2010年9月 3日

ホヤの酢の物

またまたホヤの話で恐縮ですが、今年のような酷暑にはぴったりのたべものであるため、再登場させることにしました。ホヤは平安の昔から食べられていたという記録があり、種類も多いのですが、宮城県産はマボヤと呼ばれるものです。6月から8月が旬で、グリコーゲンの含有量が冬季の8倍もあり、甘み、旨味が最高だといわれています。

養殖生産は明治時代終期には始まっていたようですが、その後養殖技術の改良が重ねられ、昭和初期から養殖業として確立されるようになりました。養殖ホヤは、採苗してから3年目から4年目(3年コ、4年コ)のものを5月から8月にかけて出荷します。円形のものが肉も厚く身が充実していて、新鮮なものほど独特な香りと若干の苦味があります。

食べなれない人にとっては、ちょっととっつきにくい面もあるかもしれませんが、一旦すきになると熱烈なフアンになってしまう人も多いようです。この風味のもとは、ホヤ特有の不飽和アルコールやアミノ酸類によるもので、食べた後に水を飲むと口の中が甘くなります。ビールなどでも同じ感じがするため、酒の肴としても珍重されています。

2010年9月 1日

夏の浦戸諸島「寒風沢島・朴島」

寒風沢島は、江戸時代には伊達藩の江戸廻米の港として多くの千石船が来航し繁栄をしていたところです。また、日本人で初めて世界一周をした津田夫と左平が住んでいた島でもあります。当時の繁栄ぶりを今に伝える十二支方角石や縛り地蔵・化粧地蔵などの遺跡・文化財が多く、道端には野仏や石仏、道祖神などが見られます。

ハイキングコースには、伊達藩が日本初の鋼鉄製の西洋型軍艦として建造した「開成丸」の記念碑もあります。さらにここから日和山展望台に向かうと美しい眺望が開けます。そのまま林道を明神社に向かって進めば砲台跡に出ます。ここからは、遠浅で波静かな寒風沢海水浴場を望むことができますので、太平洋を独り占めする気分になれます。

朴島は、浦戸諸島の中では一番小さい島ですが、この地では珍しいタブ林が存在するなど豊かな自然が残っていることが魅力の一つです。また、春に見る菜の花畑はとても美しく見応えがあります。この島には、伊達藩の軍用金や貴重な宝物が隠されていたという伝説もあり、宝島(ほうじま)と呼ばれていたものが朴島になったという伝説があります。

2010年8月30日

ワンちゃん達にも酷な暑さ

ムサシは今年のような暑さは経験しませんでしたが、かなりへばり気味になったことは何度かありました。そんな時彼が逃げ込むのは、公園の木陰かカキ氷屋さんの暖簾でした。カキ氷屋さんはヨシズがあり、なかはとっても涼しいことを知っていたからなのですが、その他にも涼をとる手段を熟知していたからなのでしょう。

たまたま、散歩のコースがカキ氷屋さんの前を通らない時は、濡れたタオルで頭を冷やしてやったことも度々ありました。そんな時は、散歩からかえると足を洗ってもらうやいなや、一目散にエアコンの下に駆け込みます。その時の満足そうな顔といったら例えようがありません。長い舌がより長く感じられるひと時です。

ご近所のワンちゃん達も今年の酷暑には些か参っているようです。私も朝のうちに散歩をするのですが、最近の暑さには意識がもうろうとしてきます。昨日などは、誰かに声をかけられたような気配は感じたのですが、振り向きもせず通り過ぎようとしていましたが、コロ君が日陰で涼みながら声をかけてくれたことにやっと気がつきました。慌てて傍に掛けより挨拶を交わしましたが、彼女もかなりバテ気味のようでした。

2010年8月27日

夏の浦戸諸島「桂島・野々島」

塩釜港のマリンゲートから市営汽船で約25分の距離にある浦戸諸島は、桂島、野々島、寒風沢島、朴島の4つの島・5つの地区からなっています。一番手前の桂島には海と山のハイキングコースがあります。観月崎の展望台からは、七ケ浜や仁王島が望めますし、空気が澄んだ日には、遥か蔵王連峰まで見ることができます。

