古川市の熊野神社境内で行われる八百屋市(やおやまち)は、今も春の訪れを告げる古川の風物詩として多くの買い物客に親しまれています。戦国時代末期に仙台藩主伊達政宗公に古川城を任された鈴木和泉元信が、町の経済安定を図ろうと市を起こしたのが始まりだそうです。

古川地区には、「三日町」「七日町」「十日町」などの地名が残っていますが、この地名も市が開かれた日にちに由来するといいます。市の開始時間は御膳6時で、熊野神社境内には、取れたての野菜、果物、山野草、漬物をはじめ竹細工、工芸品、雑貨、衣類、刃物、おもちゃなど多種多様な品々が並び、早朝から掘り出し物を求めて賑わいを見せます。

この古川八百屋市が終わると、11月まで日曜朝市が開かれます。こちらも夏の風物詩として定着しつつあるということで、市内はもちろん、近郷近在からも地域の特産品