潮がひいているときは桂島海水浴場から小沙羅浜への海岸線の散策も楽しめます。石浜漁港からは野々島行きの市営汽船もありますが、ブルーセンターに電話すると、渡船がすぐ来てくれるので便利です。この石浜は塩釜に大きな業績を残した白石広造邸のあった所です。そして、寒風沢港とともに、戊辰戦争の際、榎本武揚、土方歳三が函館五稜郭へ向かう途中に立ち寄った所としても有名です。

その次の島が野々島です。花で島を一杯にする計画が着々と進められているこの島には、桟橋前に宿泊施設も完備された浦戸諸島開発総合センター「ブルーセンター」があります。明治時代の島の秘話「ラッコ船」の話や貿易で巨万の富を得たといわれる内海長者の伝説もあり、島のいたるところに洞窟やけもの道のような細い道があります。

2010年8月25日

ホヤの塩辛

三陸沿岸が主産地のホヤは、宮城県が全国の生産量の80%を占めています。そのなかでも石巻市が断トツで、昔は夏になるとホヤ売りの声で目を覚ましたということもしばしばありました。今ではそうした夏の風物詩はすっかり姿を消してしまいましたが、当時とくらべてホヤのフアンが格段に増えたような気がします。

ホヤという名前の語源は諸説あり、一般的にいわれているのは「ランプのホヤ」に似ているからという説が有力のようです。また、黄褐色の外皮のイボイボがパイナップルに似ていることから、「海のパイナップル」とも呼ばれています。ホヤは生食が中心ですが、石巻地方では干しホヤをお正月の雑煮のだしにする地域もあります。

今日ご紹介する「ホヤの塩辛」は、鮮やかなオレンジ色をそのまま塩漬けにしたもので、新鮮な磯の香りがたっぷりと閉じ込めたところが売り物です。天然ものしかなかった時代には浜の人たちにとっても贅沢な食べ物でしたが、わが家では、茹でたてのパスタに塩コショウ、バターひとかけら、それに「ホヤの塩辛」とざく切りのしその葉を手早く混ぜたものが時々食卓にのります。これを豪快に口に運ぶのがまたたまりません。
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2010年8月23日

映画「きな子 見習い警察犬の物語」を見て

きな子の訓練風景を見ていると、何とか試験に合格させてやりたいと思うのですが、見方を変えれば、性格を無視して訓練するのもどうかという気にもなります。物語の中でもそうですが、実際にも多少ドジなところがあるのかもしれませんが、警察犬には向いてないだけで、能力がないというレッテルをはられるのがとても可哀そうです。

わが家のムサシは、3ヵ月の訓練を2ヵ月で卒業できたのですが、ワンちゃんも性格はそれぞれなのではないでしょうか?それに「きな子」の場合は、試験には中々合格しませんが、実際の人命救助では大活躍したわけですから、推薦という形で合格させても誰も文句は言わないような気がします。ちなみに、わが家のムサシも私と同意見です。

それよりも、相棒と離れた時のきな子の悲しそうな表情の方が遥かに問題です。人気者であることは、社会貢献をするという意味では価値あることですが、心の悲しみを誰にも訴えられないことを察してやるべきではないでしょうか。先月3日に18歳で亡くなった広島県尾道市の観光ガイド犬ドビン君の場合でも全く同じことを感じました。

2010年8月20日

おぼろ汁

江戸時代の末期に関西の寺から涌谷町の寺に赴任してきた住職が、おぼろ豆腐の作り方とおぼろ汁の食べ方を親しい豆腐屋に教えたと伝えられている。「おぼろ汁」という名前の由来は、朧月夜のようにかすみ、ふんわりと浮いている豆腐の姿に似ていることによるものだそうです。おぼろ豆腐の作り方を聞くとぴったりの名前だとあらためて感心します。

豆腐は「木綿」「ザル」「絹ごし」の順に水分が多くなりますが、おぼろ豆腐は最も水分が多く軟らかい豆腐です。普通の豆腐よりも水分を多くして、凝固剤で固まってきたものを汲み取ります。そのため定まった形がなく、滑らかで口当たりがよく、水にさらされないので風味がよいのが特徴です。この食感を出すために長い間、加工方法や凝固剤の配合に工夫が重ねられてきました。

おぼろ汁は春秋の彼岸やお盆に仏前に供える涌谷町の精進料理です。今でもこの地方ではお正月の十六日、春秋の彼岸、お盆には欠かせない行事食として親しまれています。これらの日の朝には、作りたてのおぼろ豆腐を買うため、夜明け前から豆腐屋さんの前に行列ができます。店頭で湯気の立ちあがる寄桶から、出来立ての豆腐を小鍋などにすくってもらいます。

2010年8月18日

流辿別邸「観山聴月」

昨年末にオープンしたばかりの流辿別邸「観山聴月」は、蔵王連峰の東側・青根温泉にあります。客室は全部で7つというこじんまりした宿ですが、仙台市から車で約1時間という位置にあり人気が高い。その人気の秘密は、それぞれデザインが異なる源泉掛け流しの半露天風呂でしょう。ここからの眺めは月、星そして山だけである。

満点の星空を見ながら静かに入浴するという贅沢はお金に換算するのは相応しくない。そう思わせるのが自然に感じられるロケーションである。また、料理も素晴らしい。既製品は使わず、つくれるものは自分でつくるというのがポリシーというから凄い。特に夕食は月替わりの献立で全13品という充実した内容です。

地元の契約農家や市場にも足繁く通い、素材を吟味しながら毎日献立を考案しているというだけあって、台の物、焼物、お食事は2種類の中から好みのものを選べるようになっているほか、デザートまで月替わりで数種類手づくりするという拘りようです。この拘りの心がそのまま「もてなしの心」となり、お客様に伝わるのでしょう。

2010年8月16日

ドックランは素直さの象徴

ドッグランという言葉がありますが、この言葉の響きはワンちゃんたちを少し侮辱しているように感じます。この意味は、目的とするモノや人が今ある(いる)場所に向かってまっしぐらに突進するため、対象が動いた時に方向を変えるので、その移動した奇跡が放物線を描くことから、無駄な動きをすることを説明する時に使われています。

つまり、相手の動きを予測することができれば、無駄な動きを極力避けられるのに、目先のことしか考えないため、移動距離が結果的に長くなることを皮肉っているといわけでしょうが、本当にワンちゃん達の心を理解できる人はそうした動きを批判したりはしないような気がします。わが家ムサシを見ているとそう思わずにはいられません。

対象物が明らかに動くことが予想され、その方向も大よそ検討がつくような場合には、間違いなく最短コースを選んでいました。また、それを見定める動作も慎重そのもので、その後の判断に従って進む方向を決めている様子がうかがえます。確かめるチャンスがないのでよく解かりませんが、たぶん他のワンちゃん達も同じだと思います。

2010年8月13日

仙台長なす漬け

仙台長なすは伊達政宗の時代に栽培が始まったと伝えられています。明治時代初期に、伊達家が農業振興を目的に設立した「養種園」の記録では、「明治時代、漬けもの用としてすでに優良種子の供給が行われ、早くも産地化が進んでいた」とある。他の産地に移植するとたちまち形が変わってしまったともいわれ、当時は仙台近郊だけで栽培されていました。

仙台長なすの特徴は、へたが小さくて、小さい刺が少しあります。紫紺色が鮮やかで、7cmないし10cmの長さの時に若もぎするとより軟らかく、歯触りがよいので漬けなすにするのに最も適しています。漬け上がったなすを切らずにそのまま丼に入れて出す。これが食卓を彩る逸品で、夏を涼しく過ごすためのちょっとした小道具にもなります。 

藩祖・伊達政宗が朝鮮出兵のおり、藩士の一人が博多から原種を持ち帰り、この地に適するように改良したものだそうですが、有名になったのは明治以降になってからです。近年は伝統野菜の生産が下降気味ですが、長なすも例外ではなく今では珍しい存在になっています。それでも一部の農家では栽培が続けられ、漬けものの文化が復活しつつあります。